今年マスメディアで
俄かに飛び交うようになった
「忖度」する
というこれまで
殆ど使用される機会のなかった
日本に固有の心理的作用を表す熟語
は
この国の言語文化にだけみられる
独自の表現
日本語以外に
この意味を置き換えることが可能な
言語
は見当たらない
日ノ本の民の祖先たちが
この日本に固有の言語文化
を時間をかけて
熟成させ
長期間培ってきた
相手の気持ちを推し計る
という日本人にとって
ごく普通の行為が
何故
日本以外の国で発展しなかったのか
というところに
何かヒントがありそうだ
日本語に主語を省く表現
を可能ならしめたのは
先人の大いなる
創意と工夫の
たまもの
主語を措かなくても
相手の立場や
心境などを察する能力は
日本人に限らず
誰にでも備わっている
とても普遍的なコミュニケーションツール
相互作用が成り立っているその場で
敢えて主語を省く
行為を成り立たせてきた
日本文化の根柢には
恥を知り
恥を恐れる
共通の認識が
常にある
一人称は己の中のエゴ
を前面に押し出すための
極めて有効な人称代名詞
日本文化を生み育てきた
エゴの表出を恥
とする共通の意識が
意図的に主語を省くことの
意義
を文化の基盤として定着させてきた
主語を省いたことによって
己の意思や意図
を伝達する目的で
相互にエゴを隠しあう
という特異な文化
というものを
不文律として
定着させた
分かる人にだけわかる
このスクリーニングが働くことによって
認識のレベルを共有する仕組み
を一途に洗練させてきた
その時間の積が
日本文化
として世界から
いま
おおいに注目される時代となった
主語を敢えて置かない
とするその配慮が
外国人に
日本語が曖昧だ
とよく言わせたり
学習するのが容易ではない
などとことある毎に
そう指摘されたりしてきたも
社会を構成する周囲に
己の欲望の所在を悟られることを
恥と心得た誉れ高い民族の祖先たちが
主語を意図的に省くことで
エゴの表出を避け
欲望の所在を見破られるのを避け
本来の趣旨をぼやけさせ
手放した欲求の強さを補うために
度々相互に忖度しあっていた
ということが
必要不可欠な要素となって
特異な文化を生み出したこの日本を
世界中が注目する
ようにさせたように思われる
日本語の一人称など
数えきれないほど豊富にある
というのがその証拠
苦心惨憺してエゴの関与を曖昧にし
欲望の所在を韜晦する作用のある
三人称的表現をこのんで導入した時代には
拙者
や
不肖
手前
などという表現がよく用いられていたものだ
我を張るだけの幼稚なひとは
強情者と蔑まれたり
天邪鬼などと言われたりもした
そこに秘められた蔑みの感情
を感じ取ることができなければ
日本の社会では
爪はじきされるのみ
という経過が通例となっている
無思慮な行為そのものが
エゴをむき出しにする姿勢
を恥じないことを伝達する行為
だと見做されてしまうからである
我という漢字は
盾と鉾を意味する
干戈の会意形成文字であり
要するに戦うためのその姿勢が
そのまま強調された表意文字
となって今へと伝えられてきた
中国語の一人称がこの我
となっているのは
度重なる戦乱の時代を
耐えてきた
その殺伐とした歴史の山
が
文化となって現れたもの
音訳すれば Warとなり
戦争を意味する英語と同一となる
英語がそうであるように
一人称を外せない言語が
公用語となっている限り
恒久平和の実現は
紛れもなく
不可能
要するに
我の張り合いに終始して
力の差を悟った側が
鉾を納める決定に甘んじることで
優勝劣敗の結果
が痕跡となって
めでたく確定することとなるのである
その意味で
未来社会の公用語として
日本語ほど適切な言語はなく
それにまさる意識を涵養する文化は
未来社会にまで
生き残ることができない
日本語を再評価することが
昨今
サブカルチャーの周辺で
