こ と の 端

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自 業 自 涜

2010-10-24 07:35:07 | Weblog
石油を燃やし続けている時代には

大気中の二酸化炭素濃度は

増えるだけで

減ることはない


消費者が節電したからといって

発電所の燃焼炉が

その分だけ止まっているということには 

ならない

蒸気発電で必要なのは

安定した蒸気圧

圧力を一定に保つためには

絶えざる燃焼が

絶対的に

必要なのだ

ごく当たり前の話


節電に努めれば

それで温暖化が止まると

誰もが思い込んでいる

これは実に危険なことである


省エネに二酸化炭素の排出を抑制する効果がもしあるのなら

電力消費を減らすことで

温暖化にストップをかけることができていなければならない

二酸化炭素を実効値で減らすことができていなければ

その濃度は増え続け

温暖化を止める効果は引き出せない

現状をみれば

そのようになっていることがすぐ分かる


気候の変動は

効果のない対策に終始していたこれまでの経過が

永年にわたり

成果なく積み重ったことによって

自然災害の増加という禍と

ドルに対する不信任と



ほぼ同時に生み出していた


温室効果ガスの濃度は高まるばかりとなり

国際経済は資源価格を高騰させたことによって

脆弱化した

石油のもつ価値に支えられてきたドルは

結果として

多くの通貨に対して売られ易い状態となったのである

ドル建ての債務はその結果

大幅に軽くなり

アメリカの負担は軽減されることとなったのだが

ドル資産を持つ者は

反対に

その価値の減少を

自らの身に引き受けなければならなかった

これがドルの価値を更に貶めるその要因の一つになった


二酸化炭素の排出量を抑えなければならないことを承知していながら

先進諸国は

それを名目の値へとすり替えた

未曾有の難局を安直な方法で乗り切ろうと謀ったのだったが

そのあざとさの故に

文明は

自然災害の増加をより早く引き寄せることとなった

ということなのである

浅慮に基づく判断の結末を

古来

自業自得と呼んできた


机上の計算で導きだした削減値と

実際に燃焼炉が生み出した酸化物の量とは

相反するものになっているはずだ

国は燃焼炉の稼働率の変化を確認していない

データと照合していたら

実効のない温暖化対策の原因を

早い段階で付きとめることはできていた


二酸化炭素を実際に減らすことが求められているときに

電気エネルギーの消費を減らすことで

温室効果ガスの排出を抑制した

ということに

便宜上した

というだけのことに過ぎない


一旦燃やされた資源が

その生産物である電気の使用を減らしたからといって

元の状態にまで戻ることなどありえない

そんなことは当たり前の話なのだが

誤ったままの認識が

一度も批判されることなく

そのまま通用するようになって現在に至っている

この経過には

学ぶべきもの多くがある

石油に代わり得る低廉で無害な資源が

地表に存在していないからといって

有害な二次生成物を生む地下資源を使い続けていてよい

ということにはならない


人類は石油の消費を抑制するのではなく

石油の利用効率を改善させることで

地下資源を燃焼させることに合意し

需要を超えた電力を供給し続ける

という従来の路を

選択したのだった


節電では二酸化炭素の排出量を減らすことはできない

この事実を関係者が知らなかったはずはない

原子力への俄かなシフトは

その事実を告げるためのものになっている


温暖化を防止するために投じられた対策費は

十年以上の長きに亘って

国庫から流出していたのだった

この損失を国に返戻すべきはどこの誰か

を問わずにいたということが

状況を悪化させる原因を構成している

その責任をとる者はどこにもいないのだ

それで済むような制度になっているからである

このため

国の財政は年ごとに劣化していかざるを得なかった

債務残高を結果として一兆円の大台へと近づけたのは

検証プロセスを蔑にしてきたその結果なのだ


事実関係の確認を怠っていた国の責任は重大だが

真相の公開を秘匿し続けてきた電力業界の罪はもっと重い

背涜の行為をこととする企業はその存続を自ら危うくする

送電線を必要としないエネルギーシステムは

ある日

突然に姿を現す

その時から

健全化へと向かう意識の集合化が

粛々として

起きるようになるだろう
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