平成という名をもつ31年間
を振り返ると
政治判断と政策判断の失敗
で埋め尽くされていた
ということが分かるだろう
失われた三十年
という一般化しているその形容が
この時代の代表的な特徴
として不名誉な記録
を歴史に残した
政府判断に過ちがあったからこそ
経済成長の強固な推進力
となっていた動因
を消していながらそれに気付かず
バブル景気に翻弄されて
資産効果を謳歌していながら
その経過のもつ有害性
を排除しようとして
バブルに大きな針孔
を空けてしまう
という愚かな行為
を独善的に実行し
強烈な負の資産効果
を与えたことが禍し
富の増幅から
損失の増幅
へと潮流を完全に反転させ
成り立っていた景気
の力強い流れを
自らの手で
放逐する
というあまりにも拙い決断
を実行しておきながら
顧みることさえしなかった
繁栄を享受していたバブル景気を
それが断ち切り
持っているだけで価値が上がっていた
資産効果を反転させ
持っているだけで損失が増殖する
という逆資産効果
を国会が日本市場に
植え付けた
この時の判断の過ちが
バブル経済の破裂となって
国富を一挙に失う
という粗末な結果を導いた
この事実にさえ尚未だに気付かない
という愚かなその姿を世に晒し
史実を確定させていながら
ヒトゴトのようにして
ノー天気に過ごしてきた
牧歌的で長閑な期間
がそのまま失われた三十年
を成り立たせているのだが
事実関係の確認
相変わらず怠ったまま
過ごしている
そのそもそものきっかけ
となったのは
89年十月の閣議で
不動産融資の総量規制
を90年四月一日
に施行する
としたその浅薄な決定が
後の三十年
を規定する端緒となった
バブル経済の発生が
85年秋のプラザ合意にあることは
当時まったく
理解されていなかったのだが
今では世間周知の事実
となって正しく理解されている
世界中がドルから円へと乗り換えた
ということが
海外資本の円化という現象
を生じさせた
このプラザ合意
の即日実施が
政府日銀と当時の大蔵省を含む
エコノミストの総勢をして
理由のない円高
と言わしめた過去の事実
が史実となって残された
ドル安政策の持つ背後の意味
に長期間気づかなかった
のは
G5の中で
日本ただ一国だけ
その時日本の当事者一同は
恥ずかし気もなく
理由のない円高
とそう公言してはばからなかった
高くなった円で
ドル建ての公債を買えば
円の通貨価値はすぐ下がる
と身勝手にそう思い込んでいた
ところが
効果は一日しか続かなかった
これを何度か繰り返し
打つ手がなくなってから
止まらない円高現象
について説明
することができなくなり
ついに放置した
この80年代後半頃から
世界に後の不具合の芽となる
種
がドルの過剰流動性
によって既に植え付けられていた
その胚芽のひとつが
温暖化とそれによる気候変動
を起源とする自然災害
の増加であった
この時代から目立つようになった
認識能力の劣化と
それに伴う判断の誤りの連鎖
が生じ
錯語に満ちた時代
がいつとはなしに
築かれていたそのことに
世界はやっと遅れて気づく
こととなってゆく
という経過を辿って
日本市場に土地神話を再興し
バブル景気へと突入
することとなったのだった
海外から流入してきた巨額の資本は
日本市場で
株式と不動産
そしてM&Aへと一斉に集中し
株式市場では
平成元年の年末にピークとなった
その直後
大発会で急落してしまう
という結果を植え付けた
その後長期低迷する事態
へと落ち込むそのきっかけ
はこのようにして生まれ出た
日本市場でこれから
いったい何が起きるのか
ということが分からないまま
バブル崩壊直後の時代
に於いて放置されていたものが
やがて喫緊の政策課題となり
不動産バブルが消え去ったことに
漸く市場参加者が気付いた頃には
時すでに遅し
という段階が到来していた
ドル安政策の効果を
夙に予見していた海外資本の勢力は
保有株式の手仕舞い
を新年早々開始しており
プラザ合意の意味を
悟っていなかった日本全体が
バブル景気に狂奔する
状態を
お祭り騒ぎで盛り上げていた
平成はそんな時代であったのだ
この89年秋の閣議決定
を起点とするそれ以降の顛末を
正しく予測していた
在外の投資関連勢力一同
が打ち揃って
保有株式の売却に
一斉に奔った
ということが
不動産市場の急落を発生させる
プロローグとなったのだった
在外資本の投資勢力は
円資産の安全確保を優先し
それが株価の暴落を経て
バブル経済を崩壊させる
その予兆となった
