創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・池田大作をブッた斬る-39

2019-06-25 07:05:59 | Weblog
 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会-池田大作をブッた斬る
    藤原弘達 1988=昭和63年 (日新報道/¥1,000)
    ------(P.156)---(以下、本文)-------
 
▼ 公明党が「連合」をいう本当の魂胆
 公明党が連合を口にするのは、なにも今に始まらない。ある時は革新連合、ある時は保革連合、またある時は野党連合であった。公明党の主唱する連合論は、革新連合かと思えば保革連合--あの二階堂擁立構想みたいに、もはや革新などとはいえない公明・民社という日和見勢力と二階堂をダシに自民党田中派と組もうとする実質的“保守連合”まで、いろんな力ードの組合せがあった。
 
 それこそ、クランクイン直前に流れた未完成のシナリオ・二階堂擁立劇など、連合と呼ぶより“野合”の名こそふさわしいものだった。そこで躍った彼らがいかに無責任で、およそ「天下の公党」として国民への約束ごとを無視した政治姿勢をとったことか、その点だけはまさに終始一貫している。当時の委員長・竹入と書記長・矢野の発言、並びに現委員長・矢野の発言を並べる時、ただもう呆れるのみである。
 
 朝日新聞政治部編『田中支配』(朝日新聞社)の竹入発言--
 「…公明党は野党、総裁選は自民党の党内問題であるから、公明党が直接、自民党内に手を突っ込むことはできない。隔靴掻痒の感がする。しかし“外野席”からハンカチを振るだけで、これだけのインパクトがあるなら、次にこういう状況があったら上着をぬいでやる」
 二階堂擁立が流れた後の書記長・矢野の発言--(昭和五十九年、テレビ番組に出演、インタビューに答えて)
 「いまはもう、保守か革新かの時代ではない。自民党との連合か、野党連合か、乗りごこちのいい方に乗ります」
 四年後の今日、委員長としての矢野絢也は週刊誌のインタビューで次のように発言しているが、無責任といおうか、無邪気といおうか、それとも有権者、国民をてんでナメているのか、その総てを含んでおつりのくる内容である。(「週刊ポスト」63・7・22号)
 
 「--“野党を一本化する”というのは、つまり公明党を解体するということですね」
 『私が解体なんていうと、ちょっとまずいんですけどね』
 --委員長が除名される?
 『ともかくバララバラの野党を一本にまとめるということは、公明党の名前が将来、発展的に解消していくこともあり得るということです』」
 
 また「週刊朝日」(63・7・1号)では、こう発言している。
 「しかし、労働運動では『連合』が結成された。こうなった以上、野党の方だって『連合』プラス市民無党派という形で政局にかかわることを期待されるのは当然です。(中略)最終的には、公明党を発展的に形態変化させ、野党連合の中の一つの部分となり、政権交代を狙えるまで持っていきたい。自己否定の論理ですよ、これは」
 
 さらに、このインタビューでは矢野のオマケ発言がある。
 「--でも、四年前の二階堂擁立構想の時のように、自民党の一部と組むことも考えているのでは。
  矢野 あれは世にも壮大なブラックユーモア。田中角栄さんの一番番頭の二階堂さんを担いで田中支配の政治構図を壊そうとしたわけよ。ちょっと悪乗りしすぎた感じもあるが、現状打破はこれからもユーモアを持って大いにやるべきですよ。要するに、政治は生きものだから乱に臨み、変に応ずるところがないとね」
 
 こんな全くのでまかせでいやしくも政党政治=オープン・デモクラシーをやろうというのだから、もはや救いがたい堕落であり、精神的痴呆症というほかない。政治は生き物だから乱に臨み、変に応ずる(臨機応変か?)というが、これでは豊田商事の先物べーパー商法ではないか。二階堂擁立がブラツクユーモアだったこれこそ政治を弄び、政党私物化の池田発想そのものだ。もし、そうではないというのであれば、「もっと日本語を勉強し直せい、大バカモノ」と矢野公明党には戒告しておきたい。
 
 だが私には、今さら公明党のハラの中まで究明する必要など覚えない。公明党が池田大作の思惑で動かされているのだということがかくも明らかである以上、公明党の連合論にしても、政権獲得へのせいぜい「三国志」的戦略の応用問題くらいに受け止めておけばよい。まことにチャチな「三国志」的戦略が、それなりに一段と警戒を要する段階にきているということである。学会・公明党が連合論をもちだすのは、戦略などというもオコがましい。乱世に乗じて混乱を大きくすればそれなりの効用はある、との計算であろう。
 
