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世界に一つだけの姥花日記

貴方は貴方らしく私は私らしく、世界にただ一つだけのきれいな花を一生懸命咲かせましょう。
シニア主婦の平凡な日記です。

ザルツカンマーグート・トレールとサウンド・オブ・ミュージックを巡る旅~その2

2019年09月07日 | 海外旅行

2日目 8月23日(金)後半

ホッホケーニッヒを眺めながらのアルムの道の心地よいハイキングを終え、

専用車(バス)でウォルフガンク湖畔の美しい町、St.Wolfgang(サンクト・ウォルフガンク)へ。

湖と町の名は聖ウォルフガンクに由来し、町の中心には白亜の教区教会が建っています。

15世紀にMichael Pacherという人によってつくられた木彫りの祭壇は有名で、繊細な造りで見事です。

残念ながら内部は撮影は禁止でした。


このサンクト・ウォルフガンクの町と背後の山シャーフベルク(1783m)は、思い出があります。

今からちょうど40年前の夏、夫の仕事の関係で在独していた折、

実家の母が日本からやってきて、母と共に家族でオーストリアを旅しました。

子供たちは7歳と6歳、オペレッタで有名なこの「白馬亭」にも泊まりました。

<今も昔も変わらぬ佇まい>

そしてこの二人の幼子と夫3人はシャーフベルクの山頂に自らの足で登り立ったのです。


<40年前のアルバムから>

今思えばそれは無謀とも思える驚異的なこと!その間、私と母は街歩きをしたり、カフェでお喋りしたり。

シャーフベルクの標高は1783mありますが、サンクト・ウォルフガンクの町自体の標高も高いので、

登りの標高差は1000mぐらいでしょうか。

私は当時山登りには全く関心がなく、山を知る今の私だったら無理無理と止めていたかもしれません。

子供たち、本当によく頑張りました。きっと私も子供たちも山男の夫を信じていたのでしょうね。

下山してきた子供たちはニコニコして楽しそうにしていたのを今でもよく覚えています。


<当時(40年前)のアルバムから>

下りは登山電車でしたが。

この快挙にツアーリーダーもとても驚いていました。

今の息子の山への思いはこのころから自然に培われていったのかもしれません。

そして孫息子のYくんの話をしたら、是非将来はわが社へですって(笑)。


その登山電車に今回の旅行で私たちも乗り、楽々山頂に向かいました。

 

この登山電車は「サウンド・オブ・ミュージック」にも登場します。マリアの気分

山頂に到着したこの日の夕刻は霧が深く周囲の山並みは見えませんでしたが、翌日は素晴らしいお天気でした。

次回の写真をお楽しみに!

こちら山上ホテルも40年前と少しも変りなく、この日はここに泊まります。

雲上の人となりました。

左に見えるのが登山電車の山頂駅です。

スーツケースは山上ホテルにはもって上れず、一泊二日の荷物を背負って。

翌日は中間駅までハイキング(約2時間半)、中間駅からまた街まで登山電車を利用しました

続きます。


 


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ザルツカンマーグート・トレイルとサウンド・オブ・ミュージックを巡る旅~その1

2019年09月06日 | 海外旅行

第2日目 8月23日(金)前半

最初のハイキングのスタートです。

 