という経過の意味が
ここで初めて見えてくる
日本人のすべてが
経過の事実に
長期間気付かなかった
ということが
傷口を大きくする結果を導いた
バブル経済が崩壊していたことを
漸く国民が察知
できるようになったのは
丸三年を経過した後の
92年になってから
それまでの間
選良と官僚の全員が
何が起きているのかということさえ
まったく分からないまま
ただおろおろと
過ごしていた
この時代のことを
その当時
不作為の三年
と
マスメディアなどは
早々と指摘していたものだった
問題の意味に気付くのに
指導体制が遅れた
ということが
後の失われた十年
へと繋がっていくこととなり
その対策として実施された
300兆円規模の財政出動と
それによる国を挙げての公共工事
の一斉実施が
有効需要の創出
をではなく
喪失という結果
を定着させた
果断に行われた財政出動だったのだが
無駄な投資に終始することとなり
その後も類似の経過を
何度か繰り返し
不毛な時代を徒に積みあげて
失われた二十年
という倍となる長期化を
またしても選良が
現出させる結果となった
先進諸国の指導体制を
当時洗うように巻き込んでいた
新自由主義
というトレンドに日本も呑み込まれ
コイズミ・タケナカによる
長期政権が行った
様々な規制解除を含む
対米関係を前提とする
自由化という名の政策
を失敗へと導き
産業の推進力を更に低下させ
雇用の流動化と少子高齢化
などの変化を
短期間で
集中的に積み上げた
公共工事が有効となるための条件は
インフラが未整備の地域
に限られる
道路や鉄道などを
新たに建設したことで
ヒトモノカネ
が一斉に動きださなければ
需要の有効性を発揮
することはできない
道や橋の補修をとんなに増やしたところで
新たな人の流れを生み出せなければ
有効な需要創出
に成功したとすることは
できない
その結果
不作為の三年を含む
失われた十年を呼び込み
有効需要を失った状態
で公共工事を徒に積み重ね
600兆円を凌駕する
財政赤字をその間に
営々と積みあげてしまい
その損失補填を図って
消費増税の根拠として
早速引き上げてしまった
というその行為が
インフレ経済をデフレ経済
へと突き落とし
その後に至って
アベノミクスを振りかざし
異次元緩和
へと突き進んでいったのだったが
目標とするインフレ率を
ついに達成できないまま
マイナス金利まで導入し
成果を残さないまま
地方銀行の経営体質を悪化せる
という無様な経過を生み落し
失われた三十年
を確定させることとなってゆく
この期間を通算すると
平成年間と同じ
三十年ということになる
その原因はどれをとっても
政治判断の拙さと
それによる政策判断の失敗
の連鎖へと辿りつく
85年の第四四半期から
90年の第一四半期まで
バブル景気を謳歌してきた日本経済は
その後
失われた三十年という時代を
それと意識することなく
歩み続けることとなり
膨大な富を失って
国民から豊かさを取り上げただけでなく
貧困化する道を
強制的に歩ませる
という余りにも不毛な時代
を国会の成員すべてが
判断を誤って国民に強要する
という顛末を残した
国の成長と発展とを
政府が奪い続ける
という
膨張から縮退へと向かう
負の歩み
を止めることがついにできないまま
成り行きで
ヤムヲエズつづけている
アベノミクスからも
離れられないくなっている
余りにも愚かな経過を
この時代に定着させた
その事実を閑却しては
ならない
財政措置の失敗
の数々が背負い込ませた負の遺産
の合計は
既に千百兆円を突破してしまっている
その共通する理由として
国会の成員の一人ヒトリに
経済を正しく認識する能力
が欠けていた
ということを指摘せざるを得ないのだ
これこそが
教育の失敗
を意味するその結果
に他ならない
それと同様の経過が
温室効果ガスの大気中濃度
を一方的に増加させ続けている
という止まらない温暖化
となって顕在化してもいる
世界中のあらゆる国家で
その国民のすべてが
交流電流に関する正しい理解
をもっていない
という事実をあからさまに
したこの事実が
文明の本質をよく物語る
日本政府が負った
財政赤字の累増という粗末な経過
と
地球環境が負った
温室効果ガスの一方的濃度上昇
という負の経過のそれぞれに
一方的な不可逆性の変化という
共通する特徴で満たされている
この認識能力の劣化
という単一項目の根源
となっている教育制度の欠陥
を改めようとしない限り
世界の健全な成長と発達を
望むことは