 かって、財界筋、銀行筋を動かして、民社党に合併話を持ちかけた時の池田の魂胆を、民社委員長(当時)西村栄一にしてもそれなりに「行くところがないから、貰ってくれというわけだろう」と、当初は見抜いてはいたようだ。見抜いていながら合併話に乗りかけたのは、民社党の全く主体性のない日和見主義的体質からだ。民社、学会・公明党が、互いに相手の弱みを読みながらの駆引。だから、国会での大作追及をかわすテコに利用されただけでチョン。当初からまとめる気など全くなかったのだ。
 
 野党連合も社公民(社民連をぶらさげて)連合で自民党と対決という政治地図を描くのか、それとも社会党とは手を切って公民連合で自民党と連合するのか、或いはドタン場で民社を置いてきボリに、自・公連合をやってのけるか、そんなことはもはやどうでもよい予測になろうが、一つだけ確実なことはいえる。
 自民対公民の連合ではむろんのこと、社公民野党連合においても、公明が主導権を握るなんということは当初から考えられていないのだ。こう見てくると、矢野の“解党”論など単にシャミ線ひいているにすぎず、“自己否定”論に至っては全くの嘘っぱちで、総て公明党の夜郎自大ふうな引っかけセリフにすぎない。
 
 目的はただ一つ、政権の一角になんとか辿りつく最短距離、野党その他との連合のポーズは総て自民党との取引を有利にするための見えすいた駆引に過ぎない。
     ----------(つづく)---------160
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創価-池田大作をブッた斬る-38

2019-06-24 08:58:51 | Weblog
 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会-池田大作をブッた斬る
    藤原弘達 1988=昭和63年 (日新報道/¥1,000)
    ------(P.152)---(以下、本文)-------
 
▼ 大人同士の“魔”呼ばわり
 吹けば飛ぶような男だと、面と向かって池田からいわれ続けてきた公明党議員・大橋敏雄が、池田大作告発(宣戦布告)を雑誌に発表したのは、学会・公明党にとりショックは小さくなかった。意表をつかれたということと、それなりの連鎖反応が危惧されるからである。
 私などからみると、大橋議員の告発内容そのものは、とりたてていうほどショッキングなものでなく、ほぽ想像していた通り、或いは、これまでに流れてきた、いわゆる内部情報の範囲に止まった。ただ、これまでと違い、学会・公明党の、いわゆる“鶴の力ーテン”もしくは学会を外の世界と隔てる壁が崩れだし、穴をあけられたことにあろう。かたい情報管制の防壁に、内側から穴があけられてしまったワケである。
 
 それだけに、大橋敏雄に対する学会・公明党のバリ雑言はすさまじい。
 一方の大橘議員は、吹けば飛ぶようなと見くびられていた人物なだけに、この謀叛はよくよくのことだつたとみられた。
 雑誌「プレジデント」(58・8号)の「藤原弘達『激動を射る』」で大橋はいう。
大橋 正直言って反旗を翻すまでは怖かったけど、いったんやってしまうと、こんな楽な、こんな晴れ晴れとした人生があったのかと、やっばり自分のやったことは間違ってなかったなと。
  弘達 ホホッ。(笑)
  大橋 そういう涙なんです。それから記者会見には約束どおり行正先生が駆けつけて共闘宜言してくださったし......。
 それから私は自分の信仰心は間違ってないと自負しています。その証拠には私は子供を四人持っていますが、四人が四人とも大きな交通事故を経験しながらみんな不思議に助かっているんです。特に長男などは九死に一生を得ています。自慢になることじやないかもしれないけど不思議でしょう。
  弘達 その証拠には……以下は僕は大橋さんとは立場が違うから、賛成も反対もしないけどね。
  大橘 それはそれでいいんです。私は日蓮正宗を信じ、創価学会という信徒の集団に属していますが、日本人がみんなそうしなければいけないとも思っていませんから……。
  弘達 そうそう。それが僕の言う政教分離なんだよ」
 
