YUKI

言語、言語で表現できることすべて

Addicted to "貪欲まつり"

2008-01-06 23:37:37 | Weblog
お正月は、どこへも行かずヒッキ~生活。
まぁ、これはこれでいいんです。

しょこたんの『貪欲まつり』DVD…毎日、見てる。
オープニング~Brilliant Dream がいいんだねぇ。
映画を観てるみたい…アイドルの極みです。

で、結局しょこたんのCD、全部買っちまいますた。
さて、明日から出勤!さっさと寝ちまうことにしましょうか。

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米米クラブ石井vsしょこたん

2008-01-06 22:31:08 | Weblog
TV番組の対談…
今後の米米クラブはどうなっていくのか、という
しょこたんの質問に石井氏は割と真面目に答えてます。

「もう今後っていうことを常に頭には入れないで、
 これでもうできないかも知れない、これで最後かもしれないと毎回思うことが
 続けられる要因になるんじゃないかなと思うんですよね。
 そういう危機感というか。」

これに賛同して、しょこたんが
「人生が3万日しかないと聞いてネガティブになるけど
 そういうポジティブに焦るのはいいですね」と言ったら…

石井氏は「男も5リットルぐらいらしいね…」と云ってますた。

しょこたん「ギガント アセルス」

石井「… … … ぇ?新手のような。」

しょこたん「ギザの上です」

石井「そういう感じがする。ギガントの上は?」

しょこたん「とりあえず、今のところ ビッグバン」

石井「いいね~。オレ、ビッグとか付くの大好きなんだよ」

…ギガントの上がビッグバンというのは、
アドリブっぽかったけども、どうなんでしょう?

そういえば、ドリマガDVD「N3」のテュルル・コスプレで
ウメダ編集長に「連載打ち切りですか?」なんて聞いてたなぁ。

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教職の専門性3 「よい授業」とは?

2008-01-06 21:41:23 | Weblog
残念ながら、授業研究はほとんど進んでいない、というのが現状でしょう。
某教育センターにある授業研究関連の書籍を漁ってみましたが
高校レベルは皆無、ほとんどが小・中学レベルです。

更に、よいとされる授業に共通する要素は何か?
といった実証的研究も寡聞にして知りません。

しかし断片的ではありますが、「よい授業」の要件もあることは、あります。

古い授業分析法に「発話量」の測定があります。
教師、生徒の発話量と、その種類を分析・統計処理するのですね。
一般にダメな授業ほど教師の発話量が多く、生徒のそれが少なくなるようです。

また、「学び」とは極めて内面的なものであり「理解」と「記憶」は違います。
授業で派手な「活動」をして、その場では分かったような気になっても
数日たって「活動」したことは覚えていても肝心の中身は忘れたりします。
「理解」が「記憶」されるには「教材の論理性」が深く関わっています。

教材の論理性が高いほど、長い目で見れば、より記憶に残るのです。

つまり、教師の発言量をより少なくし、生徒の発言量を増やすようにして
論理性の高い教材を用意すれば、よい授業になる可能性が高くなるのですね。

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教職の専門性2 「授業」とは?

2008-01-06 21:31:11 | Weblog
授業の3要素は次の通り。
①教師(指導者)
②教材(印刷されたものとは限りません)
③生徒
このどれが欠けても授業は成立しません。

「学習者中心」というのが流行り言葉になっていますが、
大きな誤解もあるようです。
生徒に何らかの目立つような「活動」をさせていれば「学習者中心」である!
というのがそれ。

本来的には
「授業に関する意思決定…
 何を、どのように、いつ、どの程度学ぶのか
 に関する意思決定に、どの程度
 学習者の意思が反映されるのか?」
ということが学習者中心の度合いなのです。
ですから、学習者中心の一極は「自学」であって「授業」ではありません。

教材を介した、教師と生徒の相互作用

これが授業の定義なのです。
ですから、教師中心か、生徒中心か、というのは虚しい議論。

西欧的にいえば、講義式の授業でも、授業時間の半分が講義で
残りは質疑応答にするのが一般的なのです!!







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教職の専門性

2008-01-06 21:21:30 | Weblog
教師は専門職と、ILO・ユネスコの「教員の地位勧告」にはありますが
いわゆるprofessionalという語には初等・中等教育の教師は含まれていません。

日本では教員免許は教育学部の専売特許ではないし、
短期大学でも所定の単位さえ取得して申請すれば、取れます。

公立学校の教員採用は各自治体で試験をやってますが
試験はブロックごとに同一日で
同ブロック内近隣県の採用試験を両方受けるのは不可能。
私立学校は、各学校の裁量です。

これが教師になるための制度的側面。

一方で、専門職とされる大学教師になるには教員免許もいりませんし、
大々的な採用試験があるわけでも研修義務があるわけでもありません。
不思議ですね。

初等・中等教育教員免許の更新制という悪法を、勢いで可決してしまった手前、
どんな更新研修にしようか、これから!!でっちあげようとしているようです。
これも不思議な話です。
必要な更新研修があるから、更新制にするのではないのです。
何をやるかは、全く!!決まっていないのですよ。

教員の初任者研修に続いて、10年研修も法的な根拠を持つようになり
文部科学省の管轄下になりましたが、
大枠があるだけで、ほとんどは各自治体に丸投げ状態で
何の補填もないまま、実態にそぐわない研修に出なければならないのですから
10年研修はすこぶる評判が悪いのです。

免許更新制となれば、そんなことでダメ(なハズ)なので
「教職の専門性とは?」というのを 今から!!研究するようですねぇ。
いやはや、落語 そばや のはるか上を行きますネェ…

日本の教師は、部活動や担任制など仕事が多すぎます。
そのため、本来の仕事が何なのか曖昧になってしまいがちですが
「授業」こそが本来の仕事であることに異論はないでしょう。

実際問題として、「仕事」が忙しすぎて「授業」を「自習」にする
主任の先生方もおられるようですが…

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