下記の地図はオーストリア全土、そして白線で囲んだ地域が私たちが歩いたザルツカンマーグットです。

最初のハイキングはそのうちザルツブルグに最も近くドイツ国境に隣接する、

ホッホケーニッヒ山塊群展望ハイキング。

花崗岩の険しいまるで立ちはだかる壁のような岩山を眺めながら歩きます。

<標識も分かりやすく、優しい道です>

しかし険しい山とは裏腹に足元はのどかな牧草地。

冬場は深い雪で覆われますが、雪が十分に解けたら、人々は家畜の群れに先導されながら、

谷間の村から高地へと移動し、山小屋で放牧をしながら乳製品を作り、生活します。

まさに「アルプスの少女ハイジ」の世界です。

そんな草原アルムにはアルメンベークというトレイルがあり、誰でも自由に山小屋で休息しながら、

散策を楽しむことができます。そんな1日を私たちも体験しました。

このアルメンベーク「アルムの道」は350キロに及ぶトレールで、オーストリでは老若男女、

とても人気のあるウォーキングコースだそうです。

できれば何日もかけて、少しずつ踏破してみたいと思わせる易しい楽しい道でした。

日本にも信越トレール、熊野古道、塩の道などなど、ロングトレールがありますが、少し雰囲気が違いますね。

こちらの山小屋のテラスでホテルで用意されたランチパックを頂きました。

<ヨーロッパのトレールには至るところに、こうしたキリスト像が掲げられています>


この初日のハイキングでちょっとしたハプニングがありました。

ツアー仲間のおひとりが転び、石でおでこを強打、緊急処置が必要となりました。

現地ガイドが彼女を病院に連れていき、数針縫うだけで大事には至りませんでしたが、

予定の行程の3分の2で引き上げることになり、最後まで歩けなかったことは少々残念でした。

しかし何よりもお怪我をされた彼女がお元気でその後も旅をつづけられたのが何よりでした。

足の捻挫や骨折ですと、歩くのは無理ですが、幸いおでこの怪我。本当に良かったと皆胸を撫でおろしました。

他人事ではなく私も気を付けなければと思った出来事でした。

この日の午後からの様子はまた次回に続きます。



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ザルツカンマーグート・トレイルとサウンド・オブ・ミュージックを巡る旅~序章

2019年09月05日 | 海外旅行

いよいよ書き出さねばなりません。

帰国して1週間が過ぎようとしています。

だらけた脳と体に「喝」を入れ、日常も鋏ながら、旅行の記録を徐々に更新することに致します。


ザルツカンマーグートと言っても、それどこ?と思われる方が多いでしょう。

オーストリア・ザルツブルグ市は日本でもよく知られた街です。

そのザルツブルグの東、アルプスの峰々に抱かれるように広がった山岳地域が、

オーストリを代表する景勝地、ザルツカンマーグートです。


<3日目 シャッフベルグから下山風景>

35の湖を有し、オーストリアの湖水地方とも言われているそうです。

ザルツカンマーグートトレイルは2017年春に新しく完成したロングトレールで

今回の旅行では登山電車やロープウェイも利用し、その最も有名な一部を歩きました。

<4日目 世界遺産 ハルシュタットの街>

美しい自然の景観を眺めながらゆったりハイキングを楽しみ、

不朽の名作「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台をも訪ねるという密度の濃い贅沢なプランです。

毎回利用しているAツアーの新しい企画で、ツアーリーダーも社長自らという豪華版でした。

 

8月22日~8月30日までの9日間。正味は7泊9日となります(機中泊2日)。

参加者は男性6名、女性10名、うち2組が夫婦、1組が親子、そのほかは友人同士、一人参加です。

今まで参加したA社のツアーの中では最も人数が多く、私も夫も高齢な方でした。

まずはウィーンに飛びますが、そこまででも12時間、3時間の乗り継ぎ待ちがあり、

ザルツブルグ近郊のアニフのホテルの部屋に落ち着いたのは深夜となりました。

 

翌日からのハイキングが少々心配になりましたが体調もグッド、何とか無事全行程を踏破。

気持ちの良いツアー仲間と毎日の好天に恵まれ、思い出深い山旅となりました。

いろいろなところを巡り、すでに記憶は混乱しておりますが、写真と「旅のしおり」を頼りに、

次回から日を追ってハイキングの様子をアップしていきたいと思います。

しばらくの間、旅日記にお付き合いください。





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バイエルンアルプスハイキング~その6 ツークシュピッツェ観光とアイプ湖一周ハイキング

2018年10月27日 | 海外旅行

ハイキングの最終日です。

3日間は山のリゾート地「ガルミッシュパルテンキルヒェンに連泊でした。

この町もフレスコ画を描かれた家々が多く、美しい山のリゾート地です。

最後の夜、ディナーを頂いたビーヤレストラン。

とてもラッキーなことに、私たちは最後の日も晴天に恵まれました。

正直、この日だけは絶対晴れてほしかった私たち夫婦です。

40年前の9月9日、私たちはツークシュピッツェの山頂に立っていました。

もちろんロープウェイで!