未来永劫
叶わぬ夢
を振り返ると
政治判断と政策判断の失敗
で埋め尽くされていた
ということが分かるだろう
失われた三十年
という一般化しているその形容が
この時代の代表的な特徴
として不名誉な記録
を歴史に残した
政府判断に過ちがあったからこそ
経済成長の強固な推進力
となっていた動因
を消していながらそれに気付かず
バブル景気に翻弄されて
資産効果を謳歌していながら
その経過のもつ有害性
を排除しようとして
バブルに大きな針孔
を空けてしまう
という愚かな行為
を独善的に実行し
強烈な負の資産効果
を与えたことが禍し
富の増幅から
損失の増幅
へと潮流を完全に反転させ
成り立っていた景気
の力強い流れを
自らの手で
放逐する
というあまりにも拙い決断
を実行しておきながら
顧みることさえしなかった
繁栄を享受していたバブル景気を
それが断ち切り
持っているだけで価値が上がっていた
資産効果を反転させ
持っているだけで損失が増殖する
という逆資産効果
を国会が日本市場に
植え付けた
この時の判断の過ちが
バブル経済の破裂となって
国富を一挙に失う
という粗末な結果を導いた
この事実にさえ尚未だに気付かない
という愚かなその姿を世に晒し
史実を確定させていながら
ヒトゴトのようにして
ノー天気に過ごしてきた
牧歌的で長閑な期間
がそのまま失われた三十年
を成り立たせているのだが
事実関係の確認
相変わらず怠ったまま
過ごしている
そのそもそものきっかけ
となったのは
89年十月の閣議で
不動産融資の総量規制
を90年四月一日
に施行する
としたその浅薄な決定が
後の三十年
を規定する端緒となった
バブル経済の発生が
85年秋のプラザ合意にあることは
当時まったく
理解されていなかったのだが
今では世間周知の事実
となって正しく理解されている
世界中がドルから円へと乗り換えた
ということが
海外資本の円化という現象
を生じさせた
このプラザ合意
の即日実施が
政府日銀と当時の大蔵省を含む
エコノミストの総勢をして
理由のない円高
と言わしめた過去の事実
が史実となって残された
ドル安政策の持つ背後の意味
に長期間気づかなかった
のは
G5の中で
日本ただ一国だけ
その時日本の当事者一同は
恥ずかし気もなく
理由のない円高
とそう公言してはばからなかった
高くなった円で
ドル建ての公債を買えば
円の通貨価値はすぐ下がる
と身勝手にそう思い込んでいた
ところが
効果は一日しか続かなかった
これを何度か繰り返し
打つ手がなくなってから
止まらない円高現象
について説明
することができなくなり
ついに放置した
この80年代後半頃から
世界に後の不具合の芽となる
種
がドルの過剰流動性
によって既に植え付けられていた
その胚芽のひとつが
温暖化とそれによる気候変動
を起源とする自然災害
の増加であった
この時代から目立つようになった
認識能力の劣化と
それに伴う判断の誤りの連鎖
が生じ
錯語に満ちた時代
がいつとはなしに
築かれていたそのことに
世界はやっと遅れて気づく
こととなってゆく
という経過を辿って
日本市場に土地神話を再興し
バブル景気へと突入
することとなったのだった
海外から流入してきた巨額の資本は
日本市場で
株式と不動産
そしてM&Aへと一斉に集中し
株式市場では
平成元年の年末にピークとなった
その直後
大発会で急落してしまう
という結果を植え付けた
その後長期低迷する事態
へと落ち込むそのきっかけ
はこのようにして生まれ出た
日本市場でこれから
いったい何が起きるのか
ということが分からないまま
バブル崩壊直後の時代
に於いて放置されていたものが
やがて喫緊の政策課題となり
不動産バブルが消え去ったことに
漸く市場参加者が気付いた頃には
時すでに遅し
という段階が到来していた
ドル安政策の効果を
夙に予見していた海外資本の勢力は
保有株式の手仕舞い
を新年早々開始しており
プラザ合意の意味を
悟っていなかった日本全体が
バブル景気に狂奔する
状態を
お祭り騒ぎで盛り上げていた
平成はそんな時代であったのだ
この89年秋の閣議決定
を起点とするそれ以降の顛末を
正しく予測していた
在外の投資関連勢力一同
が打ち揃って
保有株式の売却に
一斉に奔った
ということが
不動産市場の急落を発生させる
プロローグとなったのだった
在外資本の投資勢力は
円資産の安全確保を優先し
それが株価の暴落を経て
バブル経済を崩壊させる
その予兆となった
という経過の意味が
