こ と の 端

散文でロジックを
環境 経済 エネルギー 電気 教育 などの "E" に関するちょっと気になったこと

平 成 年 間

2019-01-20 09:30:22 | Weblog
平成の三十年間が始まったのは

1989年一月八日

同じ年の六月四日に

中国の民主化の魁としての意味を持つ

歴史に残る天安門事件が発生し

同じ年の11月八日には

冷戦構造の象徴となっていた

ベルリンの壁が

偶発的に機能しなくなった


日本に於いてバブル崩壊の機序

となる不動産融資に対する総量規制が

10月の閣議で決定され

翌年四月一日の施行

と定められている


そして

90年の一月になると

バブル経済が

膨張から収縮へと反転する

ことを既に悟っていた

海外資本を操る投資家連中が

株式市場の大発会で

こぞって手じまいする行動をとり

大暴落するという変化

を引き起こす事態を生んだ


実際にバブル経済を反転させる変化

の予兆を確認したのは

四月中旬を過ぎたあたりのこと


その後も土地神話に対する信仰は

95年頃まで根強く続き

値下がりしていた資産の評価が

まだら状態で推移しつづけ

一向に定まらないという状況

をそれからも暫くの間

頑迷に続けられていた

というそのことが

バブル崩壊の疵

を避け難くより大きなもの

へと押し上げることとなってゆく


国内ではバブルが崩壊したことに

誰も気付かず

二年経った91年を迎えた頃

霞が関と永田町周辺では

おろおろ歩くだけの

指導体制の面々の姿

が観察される時代がつづき

マスメディアが

不作為の三年という呼称

を奉って揶揄していたものだった


バブル経済を煽っていた

当時経済評論家

と呼ばれていた大勢の人たちは

あれほど喧しかった鳴り

を一斉に潜めてしまい

さながら貝のように沈黙し

海底の砂の下へと

その身を潜め

表舞台から消え去った


その姿は

現在のリフレ推進派の沈黙ぶり

と実によく似ていた


90年8月のイラクによるクェート侵攻

をきっかけとして91年一月に始まった

湾岸戦争はアメリカを頂点とする

多国籍軍を勝利させたが

2001年の9.11

へとやがて繋がることとなり

米軍にアフガニスタンでの作戦

「テロとの戦い」を標榜する展開

を経て

2003年のイラク戦争へと

繋がってゆく


アメリカによる報復戦だったものが

イラクに対する

大義なき戦争へと発展し

世界中から批判を受けてから

大量破壊兵器のイラクによる実戦配備

という

偽りの情報を

都合よく真に受けた

ということが

後に発覚することとなる


米ソ間の冷戦構造が終結したのは

同じ年の1989年

マルタ島での洋上会談の後だった


眼前の敵が突然消失したことに

卒然と気付いた当時のアメリカは

国防予算を増やす理由

を作り出す必要に迫られ

独裁政権を保持していたイラク

という名の産油国を唆し

クェートへの軍事侵攻を促した

これにより新たな敵が

眼前へと登場することとなり

軍産複合体制にとって

まさしく

勿怪の幸いという僥倖を

好機ととらえることを許し

軍事予算の膨張継続を図る

ための理由とした

その背後には

CIAによるフセインへの示唆

と使嗾

があったとする疑いを

当時から既に

消し難く残している


これら一連の過去の経過というものが

イスラム教徒同士の対立を

意図的に企てテロ組織に

宗教的な装いで登場した

イスラム原理主義運動主義者

らをIS(イスラミックステート)の建国

へと後に駆り立てさせることとなる


軍産複合体制の復権

を図ったパクスアメリカーナ

の温存を狙った力に基づく世界支配

という願望に裏づけられたその欲求が

テロによる国際秩序に対する攻撃

を加速させ

中東で宗派間の対立を煽る行為を利用し

世界全体を不穏な空気で

イラク戦争後に

統治者を失った中東諸国に

ISの野望を跋扈させる

という経過を短期間で導いた


その背後にあって

経済体制を成り立たせていた

石油の利権に纏わる資本の力学

が夙にドルの属性となっていた

過剰流動性を最大化させることとなり

ドル余り現象を導いて

日本に大量のドルを押し付け

買い取った大量の円資本で

土地神話を利用することにより

不動産価格と株価の上昇を

同時に加速する

という投資力学に基づいた

莫大な資産の積み上げ

を日本市場を舞台として

行い

その勢いでバブル経済を

急速に膨張させる変化

を引き起こすこととなる


85年秋のプラザ合意後

に始まった理由なき円高

と当時しきりにそう呼ばれていた

円買いトレンドには

過剰流動性の優良な仕向け先

としての日本市場が位置づけられていた

というのがその背後の理由

として密かに設けられていた


バブル崩壊を予期していた

海外の投資家勢力一同が

90年一月の大発会で

売り逃げを一気に図った

というのも

背景を知るに及べば

なるほどと頷ける


問題はこの間の消息について

いまだに無知であり続けている

公的機関の当事者たちのもつ

頑ななその相変わらずの無能ぶり

がアベノミクスに蹉跌

となる結末

をこれから与える

可能性を強めることだろう


問題認識能力の欠陥は

日本に失われた三十年という

不毛な期間を押し付けただけでなく

環境投資と教育投資から

有効需要を生み出せないよう

長期間仕向けてきた

という点で極めて有害な記録

を平成という時代

を通じて残している


問題認識能力の喪失が

有効需要の創出を阻ませた

ということになる

それが平成という時代

を通じて一貫して見られた

共通のしるし


過去の失敗に学ぶ

ということが

学習能力を取り戻す

きっかけとなることを

改めて庶幾う
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