その写真がこれです。なんとどこもかも雪、雪、雪!真っ白でな~にも見えません。

右上の写真は重装備をして外を歩くアルピニストに手を振っているところです。

右下の写真はアイプゼーの散策。雨でした。

でも今回は違いますよ~!リベンジです!

朝目覚めたらホテルからこんな堂々とした美しい岩山ツークシュピッツェが仰ぎ見えました。

最初の予定ではアイプゼーまで専用バスで行き、そこからEipsee-Seilbahn(ロープウェイ)で山頂まで。

ところがロープウェイは故障、この日は運行中止です。

<このロープウェイに乗る予定でした>

そこで急遽ガルミッシュ鉄道駅からZugspitzebahnと別のロープウェイへと乗り継ぎ山頂へ。

この鉄道には山をくりぬいた長いトンネルがあるので、途中の景色はあまり見られません。

<午後歩く予定のアイプゼー。車窓から>

折角の晴天ですのに、Eipsee-Seibahnに乗れなかったのは残念です。

前回はアイプ湖に車を止め、このロープウェイで山頂まで行きましたが、雪で何も見えませんでした。

お客も私たち家族だけ(笑)。もの好きですよね。これだけはリベンジ不可でした。

 

私たちの車両にひとりだけドイツ人のおばあさんが紛れ込みました。

東洋人ばかりで驚いたのか、いろいろ話かけてきます。もちろんドイツ語。

ツアーリーダーは英語しかできません。そこで私の出番。通じましたよ、私のドイツ語!

きっと居心地が悪かったのでしょうね。他の車両に移られましたけど。

鉄道の終点(Schneefernerhaus)ですでに2650m.

ここから眺めた山頂の建物です。

スイスでもオーストリアでもいつも思います。よくぞこんな高いところにこんな立派な展望台を造ったものだと。

そしてヨーロッパンの山には必ず山頂に教会があります。日本の山の祠のようなものでしょうか。

 

ここからGletscherbahnに乗り換え山頂へ(2962m)。


<ロープウェイの中からの画像>


<眼下に見えるはアイプ湖>

360度、視界を遮ることなく、どこを見ても美しい山々が連なります。

そういえばZugspitzeの意味ですが、ちょっぴり知ったかぶりをしていいですか?(苦笑)

Zugは「列車」とか「行列」いう意味、Spitzeは「山頂」という意味です。

ですから連なる峰々とでも言いましょうか。

スイス、オーストリアの雪を頂いた山々が見えますが、どこがどこやらは説明不可です、ごめんなさい(汗)。

 

実は本当の山頂はこの岩山。十字架の立っているところです。

 

しかしここに上がるにはロープと梯を使って岩をよじ登らなくては行けません。

 

ほとんどの観光客が展望テラスで展望を楽しみます。十分です、満腹ですね。


山頂での展望を楽しんだ後、アイプ湖まで再び戻り、湖一周ハイキングです。

アイプ湖は周囲約8,8キロ、深さ約35m、氷河の後退によってできた氷河湖です。

こちらも40年前は雨でしたので、リベンジです。

厳しく切り立った岩山と蒼く澄んだ湖面、黄葉紅葉のコントラストに目を奪われながら、

約2時間の心地よいハイキングです。なだらかな道で、家族連れ、老若男女で賑わっていました

<この橋には見覚えがありました。上のアルバムに乗っている橋です>

名残を惜しみながら、これが秋色染まるドイツの最後のハイキングです。

さようなら、ドイツ!ありがとう、ドイツ!私にとって第二の故郷ともいえるドイツ!