 とにかく、信仰心は厚い人間なのである。池田に反旗を翻すまでは怖かったが、一且踏み切ってしまったら晴れ晴れとしたと語る。要するに、大橋の立場は、池田の信仰上の誤りが創価学会を誤らせた、という批判を原点にしているのだ。
 しかし、これは学会・公明党には通用しないから、大橋は裏切り者にされる。池田大作の信仰上の誤りを告発したのが、なぜか公明党の方で処分問題ということになる。政教分離のタテマエ上やりたくないが、池田告発をやったような党員をお咎めなしにしておいては、矢野公明党が池田から却って反逆罪に問われる。言葉としてではなく、質的に、池田に対する“不敬罪”が学会・公明党にはチャンと存在しているのである。
 
 かくて、昨日までの同志・大橋敏雄は、一転して“魔”と呼ばれることになる。日本共産党だと、これが“スパイ”と呼ばれる。科学的社会主義の党が、“魔”などと呼ぶわけにはいかない。それはさておき、同志がたちまちにして“魔”になるところだけは、共産党に劣らず全く容赦がない。
 そして、創価学会員にとって“魔”呼ばわりは、共産党のスパイ呼ばわりよりはるかに厳しい。宗教的に断罪するのでは、反証のあげようがない。スパイ呼ばわりに対しては「証拠を示せ」といえるが、“魔”の証拠は出せというのがそもそもムリなのだ。こういうように、観念論というか唯心論というか、やたらとオカルト的になってくると、学会・公明党のバリ雑言は第三者には却ってスゴ味などなく、むしろバカパ力しく滑稽にすら映る。
 
 創価学会流バリ雑言を幾つか拾いあげてみると--
 「学会の清らかな世界を破壊しょうとする魔...」(週刊ポスト)
 「池田さんから見れば私は魔でしょうけど、私から見れば池田さんこそが魔なんです」(大橋敏雄代議士=週刊ポスト)
 「この魔をほっておけば、ゴキブリのように調子にのって、どんどん繁殖していきます」(浅見茂青年部長=創価学会九州広布三十五周年記念幹部会にて)
 「夏の蚊のような大橋などという人間…」(秋谷栄之助会長ー同)
 ついに、大橘敏雄と共闘する藤原行正が逆襲して、テレビ・ゲームまでもちだす。
 「『ドラゴン・クエスト』っていうのは、宗教界の大魔王を倒すテレビゲームなんです。(中略)
 これが三百万か五百万も売れてんですね。だから中学生や小学生にいうと、『ああ、池田大作っていうのは大魔王か』ってピッてわかる」(月刊「現代」2・8号)
 
 まことに他愛のないものだが、この程度の悪罵が大人同士の間にポンポン飛び交うところに、ただ滑稽だと笑っていられないものを感じる。
 公明党のように、衆参両院あわせて八三人の議員を擁する政党が、コトある毎に、魔だ、ゴキブリだ、蚊だ、どぶネズミ....といった程度の表現でしか内部造反者を断罪できないでは、この日本の宗教審判政治もその程度のほどは知れたもの、という気もする。
 王仏冥合や広宣流布を叫ぶ宗教的心情的呪文に、公明党はガッチリと縛られたままなのである。
 
 中世的な呪術、ご利益と、バチによってしかコント口ールできない人間集団も、宗教の世界に止まる限り、幻想の王国でいられる。信教の自由は、戦後民主憲法で保障しているはずなのに、創価学会は、信教の自由を侵す宗教的情念(邪宗排撃、広宣流布)で公明党を逆に縛ってるのだ。「天下の公党」があえて甘んじて縛られたままになっている、といってもよい。
 この「魔法の園」のカラクリでは、底知れぬ混乱と迷妄を生みだすのみというほかない。
     ----------(つづく)---------156
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創価-池田大作をブッた斬る-37

2019-06-23 08:25:38 | Weblog
 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会-池田大作をブッた斬る
    藤原弘達 1988=昭和63年 (日新報道/¥1,000)
    ------(P.149)---(以下、本文)-------
 
側近であるほど敬愛からはほど遠い「お父さん」
 たとえ三〇〇万もの会員の組織であっても、創価学会は極めて閉鎖的な集団である。この組織において池田が絶対者であることは、前節で述べた。
 私は前に、G・オーウェルの小説『一九八四年』と創価学会・公明党の奇妙な類似性をあげたことがある。(『創価学会・公明党をブッた新る』)
 