極めて盛んになってきた
日本語の持つ言語機能の隠れた意味
が広まっていくことによって
エゴを隠すゆかしさの意味が
世界中に伝わっていくのだとすると
国際会議の場でも
日本語によるコミュニケーションが
将来
統一的に一般化するようになる
忖度する文化を悪用した事例は
遠くない過去に機能した事実はあり
天皇の立場を軍が勝手に忖度し
翼賛体制を構築しながら
国民に軍部の意向を忖度させていた
ということが
日本に唯一の核被爆国となることを
強いたのだった
不幸で不毛なこの体験を
未来へと繋げていくために
日本語を地球の公用語とする運動
が
平和状態の早期実現にとって
必要な要素成分の
欠くべからざる因子
の一つとなる
その実行手段として
空間から電力を取り出す装置の供給を
日本語を介して行う時代が
いま
漸く近づいてきつつある
温暖化が止まらないものであることを
文明が真に悟るようになったとき
他に類例のない優れた言語
であるこの日本語を学ぶことが
新文明の創設にとって
必須の与件となって作用する時が
やってくる
その昔
美しくあった日本語は
今や
台湾のお年寄りたちの中でしか
耳にすることが最早できなくなっている
日本語教育が復活して
忖度する意識が相互作用を強化
するようになったとき
環境負荷が一切ない
未来電源の供給が
日本を皮切に
はじまることだろう
未来電源の普及以外に
二酸化炭素を有効に減らす装置は
存在していない
その事実が気候変動を
一貫して加速させている
温暖化を
平和実現のための身代わり
として利用することによって
環境の復元を世界規模で図ることが可能となり
平和の実現を些かでも速める
というのがエネルギー・ルネッサンス
の本来の眼目
日本人の特性であるエゴの表出
を恥じる文化が
環境電源の誕生を
このところ急がせるようになってきた
問題の所在を知らずに過ごしている
旧来の文明社会というものは
一人称を多用してエゴを張り通し
自らの生息環境を
政治と経済
テロと戦闘
などの平和にとって阻害要因
となるだけの粗末な変化
を顕在化させる事態を
却って急がせた
環境異変を自らの意思で募らせる覚悟
の表出を恥じない大統領トラムプを生んだだけでなく
行使することのできない戦術核で
日米韓の臆病者国家をしきりに威嚇することで
自己主張することしかできない北朝鮮
の姿勢を真に受けて怯える
政府内閣とそれを支持する
憲法を解釈で骨抜きにしてきた
この国のエスタブリッシュメント勢力
とそれによる安堵
で慢心する一部の臆病な国民とが
再び指導体制の意向を
忖度する姿勢を強めて
この国をより早く劣化させようと
意図せずに謀っている
気候変動による自然災害を狂暴化させ
生命の多様性を徒に失う行為を
善と信じて
果てしなく続けるその行為を
世界中が余念なく努めている
地下資源を用いない未来型の新電源は
炭素系酸化物であるCO2
を生み出さないことは固よりのこととして
降水量を増加させる水素系酸化物
であるH2Oの発生量もまた同時に増やす
その両方の効果を有する炭化水素系地下資源
即ちメタン系化合物である
天然ガスの燃焼を未だに断ち切れずにいる
ということが
温室効果ガスであるところの
二酸化炭素と水蒸気の大量生産を
同時多発的に招くこととなり
温暖化現象を増幅するエネルギー消費
を続けながら
気候の変動を抑制しようとして
パリ協定と呼ばれる
強制力のない無意味な合意
を世に生み出した
地下資源以外のエネルギー創出法
を見出さない限り
温暖化の進行に伴って
地球は水だけの惑星
へと向かう道を進み続ける
推力以外の再生エネルギーには
出力の安定性が欠けていて
代替電源となる基本的能力
がない
水素を燃やせば
その酸化反応で
気体の水である水蒸気が大量生産され
それが冷えて液化することによって
集中豪雨となって降水密度を高め
