Wの事は、もう随分時が経った今でも、たまに思い出します。
『世の中にこんな人間がいるのか?! ほんとにとんでもない奴だ!』と思いました。
今風に言えば、「ありえない!」というところです。
午前中指圧学校に通い、午後の時間は空けておきたかったので、夕方から深夜にかけての仕事を選びました。
指圧学校に通う生徒なら、普通働くところは治療院のようなところです。
しかし私は、国家資格を取らないうちに、治療の仕事でお金を受け取ることに抵抗がありましたし、何よりもっといろんな世界を見ておきたいと思ったので、飲食業を選びました。
それで、下宿の近くにあった、高田馬場の深夜まで営業しているレストランで働きました。
ペアで2〜3度来たお客さんの男性に、「近くに僕のお店があるんだけど、1度来てくださいよ」みたいに誘われました。
ペアの女性は、のちにある会社の社長夫人だと分かりました。つまり人妻です。
それほど離れていないところにあったお店は、男性がオーナーではなく、彼は店長でした。
用件は、銀座の博品館ビルに新しくオープンする“フラメンコレストラン&バー”のオープンスタッフになりませんかという誘いでした。
今働いているお店は気に入っていますし、銀座に勤めを変えると、下宿も変わらなければなりません。
しかし、自分からはまず入ってはいかない新しい世界に興味津々の私は、移る決断をしました。
博品館ビルの7階か8階にあったその店は、「エル・ヒラソル」という名前で、スペイン語で“ひまわり”の意味でした( エルは、冠詞のthe )。
入り口側がレストランで、フラメンコの舞台がしつらえてありました。
マジックミラーの向こう側はバーになっており、バーの側からレストランは見えますが、レストランからバーは見えないようになっていました。
さらにカーテンが引いてありましたが、ショータイムにはカーテンが開いてバーのお客さんからもショーが見える仕組みでした。
銀座での新しい仕事は、いろんな意味で勉強になりましたし、個性あふれる人たちにも会えました。
日本で初めて(?)バーを開き、日本ホテルレストラン協会の会長をしていたこともある、銀座の名士・渡辺綱太郎先生に出会えたのは、このお店です。
また今では“マティーニの神様”として、業界では知らない人のいない、バーテンダーの毛利さんに出会えたのも、この「エル・ヒラソル」でした。
またバーには、黒い色でキメた上品な感じの衣装のバニーガールが何人かいて、この衣装を私は気に入っていました。
しかし給料は、Wが約束した金額よりも少ないものでした。
自分の店ではないのに「僕の店」と言ったり、給料が少なかったりと、その後次第に、Wに不信感を持つようになりました。
「悪徳マネージャー」というのが、皆がつけた彼の代名詞でした。
オーナーは銀座の他の処にも店を持っており、そこでは学生が3人くらい働いていましたまが、わりと近くにあったので、給料はフラメンコのお店で受け取っていました。
ある時お店の受付にあるくず入れに、茶封筒が3つ位突っ込んであるのを、スペイン語が堪能な受付のアケミさんが見つけました。
その中に給料明細書が入っており、驚くべきことが明らかになりました。
学生が働いた時間を、Wがすべて2倍に水増しして本社に請求して、余分に支払われたお金を皆自分の懐に入れて、学生にはお金だけを渡して、明細書は封筒に入れたまま捨てていたのです。
コトが発覚して、Wがどうするかと思ったら、皆を集めてこう言いました。
「おいっみんな、俺がすぐにばれるような悪いことをすると思うか?!」
この頃には皆Wの人となりを知っていたので、何があってもくっついていた2人を除いては、皆心の中で、『はあぃ、思います!』と、心の中で答えていたと思います。
Wは続けて言いました。
「実は俺は、この店を良くするために、あるアイディアを持っている。しかしそれを実現するためには、お金がいるんだよ。この件で本社に掛け合っていたら、(了解を得て、お金を出してもらうまで)いつまで時間がかかるかわかったもんじゃない。それで非常手段として、こういう(会社を騙して、お金を得る)ことをしたというわけだ」
ふざけた話です!
