ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

ピンチがチャンス

2023-08-30 08:38:36 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「法は非力」8月25日
 『データ基に いじめ対策を』という見出しの記事が掲載されました。『評論家の荻上チキさん(41)は過去にいじめを受けた経験があり、いじめ問題に関するNPOの代表を務める。荻上さんにいじめのメカニズムを解きほぐしてもらい、どうすれば子どもたちの自殺を防げるのか』インタビューした記事です。
 その中で荻上氏は、『教室にいじめを抑制する規範を維持することが大切』と語り、『教諭の振るまいが非常に重要です。普段の授業で公平にジャッジする姿勢を伝えて信頼関係を築いて、いじめにしっかり対処するという予測を生徒に与える。そういう状況を作ることでいじめの発生を抑制していくのです』と話されているのです。
 全くその通りです。荻上氏の指摘で最も重要な点は、当たり前の教員の態度や行動を重視していることです。いじめ防止対策推進法という法律があります。学校組織としての情報共有や重大事態における対応などを定めています。私はこの法について、懐疑的な論評を繰り返してきました。内容が間違っているというのではなく、的外れであるというニュアンスで。
 それは、いじめ問題に対して、学校内の組織やシステム、手順といったものを重視しすぎているということでした。いじめ担当教員を置き、いじめに関する情報を担任や顧問の教員だけではなく組織として共有し~、ということ自体は必要ですが、教育は人対人、実際に子供に接する教員がどうあるべきか、どのような能力を身につけているべきか、という点を軽視しては、効果は望めない、ということを言いたかったのです。
 そうした意味で、荻上氏が、教員一人一人のあるべき姿に言及していることに共感したのです。では、改めて「信頼関係を築いて、いじめにしっかり対処するという予測を生徒に与える」ためにはどうすればよいのか、ということについて考えてみたいと思います。私の経験では、それは実際にいじめが発生したときの対応に鍵があります。
 いじめは必ず起きます。30人の子供が集団で生活をしている以上、「軽症」のいじめが1年間に一度も起きない、などと言うことはあり得ません。その「軽症」いじめを感知したとき、教員が取る態度にはいくつかのパターンがあります。
 面倒なので気づかないふりをする、「仲良くしなさい」など表面的な対応でお茶を濁す、「気にし過ぎ」「○○さんにも反省すべきところがある」など弱者であり反論してこない被害者にだけ対応し強者である加害者と対峙することから逃げる、「○○先生(SCなど)に相談してみたら」と組織に対応を委ねてしまう、などです。
 こうした対応を子供たちは注意深く見ています。そして、教員を評価し、見放します。しかし、そこで、被害者の声をきちんと聴き、加害者集団から一人一人別々に話を聞き、学級全体にいじめを発生させてしまったことを担任として謝罪し、いじめは絶対に許さないこと・被害者の味方であり続けること・いじめという行為を責めているのであって加害者を憎んだり罰しようと思ったりしているのではないこと・加害者も自分にとっては大切な教え子であること・いじめをなくすためにもっとよくみんなのことを見、話を聞き、相談に乗ることができるよう一緒にいる時間を増やしていくように努力するので、みんなもいじめのないクラスにするためにどうしたらよいか考えてほしいこと、を伝えるのです。
 そのとき、被害者については明らかにしますが、加害者については、明らかにする必要はありません。ただ、いじめ行為については具体的に挙げ、そうした行為がどれほど辛い思いを与えるかということについては、自身の経験や見聞を基に十分に伝えることが必要です。
 いじめ問題にきちんと対応した姿を見せることこそ、荻上氏が言う「いじめにしっかり対処するという予測を生徒に与える」最適な機会なのです。

 

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