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ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

言われたことを鵜吞みにせずに

2016-11-07 07:15:18 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「迷路の中に」10月31日
 『「辞めればいい」気付けぬ怖さ 過労自殺の心理漫画に』という見出しの記事が掲載されました。『過労自殺に至る心の家庭やそこまで追い込まれないための対処法を描いた漫画』が、イラストレーター汐街コナ氏によって描かれたことについて報じる記事です。その中に『過労死に話が出るたびに「死ぬくらいなら辞めればいい」という意見が出ることに、「それすら考えられなくなる状態に陥るリスクを伝えたかった」と汐街さん。メールでの取材に「『まだ大丈夫』と思える段階で、対策を打たないと逃げられなくなってしまう~」』という記述がありました。
 これは、いじめ問題にも当てはまります。私は教員時代にも、教委勤務時代にも、何県下のいじめに対応しました。相談室で被害者と2人きりになって話を聞くのですが、そのとき共通してみられる現象があります。まず、困り嬉し顔です。今まで必死になって我慢し隠してきたことを知られてしまったという困惑の表情とともに、ようやく気が付いてくれる大人が現れたという安堵感、喜びの表情です。彼らはその2つの気持の間で揺れ動きながら、次第に後者の豊饒を強く表すようになってきます。
 次の共通点は、「大丈夫です」という言葉による援助の拒否です。いじめの事実があることを打ち明けられた私は、「先生にできることはないかな」と問いかけるのですが、それに対する答えは、しばらく考えた後、笑顔を見せながら「大丈夫です」なのです。「自分で何とかできると思います。本当に困ったら先生に助けてもらいます」ということもあります。
 一番初めにいじめ問題に対応したとき、未熟だった私は、彼女のこの言葉を信じてしまいました。そして、「それじゃあ、先生も注意して見守っていることにするね。苦しくなったら遠慮せずにすぐに言うんだよ」と言って、具体的な行動を起こしませんでした。翌々日から、彼女は欠席し、再登校できるまで2週間もかかってしまいました。
 彼女は私との面談で噓をついたのではありません。彼女自身、私という味方もできたことだし、今まで耐えてこられたのだからこれからも大丈夫、と本当に思っていたのです。しかし、実際には彼女の心は彼女自身が思っていたよりも深く傷ついていたのです。自分で自分のことが分からない状態、迷路の中で歩き回り体力を失って倒れる寸前という状態に対する自覚がなかったのです。
 私はこの経験をしてから、「先生に何ができるかな?」とか「先生にしてほしいことはない?」というような問いかけで終わらせてはいけないということを肝に銘じました。被害者から「大丈夫」という言葉が返ってきても、「偉いね、でも、少しでも楽になれるように、○○してみようか」と自分の方から具体的な行動を提案するようになったのです。○○は、「休み時間に先生が教室にいる」だったり、「放課後に用事を頼む」といった軽い対応から、専科教員に伝えておくこと、加害者を読んで話を聞くといった当たり前のこと、話を聞くだけではなく強い指導をすることという場合もあり得ます。それは被害者の状況と学級の状況によってプロの判断をするしかありません。
 危機的状況に置かれた子供の混迷した判断力を信用してはいけないのです。

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