思い出と交錯しながら楽しい楽しい旅でした。

「きっとまた来ます」と言いたいところですが、来れるかな~?

翌日早朝、アムステルダム経由で無事帰国しました。


長々とバイエルンアルプスハイキングの旅におつきあいくださり、ありがとうございます。

書きたいことの半分も書けず、載せたい写真の半分も載せられずでしたが、楽しんでいただけたでしょうか。

とりあえずこの辺りで旅行記のペンをいったん置くことに致します。

 

旅行ブログを綴るのに精いっぱいで、皆様のブログにも足跡を残すことができず失礼をしておりました。

これからボチボチお訪ねしたいと思っております。どうぞ宜しくお願いいたします。


            

 

さてさて今日から日本シリーズが始まります。

今から、もう私のボルテージは上がりっぱなし。

ソフトバンクファンでない方々、どうか私のために(?)広島カープの応援よろしくお願いいたします。

 

 

 




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バイエルンアルプスハイキング~その5 フュッセンからへノイシュバンシュタイン城へ

2018年10月26日 | 海外旅行

バイエルンアルプスハイキングも終盤です。

正直このシリーズも早く終わらせたい気分(少々疲れた~)。

でも旅の記録としてどうしてもまとめておかなければなりません、自分のために。

帰国してこうしてブログを綴ることにより、思い出はより一層濃くなっていきますから。


10月10日、この日はロマンティック街道の終着の街フュッセンから、美しい落葉樹の森を抜けて、

ノイシュヴァンシュタイン城の起点となるホーエンシュヴァンガウまで歩きます。

ガイドはドイツ人と結婚、30年この地に住む日本人女性ゆかりさん。

ハイキングしながら、主婦の立場でいろいろなドイツ事情を伺え、とても楽しかったです。

<朝霧にかすむレヒ川に面した聖マング市教区教会とフュッセン市博物館>

フュッセン博物館は9世紀から1802年まで修道院として町の繁栄を支えてきました。

現在はフュッセンにまつわる博物館、また市庁舎として使われています。

<14~5世紀に建てられたアウグスブルク大司教の離宮ホーエス城>

フュッセン博物館、そしてこのホーエス城の建物はとてもユニークなところがあり、

一見すると本物に見えますが、外壁のレンガ、窓飾り、時計・・・全て「だまし絵」なのです。

実にうまく描かれていて、説明がなければ気が付かない程です。


山に入ります。ここはアルペンローゼーベーク(Alpenroseweg)といい、

名前からするとアルプス三大名花アルペンローゼがたくさん咲いている道に思えますが、

ガイドのゆかりさんおお話では、咲いているのを見たことがないと。

 

<レヒ川>

この道は今回の旅行で最も山道らしい山道であったかもしれません。

今から訪れるノイシュヴァンシュタイン城の後方に見える二つの湖、シュヴァン湖、アルプ湖を見下ろしながら、

アルプ湖のほとりのホーエンシュヴァンガウまでのハイキングです。

でもハイキングの写真がほとんどありません。夫も撮っていなかったようです。

<左上に白亜の城 ノイシュバンシュタイン城がみえます。眼下はアルプ湖 右下は博物館>

途中アルプ湖を見下ろし、ノイシュヴァンシュタイン城を見上げるビューポイントです。

ノイシュヴァンシュタイン城が目に飛び込んできた時には「ドイツに来たんだ~」という感動がありました。

<ホーエンシュバンガウ城 黄色味のどっしりとしたお城>

40年前訪れた時はもっと古色蒼然とした風情があり、Schloss(城)というよりBrug(城塞)といった感じでしたが、

今回は黄色味濃くぬりかえられたのか、美しいお城のイメージで、以前の方が歴史が感じられいいな~と思ったものです。

 ルードヴィッヒ2世の父マクシミリアン2世が建てたお城で、ルードヴィッヒもここで幸せな子供時代を過ごしました。


さて昼食を挟んでいよいよドイツ旅行のハイライトともいえるノイシュバンシュタイン城へ向かいます。

その前に一休み

 

中央が日本人現地ガイドのゆかりさん。

<レストランから見上げるノイシュバンシュタイン城>

お城への行き方には3つの方法があります。徒歩、馬車、専用バス!

