3月20日土曜日、映画「愛と誓い」を観た。上映会とこの映画をどう観るかというシンポジウムに参加した。
1945年制作、朝鮮映画、監督は今井正とチェ・インギュ共同演出。
昭和20年、第2次世界大戦末期、すでに敗色濃いなか、日本軍は米軍艦船に爆弾を抱いて体当たりをする特攻作戦をはじめていた。ある朝鮮の農村、ひとりの小学校校長。一人息子は特攻隊となって敵艦に突入、英霊として故郷の父と妻子のもとに帰ってきた。いまは息子の妻と赤ん坊とともに暮らしていた。
日韓の併合、つづく第2次大戦は朝鮮半島の人々をも戦争に駆り立てていたそんな時代…
映画は海軍省や海軍軍令部が支援して制作されたいわゆる国策映画、いかにして日本と朝鮮が協力して戦争を遂行するか、朝鮮の若者も特攻隊員になって戦うことができるというプロパガンダ映画。しかし、映画が記録しているのはそれだけではない。映画は平和な朝鮮の農村、日本の農村と少しも変わらない、そこに生きる人々が、日々のくらしや伝統文化を大事に生きている姿を克明に描いていた。
そして、夫を失った妻がいつも胸に抱く赤ん坊の姿に私は一瞬電気が走ったような衝撃を受けた。あの赤ん坊が私で、チマチョゴリ姿ではあるが赤ん坊を抱くお母さんは私の母ではないか。
1938年、私の父は日中戦争で戦死した。私は生後5カ月、私の母は当時27歳、二人の姉と私を抱いておそらく日々涙を流したろう。母の悲しみや苦しみ、戦後に続く母の労苦を誰が知ってくれたろうか。映画と私の一家の話は時代も背景も違う。しかし、平和でささやかな暮らしを続ける名もない人々の営みや悲しみをこの映画は誰にもわかるように伝えている。母と二人この映画を見ることができたら、おそらく母は己の体験と重ね合わせ慟哭したであろう。母はすでに無く私もはや72歳。
朝鮮半島の人々を戦争に駆り立てるためのプロパガンダ映画であることは覆うべくもないが、もう一歩映画の奥にある、平和な生活、日々をひたむきに生きている熱い血をもつ人間が見える、そうした時代や人々のこころを描いた映画があったという驚きであり、単なるプロパガンダ映画に終わらせなかった人たちの深い志を知り感動した。
このような映画をみんなに見せる機会を作っていただいた方々のご苦労に感謝します。
RKBの今日感テレビで放送。3月25日。インターネットで見た。