「人間社会への洞察」6月19日
コラムニスト中森明夫氏が、『ハックする自民党』という表題でコラムを書かれていました。その冒頭、中森氏は、『自民党の裏金問題と、つばさの党の選挙妨害』を取り上げ、『両者に共通するものがある。それは一般常識をはるかに懸け離れた感覚であり、「脱法的」な呆れるその手法であった。脱法ではあるが、違反ではない。少なくとも当人たちは、そう考えているようだ』と指摘なさっています。
同感です。法制定の趣旨や目的よりも、条文の抜け穴を探しその不備を突く行為を、「うまくやった」とほくそ笑む感覚です。うんざり、がっかりします。中森氏はこうした感覚が政界にとどまらないことを指摘し危惧なさっています。
『「ハックとチート」という言葉をよく耳にする。ネットスラングから派生したもの。ハッキング、すなわち乗っ取りや破壊行為、転じて生活上の裏技的な知恵として流通した。他方、チートはいかさまや不正行為、転じて、ずるいほど強いの意味がある。両者とも「コスパ」「タイパ」を重視する若い世代にとって肯定的に捉えられている。正しい道を遠回りするなんてバカみたい。違法でなければいいじゃん』と。
若者の動向に詳しい中森氏の指摘ですから、おそらく正しいのでしょう。私自身の感覚としても、同じことを感じていました。大袈裟でなく、これは社会の存立を脅かす大問題です。人が考える仕組みや制度、規則はどんなに細かく、息苦しいほど細密に作り上げても、必ずどこかに抜け穴が生じるものです。そもそも、法や規則は、人々の権利を縛る働きもあり、息苦しいほど雁字搦めの規則が存在する社会というものはけっして望ましいものではありません。現代の中国、香港を見れば分かります。
しかし、これからの社会を担う若者たちの間で「違法すれすれでうまくやるのが賢い」という風潮が強まれば、細かいことまで規則で縛られて息苦しい、そんな中で悪知恵の働く者だけがうまい汁を吸い、多くの人は虐げられているという被害感情をもち続けるという社会が現出する可能性が高くなります。
社会の崩壊です。何としてもこうした事態は防がなければなりません。そのために、学校教育は、「民主的な社会の形成者としての資質を培う」という教育の目的をもう一度噛み締めなければなりません。
しかし、学校教育の実情はあまり望ましいものではありません。子供も教員も校則に縛られ、「校則にないから注意できない」と考える教員、「校則にないのに注意されるのはおかしい」と反発する子供と保護者、チート的言動を容認する教員とチート的傾向を強める子供、既に学校は「違法すれすれでうまくやるのが賢い」という価値観に染まっているのです。
だからと言って、ここで道徳教育の充実を持ち出すのは方向が違います。今必要なのは、民主主義の根幹をなす人権と法治と自由について、徹底的に学び理解を深めることです。社会科の出番です。小学校の中学年から、人権と法治と自由について発達段階に応じて取り上げる単元を設け、小3から高3まで、継続的、反復的に考えさせる授業を展開する必要があると考えます。
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