洪水や土砂災害などを
世界各地で引き起こし
海面水位の上昇を
最終的に急がせて
地球全体を水没させてしまうこととなる
H2Oは自然条件の下では分解せず
水素爆発がそうであるように
二千度以上の熱との接触か
または
電気分解という方法を用いない限り
水素と酸素へと元素分解することは
できない
水が極めて安定な化合物
であるということが
海面の水位を
緩慢に
だが
着実に上昇させ
これが地球を沈没させて
あらゆる生命に
鰓呼吸することを強いるだろう
ただしい日本語を改めて学習することで
新しい発見
を導くことが
可能になる
そのためにこそ
幼児教育を
この日本の風土で行うことで
世界を指導する能力をもつ人材を
育成する必要が急務となる
忖度を重ねた結果の敗戦が
日本語とそれに固有の文化の価値を
下位の次元へと
戦争体験の結果が
引き下げる主体となった
平和の実現を遠ざけていたのは
日本語以外のすべての言語
健全な文化は
健全な言語を育てる
先祖が保持していた健全な言語文化
は
敗戦によって失われ
エゴをむき出しにする
主語を強調するトツクニの言語によって
欧米型の教育が熱心に推し進められ
知識の量的拡大に特化したことで
知識の質的劣化を逆に急がせた
その結果欧米型の価値基準
で統一された世界が生まれ
ミサイルで遊んでいるフリをする国家に
この国の指導体制は
あられもなく打ち揃って縮み上がり
怯えて暮らすようになったのだった
分析能力の欠如は
思考力の劣化が齎した
考える力が不在なら
認識能力もまた約に立たない
欧米型の民主政治を善
と信じている限り
国際政治の場で行われている
力の誇示によるイジメの構造
は果てしなくこれからも機能しつづけ
生産に貢献できない
破壊のためのあらゆる投資は
平和の実現に
何一つ
寄与しない
これら民主主義の欠陥が
このところ俄かに浮上する時代
がやってきた
制度疲労は
もうはじまっている
俄かに飛び交うようになった
「忖度」する
というこれまで
殆ど使用される機会のなかった
日本に固有の心理的作用を表す熟語
は
この国の言語文化にだけみられる
独自の表現
日本語以外に
この意味を置き換えることが可能な
言語
は見当たらない
日ノ本の民の祖先たちが
この日本に固有の言語文化
を時間をかけて
熟成させ
長期間培ってきた
相手の気持ちを推し計る
という日本人にとって
ごく普通の行為が
何故
日本以外の国で発展しなかったのか
というところに
何かヒントがありそうだ
日本語に主語を省く表現
を可能ならしめたのは
先人の大いなる
創意と工夫の
たまもの
主語を措かなくても
相手の立場や
心境などを察する能力は
日本人に限らず
誰にでも備わっている
とても普遍的なコミュニケーションツール
相互作用が成り立っているその場で
敢えて主語を省く
行為を成り立たせてきた
日本文化の根柢には
恥を知り
恥を恐れる
共通の認識が
常にある
一人称は己の中のエゴ
を前面に押し出すための
極めて有効な人称代名詞
日本文化を生み育てきた
エゴの表出を恥
とする共通の意識が
意図的に主語を省くことの
意義
を文化の基盤として定着させてきた
主語を省いたことによって
己の意思や意図
を伝達する目的で
相互にエゴを隠しあう
という特異な文化
というものを
不文律として
定着させた
分かる人にだけわかる
このスクリーニングが働くことによって
認識のレベルを共有する仕組み
を一途に洗練させてきた
その時間の積が
日本文化
として世界から
いま
おおいに注目される時代となった
主語を敢えて置かない
とするその配慮が
外国人に
日本語が曖昧だ
とよく言わせたり
学習するのが容易ではない
などとことある毎に
そう指摘されたりしてきたも
社会を構成する周囲に
己の欲望の所在を悟られることを
恥と心得た誉れ高い民族の祖先たちが
