ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

私のデータがどこかに

2023-08-26 08:26:05 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「真逆」8月20日
 川柳欄に、秦野のH氏による『恥ずかしいことはスマホに訊いてみる』という句が掲載されていました。よくは分からないけれど、何となく恥ずかしいことだということは分かる、そんなことを他人に訊くのは恥ずかしい、まして親や家族に訊くのはもっと恥ずかしい、だからスマホに訊いてみる、そんな意味でしょう。この日の秀逸句でした。
 日常によくある光景を詠んだからこそ、掲載され、秀逸句に選ばれたのでしょう。ですが、私はこの作者とは正反対、真逆の人間です。私が小6の頃、詳細は忘れてしまいましたが、「らふ」という言葉が友人の口から出されたことがありました。友人はにやにや笑っています。私は「らふ」とは何か、秘密めいた意味があるのではないかと思い、親には訊かず、当時使い方を習っていた国語辞典を開きました。「らふ」とは「裸婦」のこと、裸の女の人のことだったのです。色気づいてくる年頃です。それからしばらくの間、辞典を調べ、「裸体」とか「全裸」とか「ヌード」とかいった言葉を発見してきては、「○○って知ってるか?」と言い合う遊びが流行りました。親も担任も知りませんでしたが。知られたら、恥ずかしくて自殺を図っていたかもしれません。
 何でこんな昔話をしたかというと、恥ずかしいことは人に訊けない、だから自分で「こっそり」調べるというのが、私の感覚だかということを言いたかったからです。私は、「恥ずかしいこと」をスマホやパソコンで調べることに抵抗があります。それは、履歴に残るからです。
 私が恥ずかしいからといってこっそりと調べたことが、どこかに保存され蓄積され、「○○は~に強い関心をもっている人間である」などとデータ化されていると思うと、怖くて仕方がないのです。ですから、生まれたときからスマホがあり、そこに親も知らない自分の秘密を打ち込むことに何のためらいも覚えない若者たちに対しては、異星人を見る思いがします。
 彼らは、自分がどんな人間であるか、自分さえも意識しないまま、どこかに日々データが蓄積され分析されていく、そんな危惧を抱かないようなのです。それでよいのでしょうか。スマホというものに、危険な臭いを感じる、その上で用心深く使う、そんな態度を身につけさせるのが大切だと思うのですが、時代遅れなのでしょうか。闇バイトも、バイトテロも、スマホへの無警戒さが根底にあるように思うのですが。
 ちなみに私のパソコンの画面には、高齢者向け精力剤の広告がやたらに出てきます。私はそういう人間だと分析されているのでしょうか。嫌だなあ。

 

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