YUKI

言語、言語で表現できることすべて

「鬼滅の刃」について知っている二三の事柄…「他人」&「死」

2020-10-31 00:19:09 | Weblog

「鬼滅の刃」という、ある意味「グロ」な作品が

何故「老若男女」全世代に受けるのか?

 

それは、作品の世界観=哲学 が、極めて「同時代的」であるからだ。

 

「同時代的」とは、この今という時代を生きる人たちの

世界に感じる違和感を明確化し、違和感を癒すものを提示している

ということです。

 

それも、ヲタク的SFガジェットや、衒学趣味に依らずに…

 

時は「大正」…アメリカなら1950年代のような…日本の古き良き時代。

「長男」炭治郎のビルドゥングス・ロマン(成長・冒険・偉業記)である。

でも、何故か最終話で示唆されるのは『善逸伝』w

 

生き物にとって、この世は「過酷で不条理なもの」である。

そんな当たり前のことをドヤ顔で「批評のネタ」にされても困るのであって…

ワニ先生は、極めて哲学的に、問題を二つに集約する。

「他人」&「死」である。

 

※「他人」とは、価値を共有できない他者のことである。

縁壱(よりいち)の台詞

「誰かに 話を聞いて欲しかった」

「随分 考えて 思い浮かんだのが」

「お前と すやこの 顔だった」

 

…(妻亡きあと、炭治郎の祖先だけが、縁壱にとって「他人」ではなかった)

 

「自分が 命より大切に 思っているものでも」

「他人は 容易く 踏みつけにできるのだ」

(これが「他人」という存在なのです)

 

※「死」への向き合い方、「死」を超える

珠世(たまよ)の台詞

「さあ お前の大嫌いな 死がすぐ其処まで 来たぞ」

 

徹底的に自己中心な「無惨」は、

不老不死で陽光下でも活動できる「究極生物」に成ること

それにしか価値を見出しません。

血を分けた鬼も、実験体でしかありません。

 

一方、鬼から人間に戻りつつある炭治郎の台詞

「自分ではない 誰かのために 命を懸けられる 人たちなんだ」

「自分たちがした 苦しい思いや 悲しい思いを」

「他の人には して欲しく なかった 人たちだから」

 

つまり、「普遍で不変な価値を共有する仲間を信じること」

これによって、

「他人」&「死」という世界が過酷で不条理である根本原理を

炭治郎は克服しているのです。

 

「鬼滅の刃」では次々と人が死ぬ。

無惨に太刀打ち出来る者を守るため、所謂雑魚キャラの鬼殺隊員は、

何の躊躇もなく進んで身を盾にして、炭治郎たちを無惨の攻撃から守った…

 

彼らは、滅んだのではない、良い鬼(亡くなった人)となったのである。

悪い鬼を滅するために…

 

 

 


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