ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

私ならどう評価しただろう

2024-06-06 08:31:30 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「評価は如何に」6月1日
 書評欄の『なつかしい一冊』コーナーに、アーティスト、作家の加藤シゲアキ氏が、『大造じいさんとガン』について書かれていました。「大造じいさんとガン」は、小学校5年生の国語の教科書に掲載されている教材です。私も何回も授業で扱いました。加藤氏は、その授業に纏わる経験を次のように述べています。
 『この物語を読んで読書感想画を描くのが授業の課題だった。読書感想文ではなく、読書感想画。読んで思ったこと、感じたことを“絵”にするとなれば、図工好きの私は大造じいさんと残雪(ガンの頭領)よろしく本気で読んだ(略)そしてプレゼントの箱を紙一面に描いた。黄色い背景に白い箱に赤いリボン。完成した絵は、とてもしっくりきた。生徒の描いた絵は廊下に貼られた。私は愕然とした。私以外の全員が、大造じいさんとガンそのもの、あるいはハヤブサとガンの死闘を描いていた。なぜか悔しくなった。どれもこれも物語を描き起こしただけで、挿絵のようだった。それが悪いわけじゃない。だけど文章をそのまま絵にしただけの彼らに納得できなかった』。
 興味深い話です。いろいろな受け取り方があると思いますが、私の関心は、加藤氏の担任は、加藤氏の絵をどのように評価したのだろうか、ということにあります。感想画という手法は、今ではそれほど珍しいものではありません。感想画のコンクールも開かれているくらい一般的な手法です。しかし、子供が描く感想画のほとんどが、加藤氏曰く「挿絵のよう」なものです。
 課題を出す前に、教員が丁寧に意図を説明し、他の物語について描かれた「挿絵ではない」感想画を例示して、子供の固定観念を壊しておかなければ、ほとんどすべてが挿絵になってしまうのです。加藤氏の小5時代は、20年以上昔ですから、感想画についての指導も例が少なく、そうした事前指導は行われなかったものと推察されます。
 担任としては、加藤氏の絵について独自の解釈をもったうえで、加藤氏に意図を尋ね、物語への理解、着眼点、得た概念の抽象化のアイデアなどについて把握し、評価を下さなければなりません。言うまでもありませんが、評価というのは5段階の上から2番目というようなことではなく、良い点、それがなぜ良いのかの理由などを伝えることです。
 と同時に、学級の他の児童に対して、「異端」である加藤氏の作品について解説することも大切です。絶対的少数派である加藤氏を放置することは、加藤氏を孤立させ、いじめ等の対象のさせる危険性があります。廊下に掲示されたということは、保護者向けにも何らかの説明が必要な配慮となります。加藤氏の担任がどう対応したか、気になる理由です。
 加藤氏は、『そして私はひとり、(そちら側にはいかない)と誓った(略)あの日勝手に誓ったものを、私はずっと守っている』と文章を結んでいます。加藤氏のようなある意味「強い」子供ばかりではありません。もし「弱い子」であれば、感想画を描かせたことが、子供を傷つけることになってしまったかもしれないのですから。
 私だとしたら、どのように評価したのだろう。

 

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