ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

潜在意識化に横たわるもの

2023-08-31 08:44:51 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「揚げ足取り」8月27日
 連載企画『池上彰のこれ聞いていいですか?』は、ノンフィクション作家佐々涼子氏との対談でした。佐々氏は、2022年11月に悪性脳腫瘍の診断と余命宣告を受け、複数回の手術を経て、また活動を再開なさっている方です。
 その佐々氏の話の中に、気になる表現がありました。佐々氏は、『2人の息子も週末には、孫を連れて自宅に来てくれます。私は、女性が社会に出て働くのはいいことだという時代に現役でしたから、子どもの面倒はあまり見てこなかった。それでもいい子に育ってくれて感謝しています』と述べていらっしゃるのです。
 うーん、そうなのか、という感じです。佐々氏がそこまで意識しておっしゃっているのかは分かりませんが、私は社会に出た働き子供の面倒を見なかった→当然の結果として悪い人間に育つはずだ→でも、病気の親に毎週顔を見せに来てくれるようないい人間に育ってくれた、という論理構成で話されているのです。
 女性が社会に出て働き子供の面倒を見なければ子供の出来が悪くなる、という偏見乃至は迷信を信じていることになります。母親が、自分がやりたい仕事で生き生きと活動しやりがいと満足感を感じて生きている姿を見せることが、子供にも前向きに生きる姿勢を培うという好影響を与える、というふうにはとらえることができていないということなのです。
 おそらく、佐々氏は、公式なインタビューで「母親が社会に出て働くことが子供の与える影響についてどう考えますか」と訊かれれば、肯定的な見解を述べられるのではないかと想像します。そこには、佐々氏がこうあるべきと考える価値観が反映されるからです。でも、直接的に働く母親と子供というテーマではない会話の中では無意識のうちに潜在意識下に閉じ込められている価値観が無防備に出てきてしまったのではないでしょうか。
 私は佐々氏を非難しているのではありません。ただ、人々が理性で抑え込んでいるために普段は顕在化しない古くから続いてきた一昔前の価値観のようなものがあるのではないか、そしてそれは、意外に奥深いところで私たちの行動に影響を及ぼしているのではないか、と考えただけです。
 以前、このブログで、指導主事時代に、ジェンダーについて問題意識をもっている女性教員たちと研修会の後に雑談したときのことを書いたことがあります。我が子が小学校に入学するに際して、女の子なのに黒いランドセルを選ぼうとしたので思わず「女の子なのだから赤にしたら」と言ってしまったという話です。
 その女性教員は、「ふだんは偉そうなことを言っているのに我が子のことになると~」と苦笑していました。そのときも、古い価値観が本人も意識しないまま心の中に巣くっているのだと感じたものでした。佐々氏の話にも同じものを感じたのです。
 我々教員は、自分の中に巣食う前近代的な価値観を常に見つめている必要があります。

 

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