 「“偉大な兄弟”はスターリンではなく、永遠の大聖人日蓮である。これに対し、“人民の敵・ゴールドスタイン”はトロッキーならで、邪宗、謗法者の類いである。さらにいうなら“偉大な兄弟”は、日蓮の生まれ変わり、池田大作である。創価学会では、もちろん“偉大な兄弟”とは呼ばない。『会長先生はお父さんのような方です』という。池田より年上の幹部連中にとっても『お父さん』なのだ」
 
 オトウサンだったり、生き仏だったり、の名誉会長であるが、生き仏のような方というのは後でふれるとして、「オトウサン」の呼称、あまり敬愛の感情がこもらないようだ。それはそうだろう。日本なら唐獅子ボタンや昇り龍のクリカラモンモンの世界、あちらゴッドファーザーの世界でも、ボスが敬愛のマトだなんて真赤な嘘だ。生殺与奪の権を握っているボスはひとえに畏怖のマトであるからこそ、その組織は維持される。
 
 創価学会は唯一正しい宗教、日蓮正宗の創価学会派である。最高の教義は日蓮にあり、指導者・池田大作は日蓮の生まれかわりというわけだから、極道世界のボスどころではない。背けば、生きながらの地獄、来世も地獄となれば、とても敬愛するオトウサンではありえない。
 数百万の無名の会員大衆にとつてはオトウサンであっても、学会組織内でオトウサンとの距離が近い人間ほど、畏怖を抱く度合が強くなる。なぜ、そうなるのか。雑誌「現代」(63・8号)での私との対談で藤原行正はいう。
 
行正 創価学会の副会長クラスや衆参議員っていうのは学会内では一種の特権階級ですから、それだけ異分子を警戒するわけです。(中略)それはもう厳しい監視ですよ。
弘達 オレがおまえらを地位につけてやってんだ、とね。
行正 だから、地位から引きずり降ろすのも池田の肚ひとつで、現に私を次の都議選候補から外すことを決めたときにも、池田がわざわざ党本部にきて、私の公認外しの実行を監視しているんです。(中略)
弘達 そんなにされてまで池田に忠勤を励むなんて、自尊心のある人間のやるこっちやねえよ、まったく。
行正 そうです。大橋さんのはデッチ上げだけれども、矢野とか大久保(直彦・書記長)があれ式にやられたら大変ですよ。(中略) 矢野君だってあれだけの豪邸をつくって、そんなこと全部ほじくり返されてウワーッとやられたら、もういっぺんで吹っとんじゃう。池田って男は、そういう弱みや弱点をもってる人間ほど用いるんです。池田の周りの副会長や幹部でもみんなそうですよ。
弘達 それはヤクザと同じだ。ヤクザだって、ちょっと弱みのあるヤツを重用するんだよ。いつでも潰せるから。それにしても、大魔王に操られるなんぞはみっともない話じゃねえの」
 
 全く、池田大作のような人間をみてくると、したり顔で宗教史論を論じながら池田大作を解説する評論家もいるが、私には胸クソ悪いだけである。
 そんなに高次元の精神史の問題として俎上にのぼすほどのタマか、といいたくもなるのである。いっそ、信長が比叡山焼打ち、一向宗徒との対決、さらに石山本願寺攻めで示したような狂信徒に対する皆殺し……まさに暴挙ともいえる行動を通じて、日本人の宗教への免疫性ができたという説(「文芸春秋」60・8号)の方に心惹かれる。
 
 しかしながら、現代社会においては、信長の皆殺しのようなことができるはずもない。暴力は許されない。また、私は暴力を否定し、言論をもって立つ一個の自由人である。ぺンをもって斬るほかはない。
 閉ざされた世界の中において、治外法権的ニセのユートピアに大衆を縛りつけたその恐怖の况縛だけは、どうしても解き放たれなければならないのだ。
     ----------(つづく)---------151
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創価-池田大作をブッた斬る-36

2019-06-22 06:12:14 | Weblog
 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会-池田大作をブッた斬る
    藤原弘達 1988=昭和63年 (日新報道/¥1,000)
    ------(P.145)---(以下、本文)-------
 
▼ 池田大作“生き仏”の大ウソ
 今どき、生き神さまだの生き仏さまがいるかいないかを論じるほど愚かなヒマつぶしはないのだが、池田大作が生き仏で、仏に背くと地獄に堕ちるというのでは、少しは池田生き仏にふれないわけにもいくまい。私は宗教人ではないから、創価学会が池田大作を生き仏視することについて、とやかくの教義論はどうでもいいのである。
 とにかく、生き仏であろうと生き神であろうと、私には、人間が人間を拝むような宗教的迷蒙、アホらしさは蕁麻疹が出てくるほどキライだ。
 しかし、池田に背くとバチが当たる、仏さまの命令だから絶対に従う、といった創価学会人間の話を聞くと、宗教的迷蒙をあげつらう前に、創価学会という組織のもつ犯罪臭を感じてしまうのだ。
 
