死んでしまった後、モノになって大切な人の近くにいられるとしたら、あなたは何になりますか?
この世に未練を持つ死者に、「とりつくしま係」が問いかけ、それを実行してくれる。
そんな短編集「とりつくしま」(東直子著)を読んだ。
死者の選択は様々で、新婚わずかで命を落とした妻は夫のお気に入りのマグカップにとりつく。
幼い子供と妻を残し旅立った夫は、妻が夫に向けて書き綴る日記に自らを潜ませる。
幼くて亡くなった男の子はママを待つ公園のジャングルジムになったり、
病で亡くなった母は野球好きの息子が使うロージン(ピッチャーがボールを投げるときに手につける白い粉)になったり、
働き盛りだった父は家族愛用のマッサージチェアーになり、恋を知らない女子高生は憧れの先輩のくちびるになる・・・・。
本を開き最初の短編が「ロージン」!初っ端から泣かされた。これはいったい最後まで何回涙を流せばよいのだろうかと思った。
死者の彼らはこの世の物となって戻ってはこれるけれど、決して愛する者に話しかけることはできない。
ただ大切な人をそっと見守るだけ。
それぞれに死者がとりついた物の視点から世の中を見つめ、愛する人を思う気持ちが切なく、胸が熱くなりジーンとくる。
「日記」からは愛する妻と残した幼子の幸せを願う男の気持ちがひしひしと伝わり、涙腺が完璧に崩壊してしまった。
孫にプレゼントしたカメラのレンズにとりついたおばあちゃん、でもそのレンズは中古店に売り飛ばされる。
なんと非情な孫よ!
でもレンズとなったおばあちゃんはある紳士に買われ、その老紳士が覗く世界を共に眺め心地よく感じていく。
ほっこりとした温かな余韻の残る短編だった。
全編、設定は悲しく切ないけれど、流れる涙は決して哀しみのの涙ではなかった気がする。
どこか優しい温かい空気の残る読後感だった。
さて私なら誰の何にとりつくだろうか?
読書中も読後もやはり思い浮かんだのは夫であった。が、夫の何にとりつくかは、なかなか思いつかない。
最初に思いついたのは登山の時に使うストック!彼の足となり彼を守りたい、そして自分も山を楽しみたい。
でも山へ行く時しか使用しないストック、やっぱりそれではさみしいな~。
そうだ、リビングのソファーにとりつこう!
彼は新聞を読むときも、本を読むときも、TVを観るときもソファーに座る。そして時にはそこで眠る。
買い換えたばかりのソファー、最後のソファーだと言っていたもの。絶対ソファーにとりつくぞ~!き~めた!
夫はやめてくれ~と言っておりますが(笑)。
さてあなたなら、一体誰の何に「とりつき」ますか?
今日も拙文お読みいただきありがとうございます。
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そこにはもう霊があるかもしれないとうことで。
それで私、仕方なくソファーに決めました(笑)。
のん子さんのお母様のことよく覚えています。
のん子さんが施設を訪ねると、きまってお母様が政治経済の質問をなさって、
なんてしっかりした頭の良いお母様だろうといつも感心していました。
>母は私よりも気が強かったのですよ(^-^;
フフフ、そうだったかもしれませんね。あの当時のお母上の様子からそれが分かります
だって形あるものは壊れるって言うでしょ?
背後霊って言うのか、その人が悲しんでいる時は寄り添って、迷っている時は後押しをします。
喜んでいる時は一緒に喜びます。
私は亡き母にいつも励まして貰っている気がします。
母は私よりも気が強かったのですよ(^-^;
いろいろ考えてしまいました、何になろうかって!
こんなことを考えられるのも、今が幸せだからなのだろうな~と思いました。
こばなさんもやっぱりソファーですか?
主人は毎日お前に睨まれているようで、安らげないっていいましたけど。)苦笑)
ソファーに座るのは主人だけではありませんものね。
子供や孫たちだって座りますものね。
「リビングのソファー」それいい良案ですね!
ご家族と共にどんな時も一緒に
包み込むようにやさしく励まし 喜びくつろぐのは「リビングのソファー」だもの。
いろいろ考えてみたけれど
私も同感 ソファーに^^
そうします(^‐' *)ゞえへへ