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こ と の 端

散文でロジックを
環境 経済 エネルギー 電気 教育 などの "E" に関するちょっと気になったこと

虚 偽 虚 妄

2009-06-07 08:12:11 | Weblog
二酸化炭素濃度が増加し続けるというこの現実を

人類がやむなく受け容れる気になるのは

五年以上先の はなしになりそうだ


しばらくは

世界中で

有効だと信じられている太陽光発電の

量的拡大に勤しむ日々が 営々と続けられるだろう

どんなに太陽電池を世界中にたくさん普及させていっても

大気中のCO2濃度は

確実に 上がり続けていく

減るなどということは 

絶対に

おきない


これまでが まさしく そうだった

これからも おそらく そうだろう

実効の不在は 雄弁である


問題の所在が見えていないと

尤もらしい手を打って

それでうまくいくはずだ

と 思い込み

効果の有無を確認することなく

牢固たる方法に縋りつく

他の選択肢があっても

それに益々気づけなくなっていく


根拠なき確信は 虚妄

人類は 自らが陥ったこの現実を

未だに理解することが

できない


温暖化する一方という状況が現実にありながら

それが

一向に改善されていないにも関わらず

信じた方法が間違っていたのかも知れない

と疑ってみることさえ 一度もしなかった

実効がなかったというその理由を辿っていけば

そこに待っていた真実と

すぐにでも出会っていたはずだったのだが


誤った認識をそれと知らずに抱き続けていると

望ましい結果は

間違いなく

得られない

反対に

望ましからざる結末を 

手に入れてしまうことになる

不具合に充ち満ちているこの現況こそが 

その雄弁な証拠なのだ


温暖化は 間違いなく 

止まらずにこれからも悪化する

この経過を ひたすら 続けていく道を文明は選択した

道理がないものは いつになっても実現しない

妄想と決別しなければ 衰弱の果ての死が待っている


発電で消費した化石燃料が

節電を行えば応分に減る

という理屈は どうみたところで

成り立たない


止めておくことができない交流電流を

節約しても

余らせた電流をただ地の底へと捨て去るだけのこと

変化し続ける要素である周波数をもつ交流電流が

もし 止まってしまったのなら

周波数もまた 存続することができなくなるからだ

これは

交流電流のもつ鉄則



太陽電池が生み出した余剰の電力を

電力会社が有効利用するためには

トランスから下流の部分で

電力消費という需要が 

同時に発生していなければならない


トランスの高圧側コイルを流れる電流の電圧は

低い地域では 6600ボルト

高い地域では 7700ボルト

もあるのだ


この巨大な差で作られている電圧の壁を

太陽電池が生んだ100ボルトの電流は

乗り超えていかなければならない

66倍の電圧を獲得することができた電流のみが

電力会社の配電系統に

逆潮流を生み出すことができるものとなり得る

電流を成り立たせるためには そこに電位差が設けられていなければならい



トランスに逆流を可能にする二次コイルが設置されているのなら

自然エネルギーの有効利用は 確かに可能だといえるだろう

だが

トランスの二次コイルが

6600ボルト以上の高圧を生み出しているとする証拠は 

どこにも ない


電力会社は余剰電力を買い取るだけではなく

その電力が有効利用されたことを

データで証明するべきである

理に合わないことは

その一切が不合理と呼ばれる


電力会社が対価を支払っているという理由だけでは

それが

有効利用されたということにはならない

損を承知で買い取らざるを得ない状況が与えられていたのなら

経済原則に反することは起こり得る


国民が余らせた電力が 他で有効利用されていたのであれば

二酸化炭素が増え続けていたのはどうしてなのだろうか

思考力を涵養してこなかった知識偏重型の教育制度は

このような

単純な事実をみようとしない階級を大量に生み出した

温暖化の悪化と国民生活の劣化との間には

紛れもない相関が存在する

ここに気づくことができなければ

子供たちの未来は 自動的に

消え去るのみ

選択を誤ってはならない 
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