誰も納得しないこんな言い訳をして、「じゃあ解散」
その後、このお金を使って、Wがお店のために何かをしたという事は、もちろんありません。
いちいち書いていたらとても終わらない、嘘や悪事の数々。
茶封筒の件に限らず、すぐにばれるような嘘をつくし、ばれるような悪事を働くのです。
Wとは、( 私だけではないのですが )次第に火花が散る毎日になりましたが、半年くらい経ったある日、毛利さんに「おいっ、新造。俺の知っている、赤坂の店でコックをやっている奴が、ホールの人間が欲しいって云ってる。 お前行かないか?」と尋ねられました。
私はすぐに面接を受けることにして、今度は赤坂の、やはり深夜営業をしているレストランに移りました。
このお店「ペルソナ」には、1年間お世話になりました。
ここには銀座で飲んだお客さんが、ホステスさんを連れてきてくれました。
また、お店を手伝ってくれるホステスさんもいました。
銀座にも1人そういう人がいて、そんな人達との会話で、業界の様子が少しわかりました。
私はもともと子供が好きで、1番楽しかったのは学習塾の講師をしていた時ですが、こういう夜の業界は、自分では面接に行かなかったと思いますし、成り行きで入ったこの世界でいろんな経験ができた事は、自分にとって貴重な財産です。
赤坂のマスターは、ある時「新造君、きみっ女性に興味ないんだろ」と言って、オカマバーに連れて行ってくれました。
私は別に女性に興味がないわけではなく、自分ではごく普通だと思っているのですが、でもおかげで、自分では絶対に行かないだろうそんなお店に連れて行ってもらうことができました。
女性に興味がないと言えば、毛利さんにも「新造、お前って本当に女っ気がないなぁ」と言われました。
そう云われれば確かにそうで、返す言葉がありませんが…
Wは、人間としては、確かにある意味最低な奴でした。
でも、私はWのお陰で、銀座や赤坂という、自分では決して飛び込まなかっただろう異質な夜の世界を知ることができ、また渡辺綱太郎先生や毛利さんに会うことができました。
Wが声をかけてくれなかったら、指圧学校の2年間は、高田馬場のお店で働き通しただろうと思います。
Wはとんでもない奴でしたが、間違いなく私の恩人であり、いまでも感謝しています。
HP https://www.yshinzou.online
整体ブログは
https://www.yshinzoh.com/blog/
『世の中にこんな人間がいるのか?! ほんとにとんでもない奴だ!』と思いました。
今風に言えば、「ありえない!」というところです。
午前中指圧学校に通い、午後の時間は空けておきたかったので、夕方から深夜にかけての仕事を選びました。
指圧学校に通う生徒なら、普通働くところは治療院のようなところです。
しかし私は、国家資格を取らないうちに、治療の仕事でお金を受け取ることに抵抗がありましたし、何よりもっといろんな世界を見ておきたいと思ったので、飲食業を選びました。
それで、下宿の近くにあった、高田馬場の深夜まで営業しているレストランで働きました。
ペアで2〜3度来たお客さんの男性に、「近くに僕のお店があるんだけど、1度来てくださいよ」みたいに誘われました。
ペアの女性は、のちにある会社の社長夫人だと分かりました。つまり人妻です。
それほど離れていないところにあったお店は、男性がオーナーではなく、彼は店長でした。
用件は、銀座の博品館ビルに新しくオープンする“フラメンコレストラン&バー”のオープンスタッフになりませんかという誘いでした。
今働いているお店は気に入っていますし、銀座に勤めを変えると、下宿も変わらなければなりません。
しかし、自分からはまず入ってはいかない新しい世界に興味津々の私は、移る決断をしました。
博品館ビルの7階か8階にあったその店は、「エル・ヒラソル」という名前で、スペイン語で“ひまわり”の意味でした( エルは、冠詞のthe )。
入り口側がレストランで、フラメンコの舞台がしつらえてありました。
マジックミラーの向こう側はバーになっており、バーの側からレストランは見えますが、レストランからバーは見えないようになっていました。
さらにカーテンが引いてありましたが、ショータイムにはカーテンが開いてバーのお客さんからもショーが見える仕組みでした。
銀座での新しい仕事は、いろんな意味で勉強になりましたし、個性あふれる人たちにも会えました。
