かつて
ソビエト連邦
と呼ばれていた
巨大な
共産主義体制で統一された
国家群が
内部崩壊状態で
一夜にして自滅してしまったのは
長年続けられてきた
統制された計画経済
という
市場メカニズムを超越した仕組みの維持に
執着していたからだった
当時の段階で
既に
それは
機能しなくなっていた
この事実に
共産党指導部が
尊大であるガゆえの
無関心
に終始し続けていたということが
強大な国家群であった
ソビエト連邦という体制を
もののみごとに消し去った
最大の原因となっていた
往時
対抗勢力と位置付けられていた
アメリカ型の
市場原理に基づく
自由主義経済圏では
貿易量の拡大
を維持継続し続けていくことによって
付加価値を生み出すための
さまざまな努力が
ビジネスとして成り立っており
その仕組みの継続と発展とが
精力的に続けられるようになっていた
70年代に於いて
二度のオイルショックを経たことにより
エネルギー資源の安定確保
の枢要性ということに
世界各国が同時に目覚めることとなったことから
その後
試行錯誤と紆余曲折をさまざまに経て
通貨交換システムの反応場
であるところの為替市場と
原油取引の相場の基準
とされるようになった
W T I
と呼ばれる市場の結果によって
世界の原油価格が決定される
という仕組みが改善を経て
現在のモデルへと発展していくこととなったのだった
原油相場で価格決定を行うための最大の因子
に影響を及ぼす中心となった場所が
アメリカ国内に作られていたW T Iだった
ということなのだ
ヨーロッパと太平洋とを舞台とした
世界的な規模の戦闘に勝利した
連合国の代表的存在となったアメリカの通貨
であるドルは
英国の通貨であるポンドに
とって代わる存在となったのだった
第二次世界大戦の欧州戦線に於いて
重商主義の時代から
植民地経営で富を集積する地位にあった
英連邦の総帥であるイギリスから
指導者としての地位を奪ったヒットラーのドイツが
アメリカに指導的地位を与えた
という見方ができる
英連邦で流通していたスターリングポンド
が占めていた基軸通貨の座の後を襲って
あたらしい世界基準
を樹立するための
共通通貨となったのが
アメリカのローカル通貨に過ぎなかった
今の基軸通貨
つまりドルだった
当時 金本位制が敷かれており
金保有高が優れて高くなっていたアメリカのドルが
戦後体制の基軸通貨に相応しい
とされたからだった
この時の合議のことを
後にブレトンウッズ会議とよび
それによって後に形成された
戦後復興のための枠組みのことを
ブレトンウッズ体制というようになった
1944年夏のことである
連合国は日本が敗戦を受け容れた時点より
13か月も前に
戦後処理の進め方について
予め
基本となる方針を既に決定していたのだ
このため終戦を急ぐ目的で
日本本土に繰り返し
執拗な爆撃を行い
日本の強い抵抗に業を煮やして
ついに
原爆の行使へと
踏み切った
その後の経過は戦後史にみるとおり
核兵器の量を競い合うようになった
アメリカとソ連とは
一触即発の危機的状態へと追い詰められ
鉄のカーテンと呼ばれた
冷戦の構造を膠着化させていった
経済成長を競う経済戦争で
計画経済に拘った共産党国家は
次第に経済活力を失っていき
緩慢に衰退していったその一方で
市場原理に基づいて
旺盛な経済成長を遂げつつあった
自由主義経済圏では
日本のバブル経済が突出した繁栄を記録し
その姿が統制経済下で
行列して待たなければ
何も買えないソ連の消費市場に
アイソをつかした国民を量産することとなった
共産党指導部の専横を
国民に批判させることとなり
民心を離反させてしまった結果として
ソ連の内部崩壊が誘導された
中国型の共産党体制は
市場原理を取り込んで経済成長を図ったのだったが
ドル余り現象が生む必然の帰結として
過剰流動性の受け皿となる道を
意味を知らぬまま
自らの意志で選び取った積りになっていた
ドルの中国への大量流入は
人民元の通貨価値を
必要以上に
短期間で押し上げた
高くなりすぎた人民元の価値を押し戻す目的で
共産党政府はドルを買うための人民元を大量供給し
ドルの価値と人民元の価値との間にできた乖離幅を
