ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

欲を捨てれば・・・

2016-11-21 07:38:28 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「欲を捨ててしまえば」11月13日
 作家で僧侶の小池龍之介氏が、『支配欲のむなしさ』という表題でコラムを書かれていました。その中で小池氏は、『「こうしろって言ったのに、なぜ従わないんだッ」という、支配欲に基づく怒り』について語っていらっしゃいました。
 小池氏は、『支配欲に駆られて押し付けると、相手は必ず反発するか不満を感じますから、支配なんてうまく行きっこない定め』と述べ、『他人の世界に入りこみ、変えようとするのは無理、と一線を画して諦めれば、平和なのです』と諭してくださっています。
 複雑です。だって、小池氏が上記のように話すことも、支配欲が強い他人に支配欲を捨てさせようとする行為、相手を変えようとする行為であり、やはり支配欲の発露なのではないかと思うからです。私の認識が浅薄なのかもしれませんが、宗教家は自らが信じる宗教に従って他者を変えさせようとする人なのではないか、という思いを捨てることはできません。
 まあそれはともかく、相手を変えさせようと考えてはいけないということになれば、教育というものは成り立たないのではないでしょうか。字を書けない子供に字を覚えさせるのも、相手を自分の望む方向に変化させることですし、走り回っていた子供を45分間椅子に座らせておくのも相手を自分の思うとおりに行動させる「支配」に他なりません。
 もちろん私も、学校教育に長年携わってきた者として、支配欲をむき出しにして、「いいから私の言うとおりにしなさい」とばかりに、指示や命令で子供を変えようとすることについては批判してきました。人間は他人を変えることはできない、変わることができるのは自分だけ、自分が変わることで他人も変わるのだという考え方を基盤に据え、「この子はなんでこんな態度をとるんだ」と子供に原因を求めるのではなく、「教員である自分の何がこの子にこんな態度を取らせているのか」と振り返り、教員としての自分を変えることで子供の変容、成長を促すのが良い教員であると考えてきました。
 それすらも、結局は相手=子供を自分の思う方向に変えようとする試みなのですから、手段が違うだけで支配欲の発露の一種です。これすら否定されてしまえば、教育は成り立ちません。
 宗教家の考える教育とはどのようなものか、今まであまり考えたことがなかったのですが、小池氏が、引き続きこのテーマで語ってくだされば、何かヒントが得られるかもしれません。

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