 犯罪といっても、法を犯すという意味でなく、要するに「人間が人間を犯す罪」である。人間の尊厳を傷つける罪である。天ハヒトノ上ニヒトヲツクラズであるが、「私は海苔屋のセガレで平凡な人間です」と池田大作が自らいう時、この男は自分を平凡とは思っておらず、自分をヒトの上に置いているのである。それは傲りにすぎないのだが、本人は、三〇〇万会員の頂点に立った自信のつもりであろう。
 
 戸田城聖にしても、今日まで生きのびていればどうだかわからぬが、少なくとも戸田は、よく「他人の懐ろをアテにする拝み屋になるべからず」といっていたそうだ。創価学会名誉会長の池田大作は、師匠の言葉からすれば、職業的拝み屋の大ボスとなったにすぎない。拝み屋を生き仏に仕立てるのは、まず組織がそれを必要としたということ。そのうちに生き仏なるものに組織の権力が集中する。すると、権力の周りを防壁で固める勢力が生まれてくる。総てが、閉ざされた世界の中で進んでいくのであって、この組織原理は近代的民主的なものとはまことほど遠い。
 
 多くの新興宗教の中、分派が独立するケースが少なくない。生長の家、世界救世教、立正佼成会、妙智会など、それぞれ元の教団の教義・教理を手直ししたり、プラスアルファーで新教団をつくっていった。生長の家や世界救世教は大本教からの分離独立であるし、立正佼成会、妙智会は霊友会からといった具合だ。しかしながら、分離独立した一派も新しい教祖が“生き神”であり、“生き仏”信者が集まる。
 巷の小さな宗教も同様に“神さま”が中心になる。だが、新興宗教も教団の規模が大きくなってくると、教祖は“生き仏”さまである必要が薄れてくる。戦後新興宗教をみても、先発組からは“生き神”“生き仏”の姿が消え、指導者の権威がこれに変わりつつある。新興宗教の教祖は世襲であるから、さすが二代目教祖は“生き神”にするのは、なかなかに難しいのだ。
 
 ところで、創価学会である。学会は、他の新興宗教の多くと違って、日蓮正宗信者組織であり、教祖は日蓮だ。本山・大石寺の法主が教祖の正統を継いでいる、法主“本仏”論である。
 池田生き仏=本仏論は、つまりは創価学会が日蓮正宗から一派を立てるために必要だったのである。
 学会第四代会長・北条浩(故人)が副会長当時、池田会長へ宛てた報告書「北条文書」というのがある。 (「北条より池田宛報告書」昭和四十九年六月十八日)
 「長期的に見れば、(本山と学会は)うまくわかれる以外にないと思う。本質はカソリックとプロテスタントのような違いである。
 戦術的には、すぐ決裂状態になることは避けて、(中略)当面G〈注・猊下=法主)の異常心理をしづめ、新しい進路を開きたいと考えます。但し、やる時がきたら、徹底的に闘いたいと思います」
 池田は、昭和五十四年に創価学会会長を退き名誉会長となった。学会の行き過ぎと、その収拾に不手際があった責任をとったという理由だが、教義上の問題、池田本仏論については一言もふれていない。本山との対立をギリギリのところで避けた。
 
 池田本仏論は、創価学会内においてはチャンと生きている。本山と和解した後、今では学会が本山を実質的に支配している。
 日蓮正宗信徒間に起きた「正信覚醒運動」の正信会(全国百五十力寺院に所属する法華講・擅徒組織)の機関紙「継命」(60・5・1号)にこうある。
 「現在の阿部(日顕)宗門は、日蓮正宗でもなんでもなく、“創価大石寺支部”または“創価学会法要部”でしかありません。創価学会の謗法の元凶である池田絶対化も完全に復活しました。宗門支配も完了しました。(中略)あと五年間で、阿部宗門も、その支配下にある僧俗も“しまった!”と気づいた時には、創価学会のめぐらしたあらゆる鉄鎖(てっさ)にがんじがらめとなり、……」
 
