「末法思想」というものがあります。
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釈迦の入滅後、二千年を経過すると、一万年間は釈迦の教えだけが残り、
悟りを得る者はいなくなるとするのが末法思想であり、中国から伝えられた。
平安時代後期は飢饉や日照り、水害、地震、疫病の流行、僧兵の抗争が続き、
貴族も民衆も危機感を募らせ、末法の到来におびえた。
末法の第一年は1052年(永承7年)に当たるとされ、
末法の救いを阿弥陀仏に求める浄土信仰が盛んになり、
この年に関白・藤原頼道が宇治の平等院に阿弥陀堂を建立した。(imidas)
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仏の教えが理解されず、乱れた世が「末法の世」であって
「世界の終末」とは違います。
私の実家は日蓮宗のお寺。
一代でそのお寺を気づいた父は、人となりや経歴が日蓮とかな~り似ています。
いわゆる「法力」はあるんだが、尖った人間で、敵も多かった。
(私も世が世なら?教祖?になっていたかもネ)
そんな父が晩年によく言ったのは
「親が子を殺し、子が親を殺す時代が来る」…でした。
ここ数日はそんな父の予言を裏付けるようなニュースばかり。
マスコミが大きく取り上げるから増えているように感じるだけだ、
と思っていたら、統計的にも親殺し・子殺しが増えてきているのだそうです。
「家庭が社会から孤立しているために、怒りや怨みが家族に向かう」
というふうに分析する人もいます。
まぁ、殺人事件というものは通り魔殺人というよりも
知っている同士で殺しあうケースがほとんど、ということです。
しかし人の命に違いはないというものの、やはり「親殺し・子殺し」というのは
その殺すに至る心情を思えば悲惨を極めます。
狂った心で「何か」を解決しようとしているのでしょうか?
人生に「解決」はありません。
人は四苦八苦して生き続けるのみです!!
「苦」が「どうにもならないこと」である事実を
受け入れる…物事の道理を知ることこそ 仏の教え なんだが…
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釈迦の入滅後、二千年を経過すると、一万年間は釈迦の教えだけが残り、
悟りを得る者はいなくなるとするのが末法思想であり、中国から伝えられた。
平安時代後期は飢饉や日照り、水害、地震、疫病の流行、僧兵の抗争が続き、
貴族も民衆も危機感を募らせ、末法の到来におびえた。
末法の第一年は1052年(永承7年)に当たるとされ、
末法の救いを阿弥陀仏に求める浄土信仰が盛んになり、
この年に関白・藤原頼道が宇治の平等院に阿弥陀堂を建立した。(imidas)
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仏の教えが理解されず、乱れた世が「末法の世」であって
「世界の終末」とは違います。
私の実家は日蓮宗のお寺。
一代でそのお寺を気づいた父は、人となりや経歴が日蓮とかな~り似ています。
いわゆる「法力」はあるんだが、尖った人間で、敵も多かった。
(私も世が世なら?教祖?になっていたかもネ)
そんな父が晩年によく言ったのは
「親が子を殺し、子が親を殺す時代が来る」…でした。
ここ数日はそんな父の予言を裏付けるようなニュースばかり。
マスコミが大きく取り上げるから増えているように感じるだけだ、
と思っていたら、統計的にも親殺し・子殺しが増えてきているのだそうです。
「家庭が社会から孤立しているために、怒りや怨みが家族に向かう」
というふうに分析する人もいます。
まぁ、殺人事件というものは通り魔殺人というよりも
知っている同士で殺しあうケースがほとんど、ということです。
しかし人の命に違いはないというものの、やはり「親殺し・子殺し」というのは
その殺すに至る心情を思えば悲惨を極めます。
狂った心で「何か」を解決しようとしているのでしょうか?
人生に「解決」はありません。
人は四苦八苦して生き続けるのみです!!
「苦」が「どうにもならないこと」である事実を
受け入れる…物事の道理を知ることこそ 仏の教え なんだが…