これにもびっくり!半世紀近く前に私たちが訪れた時は徒歩か馬車しかありませんでした。

幼い二人の子供を連れて、坂道を40分かけて歩いて登ったものです。

ですから今のように混雑もしていませんでしたし、すぐに入場できました。写真もOKでした。

今回は専用バスで。バスの終点は人気の絶景ビューポイントマリエン橋。


<お城の後方、左側がアルプ湖 右側がシュヴァン湖>

ちなみにシュヴァン(Schwan)は白鳥、ノイ(neu)は新しい、シュタインSteinは石の意味。

日本人ツーリストの中にはノイシュバインシュタインという方がいますが、これは大きな間違い。

シュバインはドイツ語で豚になりますからお気をつけてとゆかりさん!(笑)

この橋へも当時はお城から山道を歩いていかなければならず、知る人ぞ知るのビューポイントでした。

当時のブルーガイド「ドイツの旅」にもマリエン橋の詳細な紹介はなく、こう綴られています。

「山間の美しい湖アルプエゼーを背景に眺めるその姿は、この世のものとも思われないほど。

残念ながら裏山への一般登山道はない。裏手の山道をたどり渓谷にかかる高い橋の上から眺めるとよい」

「渓谷に係る高い橋!その橋が今のマリエン橋です。

そして裏手の山道の入り口がここ!現在は通行止めになっています。懐かしかったな~。

当時は名前もなかったような。道すがら人に会うこともなく、その絶景は私たち家族で独占でした。

お城の内部からマリエン橋を撮った画像。よくぞこんなところに橋を架けたものだと感心しました。

下を見るとちょっとコワイですよ。

ノイシュヴァンシュタイン城から今歩いてきた道が見えます。

右の湖シュヴァン湖の奥の森の中を歩き、左のアルプ湖のほとりを歩き、

ホーエンシュバンガウ城のふもとへ出てきました。


お城の内部は日本語の音声ガイドがあり、撮影は禁止です。

バイエルン王ルードヴィッヒ2世は17年の歳月と巨額の費用をかけて、憧れの中世のお城を実現させました。

というのもこのお城は決して中世に建てられたものではなく、19世紀後半の築城です。

城内は王の憧憬した作曲家リヒャルト・ワーグナーのオペラの名場面の壁画で埋まり、

絢爛豪華で目を見張ります。そこは昔と変わっていません。

が、彼は建築と音楽に破滅的な浪費を繰り返し、「狂王」の異名のもと、城の完成を見ずして、

シュタルンベルク湖ほとりのベルク城に幽閉され、その翌日シュタルンベルク湖で謎の死を遂げます。

この方がルードヴィッヒ2世!イケメン王ですね。

こうした悲劇の物語が、いっそうお城の美しさを引き立てているようで、私たちのロマンは掻き立てられます。

築城当時、決して歓迎されず、狂人と言われたルードヴィッヒ2世の建てたこの白亜のお城が、

いまやドイツ観光のシンボルマーク、ドル箱になっているのも、なんとも皮肉としか言いようがありません。


帰路、のどかな草原の真っ只中に立つ世界遺産ヴィースの教会に寄りました。

 

ヨーロッパでもっとも美しいといわれるロココ様式の教会で、内部の華やかさと壮麗さに目を奪われます。

やはり内部撮影は禁止です(40年前はOKでしたが)。

さらに木工の町、オーバーアマガワにも寄りましたが、内容濃い今日のスケジュールにもう皆少々お疲れ。

写真無しです。


さて最後におまけの写真を2枚!40年前!アルバムから。

当時のマリエン橋で。

後方小高い丘の上にノイシュヴァンシュタイン城が見えます。

いまや立派なおじさん、おばさんとなったこの二人のわが子はこのお城に当時何を感じたでしょうか。





 




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