goo blog サービス終了のお知らせ 

ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

家庭教育の「北風と太陽」

2016-11-10 08:18:46 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「望ましい家庭教育像」11月3日
 『24条改正へ布石か 自民検討 家庭教育支援法案』という見出しの記事が掲載されました。自民党が来年の通常国会に提出しようとしている「家庭教育支援法」について、憲法改正との関連から解説する記事です。記事によると、同法に対しては、『家庭教育を「国と社会の形成者として必要な資質を備えさせる」などと規定』『家庭教育ができていない親は責任を負っておらず、明らかに法律(教育基本法)違反』『国に役立つ人材を育てよ、と保護者に命じる内容。家族が基礎的集団で国家を支えるという発想』などの批判が起きているということです。
 当然の批判です。私はこのブログで、我が国の「教育」の現状について、学校教育にばかり過重な負担がかかり、本来それぞれの機能を果たす中で同等に教育を支えるべき家庭教育・社会教育が担うべき役割を放棄している、という趣旨の主張を繰り返してきました。そうした立場から、家庭教育力の教科には大賛成です。しかし、このことを議論する際に共通理解しておかなければならない、家庭教育の役割とは何か、という点が曖昧だと感じるのです。
 家庭教育と学校教育の違いを論ずる際には、前者が非系統的であり、問題解決的であるのに対し、後者は系統的且つ受動的という点を忘れてはなりません。分かりやすく言えば、家庭教育はあらかじめ今週の月曜日は○○、火曜日は△△、水曜日は◇◇、というように計画があり、それにしたがって親が指導に当たるというものではなく、子供がこんなことしたからこんな注意をしよう、こんなことに困っていたからヒントを出して助けてあげよう、こんなに喜んでいるから一緒に喜んであげよう、というようにその場その場での具体的対応の積み重ねが家庭教育の基本的性格であるということです。もちろん、家庭の教育方針というものは存在するはずですし、そのことによって家庭ごとの違いが生じてくるのですが、家庭の教育方針は、日々の出来事への対応を直接統制するものではありません。
 このように述べると、家庭教育においても、○歳でピアノと英語を習わせ、小学校は私立のA大学付属、小学校4年生から塾に通わせ、将来は東大の文Ⅰへ、という計画があるという方がいるかもしれませんが、それは家庭教育の本来の役割とは関係のない部分でしかありません。
 では家庭教教育の主たる役割はというと、子供の精神と肉体の健康状態を良好に安定させ、人間という存在への基本的な信頼感、他人への共感、社会ルールへの肯定的受容性を培うことなのです。これもわかりやすく言えば、保護者への信頼感によって外部社会で負った心身の傷を癒し明日への活力を与える母港の役割と最低限の躾ということになります。決して塾や家庭教師によって早期教育を施すことではありません。
 以上のような認識に立ったとき、国に役立つ人材育成という発想が家庭教育になじまないことは明白です。家庭教育と人材育成の関係は、あくまでも家庭が母港と躾という機能を果たせば、その子供は社会にとって有為な存在に成長していく可能性が高いという結果論、経験論でしかないのです。
 さらに、教育基本法違反という発想には、現状への理解が足りません。例えば、不登校の問題があります。かつて不登校が問題となったとき、保護者には子供に義務教育を受けさせる義務があるのだから、不登校の子供の保護者はこの義務違反であり、何らかの罰を与える必要がある、ということを不登校対策として口にした政治家がいましたが、世論の猛反発を受け、発言を撤回することになりました。そのときと全く同じ構造です。この法案を推進しようとしている皆さんは頭が悪いのでしょうか。過去の失敗に学んでいないのでしょうか、と思わざるを得ません。法律を杓子定規に解釈して罰で脅せば人が動くというのは、人間性を理解しない幼稚な発想です。
 今求められている家庭教育支援は、ワークシェアリングにより、非正規雇用を減らして将来への不安を軽減するとともに、子供と保護者がともに過ごす時間と肉体的精神的余裕を与える政策を推進することだと思います。北風と太陽の寓話の精神は、ここでも有効なのです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする