ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

強くも逞しくもなかった

2024-03-10 08:45:36 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「世代断絶」3月4日
  『夢なくても生きていける』という見出しの特集記事が掲載されました。ジャーナリスト田原総一朗氏による、NPO法人「あなたのいばしょ」理事長大空幸星氏へのインタビュー記事の後編です。
 前文に、『生き方や教育を巡り、年の差64歳の世代間ギャップも浮き彫りになります』とありましたが、今回興味深かったのはまさにその点でした。
 89歳の田原氏は、『一生をかけてやるほど好きなことを、子供が見つけられるようにするのが教育ではないか』と話し、25歳の大空氏は、『今の子供たちは「好きなことを見つけなさい」「やりたいことを探しなさい」と言われて悩んでいます』と答えます。
 さらに田原氏が、『大学生にどんな企業に就職したいかを聞いたある調査では、「安定している」「自分のやりたい仕事ができる」「給料が良い」がトップ3でした。必ずしもやりたい仕事で選んでいるわけではなく、これでよいのか』と言うと、大空氏は、『それはちょっとマッチョな考え方です。僕は大学生の回答はまともだと思います。一生かけてやりたいことや夢はなくてもちゃんと生きてはいけるんです。この価値観がもう少し世間の支持を得てほしい。生きていること自体が素晴らしいじゃないですか。誰もが大リーグの大谷翔平さんのようにキラキラした生き方はできません』と抗います。
 私はこのブログで、20年ほど前から盛んになってきた中高で行われるキャリア教育について、批判的な意見を書き続けていました。それはまさしく、大空氏が指摘していることと重なります。
 私自身、教員養成系の国立大学を卒業し、教員になり、指導主事として教委に勤務するようになり、統括指導主事、指導室長を務めるという人生を送ってきました。中高生のときに教員になりたいと思っていたわけでもなく、受験で合格し学費の安い、そして自宅から通える大学に進んだだけでした。大学在学中も1~3年生のときには教職に就くということも真剣に考えたことはなく、4年生の夏になると各教委の採用試験が始まるので受験して受かった、そのまま深い考えもなく教員になったというだけのことでした。
 教員になってからは、このブログで再三触れた目賀田先生との出会いもあり、社会科研究に打ち込み、その流れで指導主事に、室長にとなったのです。途中、尊敬できる先輩にあって薫陶を受けましたし、慕ってくれる後輩もいました。教え子の中には、いい加減な教員であった私に今でも「恩師」として接してくれる人もいます。幸せな、それなりに充実した人生だったと言ってもよいと思います。
 しかし、田原氏の見解に沿えば、私は本当の意味での教育を受けてこなかったことになりますし、「こんなことでいいのか」と言われるような職業選択をしてきたことになります。でも、失敗の人生だと言われても頷けません。
 2人のやり取りはさらに続きます、田原氏が、『一度しかない人生なので自分のやりたいこと、好きなことをやった方がいいと思いますが』と言い、大空氏が、『その言葉は不登校の子供たちには響かないと思います。30万人近くの子供たちが、学校に行くために家から一歩出るだけでも、しんどいといった状況にあるのです(略)(学校の教員)みんなが夢や情熱があって生きるべきだと考え、自分もそういう思いをもって生きてきたとすれば、不登校や自殺に至る子供たちの気持ちはなかなか理解できないと思います』が反論するのです。『先生たちも、どこかまっちょなのではないでしょうか』と言いながら。
 私は、再三出てくる大空氏の「マッチョ」という言葉印象に残っています。マッチョな親と教員が、子供を「そんな弱いことでどうする」と上から目線で叱咤する、実にストンと落ちるイメージです。私はマッチョではありませんでした。もしかしたら、その点だけが私にとって教員向きな資質だったのかもしれません。
 


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