 会長から名誉会長に退いた時、池田は法華講総講頭も辞任した。宗門内法華講から、つき上げがあったからだ。だが、これも現在は本山法主から任命され復帰している。
     ----------(つづく)---------149
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創価-池田大作をブッた斬る-35

2019-06-21 08:51:23 | Weblog
--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会-池田大作をブッた斬る
    藤原弘達 1988=昭和63年 (日新報道/¥1,000)
    ------(P.140)---(以下、本文)-------
 
第五章 池田創価党自滅の構図
     --自分の墓穴は自分で掘れ
▼ 創価学会ユートピアの幻想
 昭和三十一年一月、甲府で起きた立正交成会(現「佼成」)の「長沼妙佼重病人踏み殺し事件」で、読売新聞は激しい批判キャンペーンを展開した。この攻撃をうけて五月、交成会会長・庭野日敬は会員に対して、反省、自己批判の講演を行なった。なお、同年六月三日には衆議院法務委員会で「不正なる宗教活動に対する決議」という、厳しい内容のものが採択されている。
 庭野交成会会長の講演について、宗教学者・高木宏夫は著書でこう書いている。(「日本の新興宗教」岩波析書)
 
 「なお、この談話で読売新聞の問題にふれたあと、『私どもは今日まで批判されるには、そこに因があるのではないか、われわれが善意にもとづいてしたことでも、おおぜいの人のことであるから、たまにはまちがったことがあったかもしれない。これは大いに反省、ザンゲをしなければならない(中略)』と自己批判し、さらに『私どもは凡夫でありまして、仏さまを信ずるところの信者であり、法華経を行ずるところの行者でありまして、また仏さまや神さまではないのであります。』と教祖の神秘化を自ら打ち破った」
 
 この前後の創価学会は、昭和三十年十二月、創価学会への破防法(破壊活動防止法)適用問題が起き、三十一年には初めて参院選に六人立候補、三人が当選。戸田城聖は「王仏冥合論」を発表し、年末には学会員四九万世帯になるという「折伏大行進」のさなかにあった。
 創価学会が先発新興宗教・立正交成会の域に追いつき追い越すには、昭和三十年代の長い時間を必要としなかった。三十四年には会員一二八万世帯、三十七年には二七〇万世帯、公明党結成の三十九年には四六〇万会員を擁するに至った。
 
 創価学会は、この時期、既に政教一体、池田王国のグランド・デザインを描いているのである。公明党結成、衆議院進出がそれを象徴していた。
 結党時の公明党綱領には、「王仏冥合の大理念を掲げて、地球民族主義にのっとり、人類の危機を救い、世界に恒久平和の礎を築く……」と、調子よく謳いあげている。しかし、どう考えてみても、日蓮の時代の王仏冥合の大理念と、二十世紀の民族主義、世界の恒久平和とは簡単につながってこない。人類とか世界とかいった概念を王仏冥合の「大理念」とつなごうとするから、ご都合主義、空想的になったのであろう。
 
 王仏冥合を空想的ユートピアの世界としておく分には、問題は起きなかった。ところが、政治の世界に持ち込んできたから、矛盾が大きく目立つ。矛盾・ボ口隠しに近代政治概念をやたらとかぶせる。いうなれば、ウソの上塗りだ。
 これに比べれば、戦前の武者小路実篤の「新しき村」(トルストイ主義?)、西田天香の「燈園(無一物教?)、戦後では一種のコミューン思想の「ヤマギシ会」など、ユートピア思想の小実験だったが、それほどのペテンのようなウソはなかったといえよう。彼らは空想的ユートピアンであって権威も権力も持たなかったが、創価学会は権威(日蓮正宗のカンバン)と権力(政治権力と財力)を二つながら追求した。
 
 旧天皇制の崩壊した日本では、国家権力による絶対的権威が吹っ飛んだ。絶対的な神様がなくなった後に、十七人の“熊沢天皇”が名乗りをあげた。熊沢天皇も戦後新興宗教のいわばハシリであったが、天皇制的宗教では現世利益を売る神々のラッシュアワーにはとても対抗できなかった。
 創価学会のように、邪教撲滅、日蓮正宗絶対で折伏活動を展開する集団は、極端に戦闘的行動で勢力を伸ばすためにも、やはり公明党の存在が大きかったのである。いかにも、現代における“僧兵”として、池田創価学会の政治的発言に呼応する勢力を目指したものだ。
 