安定化させる金融政策をとるよう仕向けさせた
国内市場は過剰流動性の上陸で
資本は渦を巻く勢いとなり
13億人が形成する消費市場の巨大さと
土地価格の一方的な上昇が生む利益の増大効果で
不動産の使用権売買を商機として
巨額の富を手に入れた党幹部と
それに連なる市場主義経済の推進者達とが
市場規模の野放図な拡大を放置し
資本移動の制約のない陰の銀行を多用して
ドルの流入を一層拡大させるようになっていった
この時期
1990年代から2013年にかけて
中国は
人民元の通貨価値を引き下げておくために
ドルを切れ目なく買い続けていなければならなくなり
ドル資産の運用先として
最も安全かつ有利なドル建ての公債
への大量投資を増やしていった
このようにして
中国は世界最大の債権国へと昇りつめたのだったが
アメリカへの投資を意味するドル建て債権の拡大が
米政府を支援することにしかなっていなかったことから
2012年頃から
脆弱化していた自国の海軍力を増強するための予算へと
為替介入して得たドルの使い道を
振り替えるように方針を変更していた
この経過が安定状態を保っていた
ミリタリーバランスに強い影響を及ぼし
アメリカの艦隊を大西洋から太平洋へと
シフトさせるという展開を新たに生み出した
同じ頃
尖閣諸島の帰属を巡って
日本が国有化したことを契機として
示威的な行動を
共産党政府が取るようにもなっていた
世界の生産基地となることを目指していた中国は
エネルギー資源の確保を絶対命題と心得
世界中の地下資源の取り込みに
熱中する姿勢を誰憚ることなく見せていた
中国共産党政権は
尖閣問題を起点として
カントリーリスクのある市場であることを
世界中に知らしめた
ドル資本以外の投資家は
過剰流動性が生む経済圧力の埒外にいたことから
対中投資に一定の距離を置くようになり
中国の経済成長は
その後停滞期に突入していくこととなったのだった
世界中からやってきた工場が
より低い労働賃金を求めて
中国本土から出ていき
産業の空洞化と
乱開発の結果として残された
巨大なゴーストタウンなどが
複数残されたままとなり
いまでは
過去の栄耀栄華を
物語る虚ろな存在となり果てた
経済のメカニズムは推進力を失った時
逆回転する準備へと入る
既にその兆候はあちらこちらで
観測されるようになっており
大量の債務不履行が
浮上する時の到来を
いまや遅しと待ちかまえている
ソ連の崩壊ではドル経済圏の拡大がおき
二期目のクリントン政権で
長年の赤字続きに苦しんでいた財政状態を
短期間で黒字転換させていたのだったが
ブッシュジュニアが大統領に就任した翌年に始まった
イラク戦争で
その後急速にもとの赤字体質へと転落してしまい
現在では財政の崖となって
米政権から自由度を奪い取る
最大の圧力源となっている
こうしてアメリカは
世界の保安官となっていることができなくなり
中東ではテロリストとの戦闘で疲弊し
シリアでは介入することを躊躇した
ロシアからの調停案を取り入れたところに
ウクライナでの内部対立が表面化し
軍事的な対立への道を選ばずに
経済的な対立の道
を選択するようになったのは
けだし
賢明な変化だといえよう
民族的な武力闘争と
宗教的な武力抗争との
二正面作戦を強いられているそのアメリカに
日中間
日韓間
の軋轢が米朝間の上に加わったことにより
アメリカの財政危機は
いままさに
極限状況へと差し迫りつつある
日本による集団的自衛権行使の提案は
まさしく
渡りに船の申し出となっているのだが
日本の政治的立場の独立志向は
米政府に
太平洋戦争当時の悪夢を蘇らせる
という経過を潜またものとなっている
平和と繁栄は両立しない
異なる概念を並立させることに意味はない
繁栄のないところに平和はなく
平和のないところに繁栄はない
平和と繁栄を不用意に並べて見せるその神経は
言葉に対する責任の無さを
よく物語っている
指導者の認識能力は
これほど
低い
ということを
この度の日米首脳会談は
はしなくも
露呈することとなったのだった
繁栄こそが平和の礎
健全な経済政策の履行こそが
そこへ至るただ一つの道
踏み出す足の置きどころ
が
最初の 一歩
