ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

なぜ見つめている

2018-08-21 08:13:00 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「好き」8月14日
 『赤ちゃん「注目される人」好き』という見出しの記事が掲載されました。京都大などの研究チームが実験結果を発表したという記事です。記事によると、『生後10カ月の赤ちゃんが人間同士の視線の動きを観察し、「他者から見られる人」を好む傾向がある』ことが明らかになったということです。それが先ほどの見出しになったのでしょう。
 しかし、私は臍曲がりなのか、納得できません。実験は、『視線を送られた女性、そらされた女性を一緒に画面に示し、赤ちゃんがどちらを長く眺めていたかを計測』するというもので、前者の方を見ている時間が長かったということだけなのです。長い時間見ていたということがどうして「好意」を表していると言えるのでしょうか。
 生き物には、危険を察知し身を守るという本能があります。ですから、赤ちゃんは注目された女性を自分にとって危険なものだと認識し、警戒感から注意深く見ていたという解釈だって可能だと考えるのです。他の者もその女性を危険だと感じたから長い時間見ていたのだと本能が告げ、自分も警戒していたということです。
 もちろん、実際には、記事には書かれていない条件や情報があり、「好意」という解釈には合理性があるのでしょう。ただ、私はこの記事から、解釈というものの危険性を指摘しておきたいと思うのです。教員は、子供の言動を観察し、いくつかの観察結果を重ね合わせて、子供の感情や情動を理解しようとします。そのとき、いくら注意深く子供の言動観察を重ねていても、その解釈を間違えてしまえば、正しい理解には結びつきません。
 授業中に子供が鉛筆を持ったまま、何も書こうとせず窓の外を眺めている、この行動に気がつかないのは未熟な教員です。話になりません。でも、気がついたとして、それが授業内容以外のことに気を取られて集中できていないと解釈するか、何か頭の中に考えが浮かんできているが一つにまとまらず思索にふけっている状態とみるのか、ちょうど窓ガラスに珍しい蝶が止まっていたのを発見するか、によって教員の取るべき対応、指導助言の在り方は違ってきます。
 熟練の教員になればなるほど、すぐに判断を下そうとせず、少し時間をかけて観察したり、責めたり問い詰めたりはしないニュアンスで一件無関係の声掛けをして反応を見たりするものなのです。安易に「~に違いない」と決めつけてせっかちに関わろうとする、それは教員にとってあまり望ましいことではありません。

 

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