 創価学会ユートピアは、むろんすぐに崩れる幻想だ。これを説くにはもっともっとウソで固めなければならない。池田や公明党のウソは一々検証するまでもないが、美辞麗句でやたらと飾りたてるのが特徴だ。「巧言令色スクナシ仁」を地でいく。
 作家の松本清張との対談(「文芸春秋」43・2号)で、池田はこういう。
 「戦前は、極左か、極右にかたよっており、真の中道はなかった。西洋には極左、極右の他に中道派があった。戦後は、保守、革新の葛藤をみるにつけ、へーゲルの弁証法ではないけれど、時代は中道を欲していることは否定できない。とくにわれわれの中道主義は、民衆から盛り上がったものである」
 へーゲルの弁証法がでてくるにしては、池田の理論は飛躍が多すぎる。それはさて措き、公明党も池田の美辞麗句にならうのである。
 
「一、わが党は、人間性尊重の中道主義を貫く、国民政党として、革新の意欲と実践をもって、大衆とともに前進する。
一、わが党は、人間性社会主義に基づき、責任ある自由な経済活動と、その成果の公正な分配を保障する経済体制を確立し、社会の繁栄と個人の幸福を、ともに実現する福祉社会の建設をめざす」(池田の政教分離公約の後、第八回党大会で採択した新綱領)
 私は、こういうツギハギだらけの作文をみながら、思わずタイムスリップさせて、「王道楽土建設」の幻想に日本を引きずり込んだ東亜連盟の石原莞爾まで連想してしまう。資本主義でもない、社会主義でもない、王道楽土、五族協和(共和党改め協和会)…なんと賑々しき軍国主義の幻想まであったことか。戦前の右翼の日蓮・法華経狂信者の戦後版を、創価学会ユートピアはあえて再び演じかねないのである。
 
 「新しき村」も「一燈園」も「ヤマギシ会」も、それぞれの意味において、新興宗教的である。
 しかし、ユートピアである彼らの世界では、支配・被支配の関係はなく、カネで“ご利益”を買うこともできない。この点、いわゆる新興宗教にはなりえなかった。これに比べると、創価学会ユートピアは、まさしく幻想そのものだ。広宣流布を宗教理念だと謳いながら、裏声で学会・公明党政権獲得を謳っている。
 かっての日蓮主義右翼と同じように、幻想を地上に「現世利益」として実現させようとするから、ただインチキだ、ウソだといっていられないのである。
 
 池田大作が幻想の中でヤニさがっている例をみてみよう。
 「『広宣流布の時には参義院議員、衆議院議員もいてさ、皆な財布の中には少くとも十万や二十万入れて、洋服も月賦じやないの着てさ、一つ国会議事堂やプリンスホテルや帝国ホテルで会おうじゃないか。要所要所を全部ね、学会員で占めなかったら広宣流布出来やしませんよ。一つ天下取るまで諸君は大事な体だからうんと修行して行きなさいよ』(池田大作「遺戒置文講義」、『聖教新聞』五七年九月六日付)」(吉良陽一「創価学会=七つの大罪」新日本出版社)
 この当時、池田大作二十九歳。七月の参院選で選挙違反にひっかかり、プタ箱に入った。創価学会青年部であった。三十二年後の昭和六十三年、創価学会名誉会長・池田大作には、まだ大石寺の“開かずの門”を通る日がきていない。
 
  「広宣流布の時、日本国最高の人間がここを通る。それは私だ」と池田はいっているのである。日本国最高の人間とは、学会機関紙「大白蓮華」には、「広宣流布の時、開かずの門を開いて、国主が、その門を通り正本堂に入るが、この国主とは、法華講総講頭であり、つまり私だ」とあったそうだ。学会では池田のことを、「国父」と呼ぶことがあるらしいが、「国主」とか「国父」とは創価学会“密教”部分の暗喩もしくは符牒なのか、どうも意味不明である。
 
 右翼が憤激して、「池田創価学会は国賊!」というようになった。しかし、国主といい国父といっても、主権在民の日本国にはどうにも似合わないから、おそらく日蓮正宗創価王国の国主であり国父の意味であろう。
 現実政治の世界では野党連合より自民党との連合に照準を合わせている学会・公明党にとっては、まだまだこの種のウソの上塗りを必要とする。
     ----------(つづく)---------145
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