ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

大きな「改革」を

2017-06-29 07:54:09 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「も、ではない」6月23日
 『教員の「働き方改革」、中教審に諮問』という見出しの記事が掲載されました。私はこのブログで、教員の多忙化について、再三触れてきました。ですから、今回、「働き方改革」が中教審のテーマとなったことについては大歓迎です。ただ、『子どもの教育を巡る学校と家庭、地域の役割分担も含め、学校現場の「働き方改革」への有効な手だてを示せるか注目される』という記述は気になりました。
 細かい表現にこだわるようで恐縮ですが、教員の働き方改革を考える際に、『学校と家庭、地域の役割分担』は、「~も」と、いくつかの視点の一つというような軽いものではなく、正に「一丁目一番地」と言うべき、改革の本丸であると考えるからです。
 子供が成長する間に受けるべき「教育」の総量を削るという発想に立たない限り、「教育」にかかわる人の総負担は変わりません。そして、社会が複雑化し、現代の子供は過去の子供に比べて学び身に着けなければならない事柄が増え続けていることを考えれば、「教育」の総量を減らすという選択肢は現実的ではありません。
 英語教育、IT教育、中でもプログラミング教育など、学校には次々と新しい教育課題が持ち込まれています。これらの教育課題を家庭や地域で担うのは難しいでしょう。必然的に学校が担うことになります。こうした、学校でしか担うことができない新課題導入はこれからも続くのです。
 そうした状況の中で教員の多忙化を解消するとすれば、学校以外の教育機能の負担を増やしていくしかないのは、誰でも理解できることです。つまり、まず、現在学校教育が担っているものの中から、家庭や地域に委ねることができるもの、委ねた方がよいものを選び出すこと、家庭や地域が担っていく際の障害となる要因を洗い出すこと、その障害を除く方策を立案すること、案を実行に移すこと、が必要なのです。
 私は、部活や清掃活動、給食などを挙げてきました。また、より大切なこととして、個別の教育活動とは別に、躾に関することは家庭の役割に移行することを提唱してきました。そのためには、保護者が子供にかかわることができる時間の確保、つまり広い意味での働き方改革が必要であり、それは文部科学省や教委といった一部の行政機関で達成できることではなく、多くの行政機関が力を結集することが必須であると言ってきました。つまり、政治の出番です。中教審→文部科学省という弱小行政機関の守備範囲に止まることなく、内閣・国会を巻き込んだ大改革でなければ成功は覚束ないのです。文部科学省は三流官庁から脱皮できるのでしょうか。

 

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