「緊急性のない…」5月25日
書評欄に、医師谷口恭氏による『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』についての書評が掲載されました。その中にとても印象に残る一文がありました。『定期的に自身の「ミッション(使命)」を見直し、「優先順位」を基準にスケジュールを組み、「重要だが緊急でないこと」に力を注ぐよう心がけている』というものです。
おこがましいことを書くようですが、私もこうした思いで教員生活を送ってきました。このブログで何回も書いたことですが、私は指導力に乏しく、教員として必要な子供から学ぶという姿勢に欠けた教員でした。この致命的とも言える欠点を克服することを自身のミッションと決め、2つのことを何が何でもやると決めました。
授業記録・分析と自主的な研究会である社会科勉強会への参加でした。幸いなことに、当時の教員は今の教員ほどは「多忙」ではありませんでした。20代の教員は、授業と学級経営にある程度の時間を割くことが可能でした。それでも、校務もあれば、突発的に対応が必要となる事故等もありました。そうした中でも、週3回の社会科の授業については、指導略案を作成し、授業を録音し、板書を記録し、授業記録を起こし、記録の分析を通して課題を明確化する、この一連の作業を続けました。
毎月の社会科勉強会では、必ずレジュメを作成し、他の会員からの指導助言、批判を受けるという義務をこなし続けました。しばらくすると、勉強会の中でも中堅となり、会の進行を任せられるようになり、それこそ多少熱があっても参加しなければならなくなりました。会を代表して対外的な発表会で発表する機会も増えました。大変でしたが、ここでの経験が自分を成長させてくれたと思っています。
授業記録・分析も、勉強会参加も、サボったからと言ってその日の授業、翌日の指導、来週の学級経営に支障が出るわけではありません。むしろ、その分を校務や他の教科の授業準備に充てた方が、「短期的」には良い影響があったかもしれません。でもそれこそ、谷口氏が言う「重要だが緊急でないこと」を優先する考え方の真逆であり、今はよくても3年後、5年後、10年後の教員としての自分をイメージしたとき、大きな差が生じてくると考えていました。
教員としての能力資質に恵まれなかった私が、教員を続け、指導主事として他の教員を指導する立場になり、統括指導主事、指導室長として指導主事を指導することまで任されるようになったのは、すべてこの「重要だが緊急でないこと」を優先するという姿勢の賜物だったと考えています。
若い教員の皆さんの「重要だが緊急でないこと」は何ですか。