「基盤は?」8月6日
『東大大学院 授業英語科の波紋』という見出しの記事が掲載されました。『「授業の英語化をスタートします」-。東京大大学院工学系研究科のこんな宣言が話題を呼んでいる』ということで、その背景や反応、課題などについて報じる記事です。
私は、工学のことは全く分かりませんし、大学院教育についても素人です。ですから、この問題に直接言及することはしません。ただ、気になる記述がありました。東京大大学院工学系副研究科長津本浩平氏の言葉です。津本氏は、「母国語で高等教育が受けられなくなるのでは」という懸念に対し、『無理にすべての授業を英語化するということではありません。母国語で学ぶ機会が失われることに対する警戒感は、もちろん私たちの中にもあります。基盤となる学問はこれまで通り母国語で講義します』と話されているのです。
基盤となる学問とは何を指すのでしょうか、というのが私の疑問です。今、高校でも英語で授業、を売り物にしている学校が出てきています。もしかすると、そのうち中学でも、あるいは小学校でも英語で授業をセールスポイントにあげる学校が出てくるかもしれません。私立や小中一貫校、中高一貫校など、いわゆる「出来る子」を対象として、です。
私はそうした動きには反対の立場です。母国語で学び、考えてこそ学習が深まると考えるからです。しかし、理系(古いかも)においては、国際共通語的な存在が必要であることも理解できます。そこで、何は英語で、何が母国語なのか、それをはっきりさせることが必要になると思うのです。
それを考える際に、津本氏の言う「基盤となる学問」が参考になると考えます。まさか、工学系大学院で、日本文学や日本の歴史を「基盤~」とは言わないでしょう。私は母国語で学ぶべきは、哲学や倫理、思想や宗教、法学などの人文科学系の学問だと考えています。そしてそれらは、新しい技術が研究室を出て社会に実装される際には、絶対に必要になると考えています。小中高の教科で言えば、国語と社会に関連が深い内容です。
大胆に言い切れば、算数・数学と理科は英語でもよいが、他は母国語でということです。それでよいのでしょうか。津本氏には、もう少し詳しく語ってほしいと思います。経済学も社会学も、影響力のある論文は英語で書かれているようにも思いますし。
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