日本で初めて(?)バーを開き、日本ホテルレストラン協会の会長をしていたこともある、銀座の名士・渡辺綱太郎先生に出会えたのは、このお店です。
また今では“マティーニの神様”として、業界では知らない人のいない、バーテンダーの毛利さんに出会えたのも、この「エル・ヒラソル」でした。
またバーには、黒い色でキメた上品な感じの衣装のバニーガールが何人かいて、この衣装を私は気に入っていました。
しかし給料は、Wが約束した金額よりも少ないものでした。
自分の店ではないのに「僕の店」と言ったり、給料が少なかったりと、その後次第に、Wに不信感を持つようになりました。
「悪徳マネージャー」というのが、皆がつけた彼の代名詞でした。
オーナーは銀座の他の処にも店を持っており、そこでは学生が3人くらい働いていましたまが、わりと近くにあったので、給料はフラメンコのお店で受け取っていました。
ある時お店の受付にあるくず入れに、茶封筒が3つ位突っ込んであるのを、スペイン語が堪能な受付のアケミさんが見つけました。
その中に給料明細書が入っており、驚くべきことが明らかになりました。
学生が働いた時間を、Wがすべて2倍に水増しして本社に請求して、余分に支払われたお金を皆自分の懐に入れて、学生にはお金だけを渡して、明細書は封筒に入れたまま捨てていたのです。
コトが発覚して、Wがどうするかと思ったら、皆を集めてこう言いました。
「おいっみんな、俺がすぐにばれるような悪いことをすると思うか?!」
この頃には皆Wの人となりを知っていたので、何があってもくっついていた2人を除いては、皆心の中で、『はあぃ、思います!』と、心の中で答えていたと思います。
Wは続けて言いました。
「実は俺は、この店を良くするために、あるアイディアを持っている。しかしそれを実現するためには、お金がいるんだよ。この件で本社に掛け合っていたら、(了解を得て、お金を出してもらうまで)いつまで時間がかかるかわかったもんじゃない。それで非常手段として、こういう(会社を騙して、お金を得る)ことをしたというわけだ」
ふざけた話です!
誰も納得しないこんな言い訳をして、「じゃあ解散」
その後、このお金を使って、Wがお店のために何かをしたという事は、もちろんありません。
いちいち書いていたらとても終わらない、嘘や悪事の数々。
茶封筒の件に限らず、すぐにばれるような嘘をつくし、ばれるような悪事を働くのです。
Wとは、( 私だけではないのですが )次第に火花が散る毎日になりましたが、半年くらい経ったある日、毛利さんに「おいっ、新造。俺の知っている、赤坂の店でコックをやっている奴が、ホールの人間が欲しいって云ってる。 お前行かないか?」と尋ねられました。
私はすぐに面接を受けることにして、今度は赤坂の、やはり深夜営業をしているレストランに移りました。
このお店「ペルソナ」には、1年間お世話になりました。
ここには銀座で飲んだお客さんが、ホステスさんを連れてきてくれました。
また、お店を手伝ってくれるホステスさんもいました。
銀座にも1人そういう人がいて、そんな人達との会話で、業界の様子が少しわかりました。
私はもともと子供が好きで、1番楽しかったのは学習塾の講師をしていた時ですが、こういう夜の業界は、自分では面接に行かなかったと思いますし、成り行きで入ったこの世界でいろんな経験ができた事は、自分にとって貴重な財産です。
赤坂のマスターは、ある時「新造君、きみっ女性に興味ないんだろ」と言って、オカマバーに連れて行ってくれました。
私は別に女性に興味がないわけではなく、自分ではごく普通だと思っているのですが、でもおかげで、自分では絶対に行かないだろうそんなお店に連れて行ってもらうことができました。
女性に興味がないと言えば、毛利さんにも「新造、お前って本当に女っ気がないなぁ」と言われました。
そう云われれば確かにそうで、返す言葉がありませんが…
Wは、人間としては、確かにある意味最低な奴でした。
でも、私はWのお陰で、銀座や赤坂という、自分では決して飛び込まなかっただろう異質な夜の世界を知ることができ、また渡辺綱太郎先生や毛利さんに会うことができました。
Wが声をかけてくれなかったら、指圧学校の2年間は、高田馬場のお店で働き通しただろうと思います。
Wはとんでもない奴でしたが、間違いなく私の恩人であり、いまでも感謝しています。
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