ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

間違った主張で子供を不幸に陥れた人々

2010-11-24 08:15:06 | Weblog
「間違っていた主張」11月21日
 「特別支援学校の今」と題する特集が組まれました。そこでは、『障害がある子どもたちが通う特別支援学校で、教室不足が著しい。知的障害があると診断される子どもが増える一方、施設整備が遅れているためだ』という現状が紹介されていました。
 また、その背景として、『国立特別支援教育総合研究所が昨年、全都道府県と政令指定都市の教育委員会に増加の理由を複数回答で聞いたところ、(1)特別支援教育への理解の浸透52件(2)特別支援学校への評価・期待45件(3)特別支援学級の増加34件(4)(発達障害などを診断する)医療の進歩23件--の順に多かった。これらの原因が複合している可能性がある~(中略)~同研究所の井上昌士・総括研究員は「子どもの将来の就労を考える保護者が増え、一人一人の個性に応じた指導が充実している特別支援学校に期待が集まるようだ。子どもたちが安定して学校生活を送るために、普通教室の確保は緊急の課題だ」と指摘する』という見方を紹介しています。
 その通りだと思います。教室等の不足は早急に改善してほしいものですが、特別支援教育への理解が深まり、特別支援学校や学級への期待が高まっているということについては、嬉しい限りです。特殊教育から特別支援教育という名称への変更は、この教育の本質を表しています。教育活動が一定の成果を上げ子供の成長にプラスの影響を与えるためには、特別な支援を必要とする子供たちがおり、そのニーズに応じた人的、物的環境を整えることが欠かせないという考え方から、特別支援教育という名称に変更されたのです。つまり、教育基本法に定める「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」という精神を具現化したものなのです。
 私は、教委に勤務しているとき、特別支援教育、当時は心身障害教育と呼んでいましたが、の担当をしていました。そのときに一番苦労したのが、障害の程度にかかわらず通常の学級で学ぶことが望ましいという「政治信条」で、保護者に働きかけ、間違った選択に誘導しようとする教員たちの存在であり、その活動でした。彼らは、自分が勤務する学校に重度の障害がある子供を入学させ、担任は他の教員に押しつけ、その担任が苦労し学級がうまくいかなくなるのを他人事のように見ているだけで手を貸そうともせず、そのくせ、教委に対しては、「現場の教員がこんなに苦労しているのに放置するのか。介助員を増員しろ、エレベーターを設置しろ、トイレを改修しろ」と要求ばかりを突きつけるのでした。そこには、教育的配慮や教育者としての子供への愛情などは感じられず、自らが所属する団体の勢力拡張しか視野にない独善的な姿しか見ることはできませんでした。
 私のした苦労はどうでもよいことです。心身障害教育を担当したお陰で、素晴らしい教員に出会うこともできましたし、指導主事としての自分の見識を深めることもできました。むしろ自分を鍛えてくれた経験として、今では懐かしい思い出となりました。しかし、彼らの親切めかした口車に乗り、自分にとって合わない環境の中で学校生活を送ることになった子供たちにとって、失われたときは戻っては来ません。適切な環境の中で、より専門性をもった教員に指導を受けていればもっと成長できたはずの子供が、思うような成長をすることができずに卒業の時期を迎えてしまったことは、慚愧の念に耐えません。子供のことよりも、自らの政治信条や思想を優先させ現実を見ようとしない人は、教育者ではありません。
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