主語を意図的に省くことで
エゴの表出を避け
欲望の所在を見破られるのを避け
本来の趣旨をぼやけさせ
手放した欲求の強さを補うために
度々相互に忖度しあっていた
ということが
必要不可欠な要素となって
特異な文化を生み出したこの日本を
世界中が注目する
ようにさせたように思われる
日本語の一人称など
数えきれないほど豊富にある
というのがその証拠
苦心惨憺してエゴの関与を曖昧にし
欲望の所在を韜晦する作用のある
三人称的表現をこのんで導入した時代には
拙者
や
不肖
手前
などという表現がよく用いられていたものだ
我を張るだけの幼稚なひとは
強情者と蔑まれたり
天邪鬼などと言われたりもした
そこに秘められた蔑みの感情
を感じ取ることができなければ
日本の社会では
爪はじきされるのみ
という経過が通例となっている
無思慮な行為そのものが
エゴをむき出しにする姿勢
を恥じないことを伝達する行為
だと見做されてしまうからである
我という漢字は
盾と鉾を意味する
干戈の会意形成文字であり
要するに戦うためのその姿勢が
そのまま強調された表意文字
となって今へと伝えられてきた
中国語の一人称がこの我
となっているのは
度重なる戦乱の時代を
耐えてきた
その殺伐とした歴史の山
が
文化となって現れたもの
音訳すれば Warとなり
戦争を意味する英語と同一となる
英語がそうであるように
一人称を外せない言語が
公用語となっている限り
恒久平和の実現は
紛れもなく
不可能
要するに
我の張り合いに終始して
力の差を悟った側が
鉾を納める決定に甘んじることで
優勝劣敗の結果
が痕跡となって
めでたく確定することとなるのである
その意味で
未来社会の公用語として
日本語ほど適切な言語はなく
それにまさる意識を涵養する文化は
未来社会にまで
生き残ることができない
日本語を再評価することが
昨今
サブカルチャーの周辺で
極めて盛んになってきた
日本語の持つ言語機能の隠れた意味
が広まっていくことによって
エゴを隠すゆかしさの意味が
世界中に伝わっていくのだとすると
国際会議の場でも
日本語によるコミュニケーションが
将来
統一的に一般化するようになる
忖度する文化を悪用した事例は
遠くない過去に機能した事実はあり
天皇の立場を軍が勝手に忖度し
翼賛体制を構築しながら
国民に軍部の意向を忖度させていた
ということが
日本に唯一の核被爆国となることを
強いたのだった
不幸で不毛なこの体験を
未来へと繋げていくために
日本語を地球の公用語とする運動
が
平和状態の早期実現にとって
必要な要素成分の
欠くべからざる因子
の一つとなる
その実行手段として
空間から電力を取り出す装置の供給を
日本語を介して行う時代が
いま
漸く近づいてきつつある
温暖化が止まらないものであることを
文明が真に悟るようになったとき
他に類例のない優れた言語
であるこの日本語を学ぶことが
新文明の創設にとって
必須の与件となって作用する時が
やってくる
その昔
美しくあった日本語は
今や
台湾のお年寄りたちの中でしか
耳にすることが最早できなくなっている
日本語教育が復活して
忖度する意識が相互作用を強化
するようになったとき
環境負荷が一切ない
未来電源の供給が
日本を皮切に
はじまることだろう
未来電源の普及以外に
二酸化炭素を有効に減らす装置は
存在していない
その事実が気候変動を
一貫して加速させている
温暖化を
平和実現のための身代わり
として利用することによって
環境の復元を世界規模で図ることが可能となり
平和の実現を些かでも速める
というのがエネルギー・ルネッサンス
の本来の眼目
日本人の特性であるエゴの表出
を恥じる文化が
環境電源の誕生を
このところ急がせるようになってきた
問題の所在を知らずに過ごしている
旧来の文明社会というものは
