「問題点はどこ?」11月12日
『いじめ報告書 加害者側に』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『自殺を図った熊本市立中3年の男子生徒の調査報告書を、学校が被害生徒の了解を得ないまま、いじめた生徒側に渡していたことが分かった』のだそうです。この行為に対して、識者からの批判がなされているようで、市教委も被害者側に謝罪したということです。
私もこの学校の対応は問題だと考えます。ただ、何が問題なのかということが、記事からはよく読み取れませんでした。通常こうしたケースでは、学校という教委の一出先機関が、いじめ調査報告書という公文書の公開請求に独断で応じることはありません。そんな権限はないのです。
請求を受けた校長は、教委に報告し、報告を受けた教委は市役所の情報公開担当部署に問い合わせ、情報公開の是非、範囲、方法について判断を仰ぎます。そこで、いじめ加害者とされた生徒側にとっては報告書の内容は重要な公的情報であると認定され、その公開の条件として、いわゆる黒塗りすべき箇所の指定や付帯条件として被害者側への連絡もしくは許可が指示されるというのが一般的な流れです。
記事では、被害者側の了承の有無ばかりが問題視されているように受け取れますが、一番の問題は、地方自治体として定められていた行政手続きが守られていなかったことなのです。これでは、市民は安心して自分の個人情報を市に委ねることができません。
もし、上記のような手順を校長や副校長が理解していなかったとしたならば、それは管理職として重大な失態であり、少なくとも一般公務員の管理職であればそんなことは考えられません。学校管理職が法や規則の意味、その執行上の留意点について詳しくないという弱点が表面化した事例とも考えることができそうです。
さらに、記事の見出しが『いじめ報告書加害者側に』となっていることに象徴されるように、いじめ報告書を加害者側に渡すこと自体が問題であるかのような論調にも疑問を覚えます。加害者にもその保護者にも人権があり、それは守られなければなりません。悪いことをしたのだから我慢しろ、加害者が人権など主張するな、というのであれば、それは暴論であり、我が国はそんな野蛮社会ではないことを主張したい思いです。加害者も市民であり、自分に関する個人情報を行政機関に公開請求し、必要があれば訂正を求める権利は保証されなければなりません。それはいじめ事例でも変わりはないのです。
これらの指摘は、いじめ加害者に甘く被害者に厳しい、というようなものではなく、あくまでもあるべき行政の在り方を示したものです。行政の信頼性は、過剰に情実を絡めることなく、ある意味無味乾燥とでもいうべき規定遵守が基盤となること、それは教育行政においても同じであることを言いたいだけです。