創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価-池田大作をブッた斬る-38

2019-06-24 08:58:51 | Weblog
 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会-池田大作をブッた斬る
    藤原弘達 1988=昭和63年 (日新報道/¥1,000)
    ------(P.152)---(以下、本文)-------
 
▼ 大人同士の“魔”呼ばわり
 吹けば飛ぶような男だと、面と向かって池田からいわれ続けてきた公明党議員・大橋敏雄が、池田大作告発(宣戦布告)を雑誌に発表したのは、学会・公明党にとりショックは小さくなかった。意表をつかれたということと、それなりの連鎖反応が危惧されるからである。
 私などからみると、大橋議員の告発内容そのものは、とりたてていうほどショッキングなものでなく、ほぽ想像していた通り、或いは、これまでに流れてきた、いわゆる内部情報の範囲に止まった。ただ、これまでと違い、学会・公明党の、いわゆる“鶴の力ーテン”もしくは学会を外の世界と隔てる壁が崩れだし、穴をあけられたことにあろう。かたい情報管制の防壁に、内側から穴があけられてしまったワケである。
 
 それだけに、大橋敏雄に対する学会・公明党のバリ雑言はすさまじい。
 一方の大橘議員は、吹けば飛ぶようなと見くびられていた人物なだけに、この謀叛はよくよくのことだつたとみられた。
 雑誌「プレジデント」(58・8号)の「藤原弘達『激動を射る』」で大橋はいう。
大橋 正直言って反旗を翻すまでは怖かったけど、いったんやってしまうと、こんな楽な、こんな晴れ晴れとした人生があったのかと、やっばり自分のやったことは間違ってなかったなと。
  弘達 ホホッ。(笑)
  大橋 そういう涙なんです。それから記者会見には約束どおり行正先生が駆けつけて共闘宜言してくださったし......。
 それから私は自分の信仰心は間違ってないと自負しています。その証拠には私は子供を四人持っていますが、四人が四人とも大きな交通事故を経験しながらみんな不思議に助かっているんです。特に長男などは九死に一生を得ています。自慢になることじやないかもしれないけど不思議でしょう。
  弘達 その証拠には……以下は僕は大橋さんとは立場が違うから、賛成も反対もしないけどね。
  大橘 それはそれでいいんです。私は日蓮正宗を信じ、創価学会という信徒の集団に属していますが、日本人がみんなそうしなければいけないとも思っていませんから……。
  弘達 そうそう。それが僕の言う政教分離なんだよ」
 
 とにかく、信仰心は厚い人間なのである。池田に反旗を翻すまでは怖かったが、一且踏み切ってしまったら晴れ晴れとしたと語る。要するに、大橋の立場は、池田の信仰上の誤りが創価学会を誤らせた、という批判を原点にしているのだ。
 しかし、これは学会・公明党には通用しないから、大橋は裏切り者にされる。池田大作の信仰上の誤りを告発したのが、なぜか公明党の方で処分問題ということになる。政教分離のタテマエ上やりたくないが、池田告発をやったような党員をお咎めなしにしておいては、矢野公明党が池田から却って反逆罪に問われる。言葉としてではなく、質的に、池田に対する“不敬罪”が学会・公明党にはチャンと存在しているのである。
 
 かくて、昨日までの同志・大橋敏雄は、一転して“魔”と呼ばれることになる。日本共産党だと、これが“スパイ”と呼ばれる。科学的社会主義の党が、“魔”などと呼ぶわけにはいかない。それはさておき、同志がたちまちにして“魔”になるところだけは、共産党に劣らず全く容赦がない。
 そして、創価学会員にとって“魔”呼ばわりは、共産党のスパイ呼ばわりよりはるかに厳しい。宗教的に断罪するのでは、反証のあげようがない。スパイ呼ばわりに対しては「証拠を示せ」といえるが、“魔”の証拠は出せというのがそもそもムリなのだ。こういうように、観念論というか唯心論というか、やたらとオカルト的になってくると、学会・公明党のバリ雑言は第三者には却ってスゴ味などなく、むしろバカパ力しく滑稽にすら映る。
 
 創価学会流バリ雑言を幾つか拾いあげてみると--
 「学会の清らかな世界を破壊しょうとする魔...」(週刊ポスト)
 「池田さんから見れば私は魔でしょうけど、私から見れば池田さんこそが魔なんです」(大橋敏雄代議士=週刊ポスト)
 「この魔をほっておけば、ゴキブリのように調子にのって、どんどん繁殖していきます」(浅見茂青年部長=創価学会九州広布三十五周年記念幹部会にて)
 「夏の蚊のような大橋などという人間…」(秋谷栄之助会長ー同)
 ついに、大橘敏雄と共闘する藤原行正が逆襲して、テレビ・ゲームまでもちだす。
 「『ドラゴン・クエスト』っていうのは、宗教界の大魔王を倒すテレビゲームなんです。(中略)
 これが三百万か五百万も売れてんですね。だから中学生や小学生にいうと、『ああ、池田大作っていうのは大魔王か』ってピッてわかる」(月刊「現代」2・8号)
 
 まことに他愛のないものだが、この程度の悪罵が大人同士の間にポンポン飛び交うところに、ただ滑稽だと笑っていられないものを感じる。
 公明党のように、衆参両院あわせて八三人の議員を擁する政党が、コトある毎に、魔だ、ゴキブリだ、蚊だ、どぶネズミ....といった程度の表現でしか内部造反者を断罪できないでは、この日本の宗教審判政治もその程度のほどは知れたもの、という気もする。
 王仏冥合や広宣流布を叫ぶ宗教的心情的呪文に、公明党はガッチリと縛られたままなのである。
 
 中世的な呪術、ご利益と、バチによってしかコント口ールできない人間集団も、宗教の世界に止まる限り、幻想の王国でいられる。信教の自由は、戦後民主憲法で保障しているはずなのに、創価学会は、信教の自由を侵す宗教的情念(邪宗排撃、広宣流布)で公明党を逆に縛ってるのだ。「天下の公党」があえて甘んじて縛られたままになっている、といってもよい。
 この「魔法の園」のカラクリでは、底知れぬ混乱と迷妄を生みだすのみというほかない。
     ----------(つづく)---------156
コメント
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