郷里の母黌が甲子園に出場する。
悩み多い高校時代だったが、卒業して56年。まもなく後期高齢者の仲間に入る身にとっても、母黌の甲子園出場は胸をキュンと突き上げるものがある。
私にとっても、私の伴侶にとっても・・・
郷里の母黌が甲子園に出場する。
悩み多い高校時代だったが、卒業して56年。まもなく後期高齢者の仲間に入る身にとっても、母黌の甲子園出場は胸をキュンと突き上げるものがある。
私にとっても、私の伴侶にとっても・・・
仕事で、日々の暮らしで携帯電話にはずいぶんお世話になっている。
最初のケイタイには、佐賀県唐津市、観音の滝の岩場で転倒し、右足首を複雑骨折したおり、世話になった。岩場で滑り、体が浮いた。太陽が目に入り、次の瞬間、岩場にはまった右足に異常を感じた。右足が右30度くらいいつもの位置より傾いている。しまった!骨折だ!足が動かない、まもなく激痛。
見渡しても誰もいない。滝の音が体を包む。胸のポケットに手を伸ばした。あった。ケイタイは胸のポケットにある。生まれてはじめて「119」を押す。
「ハイ、こちら唐津市浜玉の救急分署です」。イヤー、助かった。
2006年6月29日だった。
「SOS、スミマセン、観音の滝の岩場、骨折で動けません。67歳のジジイですが、75キロと重たいです。モウシワケアリマセン」、救急車と屈強な消防隊員を乗せた消防車がかけつけ、6人かかりで私を乗せた担架を崖の上まで担ぎあげていただいた。
ケイタイ電話がなければ、誰かが来るまで身動きできないまま、痛い足を眺めていたことだろう。この年、3月20日の福岡沖地震の際も、ケイタイとメールのおかげで、大いに助かった。
2台目は5年間、ビジネスの場でお世話になった。喜びも苦しみも携帯が知っている。
3台目を手にした今、お世話になったケイタイ君に感謝したい。「ほんとうにお世話になりました」、と。
つれあいと私の携帯電話。