一人称を多用してエゴを張り通し
自らの生息環境を
政治と経済
テロと戦闘
などの平和にとって阻害要因
となるだけの粗末な変化
を顕在化させる事態を
却って急がせた
環境異変を自らの意思で募らせる覚悟
の表出を恥じない大統領トラムプを生んだだけでなく
行使することのできない戦術核で
日米韓の臆病者国家をしきりに威嚇することで
自己主張することしかできない北朝鮮
の姿勢を真に受けて怯える
政府内閣とそれを支持する
憲法を解釈で骨抜きにしてきた
この国のエスタブリッシュメント勢力
とそれによる安堵
で慢心する一部の臆病な国民とが
再び指導体制の意向を
忖度する姿勢を強めて
この国をより早く劣化させようと
意図せずに謀っている
気候変動による自然災害を狂暴化させ
生命の多様性を徒に失う行為を
善と信じて
果てしなく続けるその行為を
世界中が余念なく努めている
地下資源を用いない未来型の新電源は
炭素系酸化物であるCO2
を生み出さないことは固よりのこととして
降水量を増加させる水素系酸化物
であるH2Oの発生量もまた同時に増やす
その両方の効果を有する炭化水素系地下資源
即ちメタン系化合物である
天然ガスの燃焼を未だに断ち切れずにいる
ということが
温室効果ガスであるところの
二酸化炭素と水蒸気の大量生産を
同時多発的に招くこととなり
温暖化現象を増幅するエネルギー消費
を続けながら
気候の変動を抑制しようとして
パリ協定と呼ばれる
強制力のない無意味な合意
を世に生み出した
地下資源以外のエネルギー創出法
を見出さない限り
温暖化の進行に伴って
地球は水だけの惑星
へと向かう道を進み続ける
推力以外の再生エネルギーには
出力の安定性が欠けていて
代替電源となる基本的能力
がない
水素を燃やせば
その酸化反応で
気体の水である水蒸気が大量生産され
それが冷えて液化することによって
集中豪雨となって降水密度を高め
洪水や土砂災害などを
世界各地で引き起こし
海面水位の上昇を
最終的に急がせて
地球全体を水没させてしまうこととなる
H2Oは自然条件の下では分解せず
水素爆発がそうであるように
二千度以上の熱との接触か
または
電気分解という方法を用いない限り
水素と酸素へと元素分解することは
できない
水が極めて安定な化合物
であるということが
海面の水位を
緩慢に
だが
着実に上昇させ
これが地球を沈没させて
あらゆる生命に
鰓呼吸することを強いるだろう
ただしい日本語を改めて学習することで
新しい発見
を導くことが
可能になる
そのためにこそ
幼児教育を
この日本の風土で行うことで
世界を指導する能力をもつ人材を
育成する必要が急務となる
忖度を重ねた結果の敗戦が
日本語とそれに固有の文化の価値を
下位の次元へと
戦争体験の結果が
引き下げる主体となった
平和の実現を遠ざけていたのは
日本語以外のすべての言語
健全な文化は
健全な言語を育てる
先祖が保持していた健全な言語文化
は
敗戦によって失われ
エゴをむき出しにする
主語を強調するトツクニの言語によって
欧米型の教育が熱心に推し進められ
知識の量的拡大に特化したことで
知識の質的劣化を逆に急がせた
その結果欧米型の価値基準
で統一された世界が生まれ
ミサイルで遊んでいるフリをする国家に
この国の指導体制は
あられもなく打ち揃って縮み上がり
怯えて暮らすようになったのだった
分析能力の欠如は
思考力の劣化が齎した
考える力が不在なら
認識能力もまた約に立たない
欧米型の民主政治を善
と信じている限り
国際政治の場で行われている
力の誇示によるイジメの構造
は果てしなくこれからも機能しつづけ
生産に貢献できない
破壊のためのあらゆる投資は
平和の実現に
何一つ
寄与しない
これら民主主義の欠陥が
このところ俄かに浮上する時代
がやってきた
制度疲労は
もうはじまっている