ソビエト連邦
と呼ばれていた
巨大な
共産主義体制で統一された
国家群が
内部崩壊状態で
一夜にして自滅してしまったのは
長年続けられてきた
統制された計画経済
という
市場メカニズムを超越した仕組みの維持に
執着していたからだった
当時の段階で
既に
それは
機能しなくなっていた
この事実に
共産党指導部が
尊大であるガゆえの
無関心
に終始し続けていたということが
強大な国家群であった
ソビエト連邦という体制を
もののみごとに消し去った
最大の原因となっていた
往時
対抗勢力と位置付けられていた
アメリカ型の
市場原理に基づく
自由主義経済圏では
貿易量の拡大
を維持継続し続けていくことによって
付加価値を生み出すための
さまざまな努力が
ビジネスとして成り立っており
その仕組みの継続と発展とが
精力的に続けられるようになっていた
70年代に於いて
二度のオイルショックを経たことにより
エネルギー資源の安定確保
の枢要性ということに
世界各国が同時に目覚めることとなったことから
その後
試行錯誤と紆余曲折をさまざまに経て
通貨交換システムの反応場
であるところの為替市場と
原油取引の相場の基準
とされるようになった
W T I
と呼ばれる市場の結果によって
世界の原油価格が決定される
という仕組みが改善を経て
現在のモデルへと発展していくこととなったのだった
原油相場で価格決定を行うための最大の因子
に影響を及ぼす中心となった場所が
アメリカ国内に作られていたW T Iだった
ということなのだ
ヨーロッパと太平洋とを舞台とした
世界的な規模の戦闘に勝利した
連合国の代表的存在となったアメリカの通貨
であるドルは
英国の通貨であるポンドに
とって代わる存在となったのだった
第二次世界大戦の欧州戦線に於いて
重商主義の時代から
植民地経営で富を集積する地位にあった
英連邦の総帥であるイギリスから
指導者としての地位を奪ったヒットラーのドイツが
アメリカに指導的地位を与えた
という見方ができる
英連邦で流通していたスターリングポンド
が占めていた基軸通貨の座の後を襲って
あたらしい世界基準
を樹立するための
共通通貨となったのが
アメリカのローカル通貨に過ぎなかった
今の基軸通貨
つまりドルだった
当時 金本位制が敷かれており
金保有高が優れて高くなっていたアメリカのドルが
戦後体制の基軸通貨に相応しい
とされたからだった
この時の合議のことを
後にブレトンウッズ会議とよび
それによって後に形成された
戦後復興のための枠組みのことを
ブレトンウッズ体制というようになった
1944年夏のことである
連合国は日本が敗戦を受け容れた時点より
13か月も前に
戦後処理の進め方について
予め
基本となる方針を既に決定していたのだ
このため終戦を急ぐ目的で
日本本土に繰り返し
執拗な爆撃を行い
日本の強い抵抗に業を煮やして
ついに
原爆の行使へと
踏み切った
その後の経過は戦後史にみるとおり
核兵器の量を競い合うようになった
アメリカとソ連とは
一触即発の危機的状態へと追い詰められ
鉄のカーテンと呼ばれた
冷戦の構造を膠着化させていった
経済成長を競う経済戦争で
計画経済に拘った共産党国家は
次第に経済活力を失っていき
緩慢に衰退していったその一方で
市場原理に基づいて
旺盛な経済成長を遂げつつあった
自由主義経済圏では
日本のバブル経済が突出した繁栄を記録し
その姿が統制経済下で
行列して待たなければ
何も買えないソ連の消費市場に
アイソをつかした国民を量産することとなった
共産党指導部の専横を
国民に批判させることとなり
民心を離反させてしまった結果として
ソ連の内部崩壊が誘導された
中国型の共産党体制は
市場原理を取り込んで経済成長を図ったのだったが
ドル余り現象が生む必然の帰結として
過剰流動性の受け皿となる道を
意味を知らぬまま
自らの意志で選び取った積りになっていた
ドルの中国への大量流入は
人民元の通貨価値を
必要以上に
短期間で押し上げた
高くなりすぎた人民元の価値を押し戻す目的で
共産党政府はドルを買うための人民元を大量供給し
ドルの価値と人民元の価値との間にできた乖離幅を