ここで初めて見えてくる
日本人のすべてが
経過の事実に
長期間気付かなかった
ということが
傷口を大きくする結果を導いた
バブル経済が崩壊していたことを
漸く国民が察知
できるようになったのは
丸三年を経過した後の
92年になってから
それまでの間
選良と官僚の全員が
何が起きているのかということさえ
まったく分からないまま
ただおろおろと
過ごしていた
この時代のことを
その当時
不作為の三年
と
マスメディアなどは
早々と指摘していたものだった
問題の意味に気付くのに
指導体制が遅れた
ということが
後の失われた十年
へと繋がっていくこととなり
その対策として実施された
300兆円規模の財政出動と
それによる国を挙げての公共工事
の一斉実施が
有効需要の創出
をではなく
喪失という結果
を定着させた
果断に行われた財政出動だったのだが
無駄な投資に終始することとなり
その後も類似の経過を
何度か繰り返し
不毛な時代を徒に積みあげて
失われた二十年
という倍となる長期化を
またしても選良が
現出させる結果となった
先進諸国の指導体制を
当時洗うように巻き込んでいた
新自由主義
というトレンドに日本も呑み込まれ
コイズミ・タケナカによる
長期政権が行った
様々な規制解除を含む
対米関係を前提とする
自由化という名の政策
を失敗へと導き
産業の推進力を更に低下させ
雇用の流動化と少子高齢化
などの変化を
短期間で
集中的に積み上げた
公共工事が有効となるための条件は
インフラが未整備の地域
に限られる
道路や鉄道などを
新たに建設したことで
ヒトモノカネ
が一斉に動きださなければ
需要の有効性を発揮
することはできない
道や橋の補修をとんなに増やしたところで
新たな人の流れを生み出せなければ
有効な需要創出
に成功したとすることは
できない
その結果
不作為の三年を含む
失われた十年を呼び込み
有効需要を失った状態
で公共工事を徒に積み重ね
600兆円を凌駕する
財政赤字をその間に
営々と積みあげてしまい
その損失補填を図って
消費増税の根拠として
早速引き上げてしまった
というその行為が
インフレ経済をデフレ経済
へと突き落とし
その後に至って
アベノミクスを振りかざし
異次元緩和
へと突き進んでいったのだったが
目標とするインフレ率を
ついに達成できないまま
マイナス金利まで導入し
成果を残さないまま
地方銀行の経営体質を悪化せる
という無様な経過を生み落し
失われた三十年
を確定させることとなってゆく
この期間を通算すると
平成年間と同じ
三十年ということになる
その原因はどれをとっても
政治判断の拙さと
それによる政策判断の失敗
の連鎖へと辿りつく
85年の第四四半期から
90年の第一四半期まで
バブル景気を謳歌してきた日本経済は
その後
失われた三十年という時代を
それと意識することなく
歩み続けることとなり
膨大な富を失って
国民から豊かさを取り上げただけでなく
貧困化する道を
強制的に歩ませる
という余りにも不毛な時代
を国会の成員すべてが
判断を誤って国民に強要する
という顛末を残した
国の成長と発展とを
政府が奪い続ける
という
膨張から縮退へと向かう
負の歩み
を止めることがついにできないまま
成り行きで
ヤムヲエズつづけている
アベノミクスからも
離れられないくなっている
余りにも愚かな経過を
この時代に定着させた
その事実を閑却しては
ならない
財政措置の失敗
の数々が背負い込ませた負の遺産
の合計は
既に千百兆円を突破してしまっている
その共通する理由として
国会の成員の一人ヒトリに
経済を正しく認識する能力
が欠けていた
ということを指摘せざるを得ないのだ
これこそが
教育の失敗
を意味するその結果
に他ならない
それと同様の経過が
温室効果ガスの大気中濃度
を一方的に増加させ続けている
という止まらない温暖化
となって顕在化してもいる
世界中のあらゆる国家で
その国民のすべてが
交流電流に関する正しい理解
をもっていない
という事実をあからさまに
したこの事実が
文明の本質をよく物語る
日本政府が負った
財政赤字の累増という粗末な経過
と
地球環境が負った
温室効果ガスの一方的濃度上昇
という負の経過のそれぞれに
一方的な不可逆性の変化という
共通する特徴で満たされている
この認識能力の劣化
という単一項目の根源
となっている教育制度の欠陥
を改めようとしない限り
世界の健全な成長と発達を
望むことは
未来永劫
叶わぬ夢