浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

60年前のイモ苗植え

2006年06月03日 | 日記・エッセイ・コラム

150_5059 ヤマモモが鈴なりに生っている。

赤く熟れるまでもう少しの日にちが必要。

シニアの面々、「田植えのころ、よく食べたなあ!」「去年はヤマモモ酒を作った…」と賑やか。

田舎の親戚の家へよく遊びに行ったが、おじいは何故かヤマモモの記憶はない。梅雨の季節、田植えのころは、田舎に行かなかったからだろうか。

おじいは子どものころサツマイモの苗を植えたことがある。

昭和20年8月15日、敗戦! 国民学校(当時、小学校をそう呼んだ)の2年生だった。家の近くに野球グランドがあって、町内で防空壕を作っていた。戦争が終わった途端に食料不足がはじまった。米も塩も、味噌も足りなくなった。町内で相談があったのだろう。町内総出で防空壕を埋め戻し、グランドを耕し、畑にかえた。秋、ジャガイモを植えた。痩せた土地で小さいイモしか育たなかった。

翌年、昭和21年、サツマイモの苗を植えた。少し枯れかかったような根も生えていないイモ苗を、教えられたとおりに乾いた土に植えた。この苗が大きくなり、根っこにカライモが実るというのが不思議だった。誰が苗を持ってきたのかもう思い出せないが、きっと町内のお年寄りが田舎に行って苗を農家からもらってきてくれたのだろう。戸別に区分けされた畑にみんな懸命に苗を植えた。おじいは、姉と二人、バケツで水を運び苗のまわりに水をかけたことを思い出す。

粟も植えた。となりの畑にはキビが植えてあった。みんな野菜より腹にたまるイモや穀物が欲しかった。夏、サツマイモの茎はキンピラで食べた。粟の種はモチ粟だった。秋、わずかだが収穫があった。小さいサツマイモも実った。収穫の喜びを知った。

畑は河川敷にも広がった。母と姉と3人、ときどき畑で過ごす時間は楽しかった。思えば60年の歳月が過ぎた。


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