安定化させる金融政策をとるよう仕向けさせた
国内市場は過剰流動性の上陸で
資本は渦を巻く勢いとなり
13億人が形成する消費市場の巨大さと
土地価格の一方的な上昇が生む利益の増大効果で
不動産の使用権売買を商機として
巨額の富を手に入れた党幹部と
それに連なる市場主義経済の推進者達とが
市場規模の野放図な拡大を放置し
資本移動の制約のない陰の銀行を多用して
ドルの流入を一層拡大させるようになっていった
この時期
1990年代から2013年にかけて
中国は
人民元の通貨価値を引き下げておくために
ドルを切れ目なく買い続けていなければならなくなり
ドル資産の運用先として
最も安全かつ有利なドル建ての公債
への大量投資を増やしていった
このようにして
中国は世界最大の債権国へと昇りつめたのだったが
アメリカへの投資を意味するドル建て債権の拡大が
米政府を支援することにしかなっていなかったことから
2012年頃から
脆弱化していた自国の海軍力を増強するための予算へと
為替介入して得たドルの使い道を
振り替えるように方針を変更していた
この経過が安定状態を保っていた
ミリタリーバランスに強い影響を及ぼし
アメリカの艦隊を大西洋から太平洋へと
シフトさせるという展開を新たに生み出した
同じ頃
尖閣諸島の帰属を巡って
日本が国有化したことを契機として
示威的な行動を
共産党政府が取るようにもなっていた
世界の生産基地となることを目指していた中国は
エネルギー資源の確保を絶対命題と心得
世界中の地下資源の取り込みに
熱中する姿勢を誰憚ることなく見せていた
中国共産党政権は
尖閣問題を起点として
カントリーリスクのある市場であることを
世界中に知らしめた
ドル資本以外の投資家は
過剰流動性が生む経済圧力の埒外にいたことから
対中投資に一定の距離を置くようになり
中国の経済成長は
その後停滞期に突入していくこととなったのだった
世界中からやってきた工場が
より低い労働賃金を求めて
中国本土から出ていき
産業の空洞化と
乱開発の結果として残された
巨大なゴーストタウンなどが
複数残されたままとなり
いまでは
過去の栄耀栄華を
物語る虚ろな存在となり果てた
経済のメカニズムは推進力を失った時
逆回転する準備へと入る
既にその兆候はあちらこちらで
観測されるようになっており
大量の債務不履行が
浮上する時の到来を
いまや遅しと待ちかまえている
ソ連の崩壊ではドル経済圏の拡大がおき
二期目のクリントン政権で
長年の赤字続きに苦しんでいた財政状態を
短期間で黒字転換させていたのだったが
ブッシュジュニアが大統領に就任した翌年に始まった
イラク戦争で
その後急速にもとの赤字体質へと転落してしまい
現在では財政の崖となって
米政権から自由度を奪い取る
最大の圧力源となっている
こうしてアメリカは
世界の保安官となっていることができなくなり
中東ではテロリストとの戦闘で疲弊し
シリアでは介入することを躊躇した
ロシアからの調停案を取り入れたところに
ウクライナでの内部対立が表面化し
軍事的な対立への道を選ばずに
経済的な対立の道
を選択するようになったのは
けだし
賢明な変化だといえよう
民族的な武力闘争と
宗教的な武力抗争との
二正面作戦を強いられているそのアメリカに
日中間
日韓間
の軋轢が米朝間の上に加わったことにより
アメリカの財政危機は
いままさに
極限状況へと差し迫りつつある
日本による集団的自衛権行使の提案は
まさしく
渡りに船の申し出となっているのだが
日本の政治的立場の独立志向は
米政府に
太平洋戦争当時の悪夢を蘇らせる
という経過を潜またものとなっている
平和と繁栄は両立しない
異なる概念を並立させることに意味はない
繁栄のないところに平和はなく
平和のないところに繁栄はない
平和と繁栄を不用意に並べて見せるその神経は
言葉に対する責任の無さを
よく物語っている
指導者の認識能力は
これほど
低い
ということを
この度の日米首脳会談は
はしなくも
露呈することとなったのだった
繁栄こそが平和の礎
健全な経済政策の履行こそが
そこへ至るただ一つの道
踏み出す足の置きどころ
が
最初の 一歩