創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価-池田大作をブッた斬る-37

2019-06-23 08:25:38 | Weblog
 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会-池田大作をブッた斬る
    藤原弘達 1988=昭和63年 (日新報道/¥1,000)
    ------(P.149)---(以下、本文)-------
 
側近であるほど敬愛からはほど遠い「お父さん」
 たとえ三〇〇万もの会員の組織であっても、創価学会は極めて閉鎖的な集団である。この組織において池田が絶対者であることは、前節で述べた。
 私は前に、G・オーウェルの小説『一九八四年』と創価学会・公明党の奇妙な類似性をあげたことがある。(『創価学会・公明党をブッた新る』)
 
 「“偉大な兄弟”はスターリンではなく、永遠の大聖人日蓮である。これに対し、“人民の敵・ゴールドスタイン”はトロッキーならで、邪宗、謗法者の類いである。さらにいうなら“偉大な兄弟”は、日蓮の生まれ変わり、池田大作である。創価学会では、もちろん“偉大な兄弟”とは呼ばない。『会長先生はお父さんのような方です』という。池田より年上の幹部連中にとっても『お父さん』なのだ」
 
 オトウサンだったり、生き仏だったり、の名誉会長であるが、生き仏のような方というのは後でふれるとして、「オトウサン」の呼称、あまり敬愛の感情がこもらないようだ。それはそうだろう。日本なら唐獅子ボタンや昇り龍のクリカラモンモンの世界、あちらゴッドファーザーの世界でも、ボスが敬愛のマトだなんて真赤な嘘だ。生殺与奪の権を握っているボスはひとえに畏怖のマトであるからこそ、その組織は維持される。
 
 創価学会は唯一正しい宗教、日蓮正宗の創価学会派である。最高の教義は日蓮にあり、指導者・池田大作は日蓮の生まれかわりというわけだから、極道世界のボスどころではない。背けば、生きながらの地獄、来世も地獄となれば、とても敬愛するオトウサンではありえない。
 数百万の無名の会員大衆にとつてはオトウサンであっても、学会組織内でオトウサンとの距離が近い人間ほど、畏怖を抱く度合が強くなる。なぜ、そうなるのか。雑誌「現代」(63・8号)での私との対談で藤原行正はいう。
 
行正 創価学会の副会長クラスや衆参議員っていうのは学会内では一種の特権階級ですから、それだけ異分子を警戒するわけです。(中略)それはもう厳しい監視ですよ。
弘達 オレがおまえらを地位につけてやってんだ、とね。
行正 だから、地位から引きずり降ろすのも池田の肚ひとつで、現に私を次の都議選候補から外すことを決めたときにも、池田がわざわざ党本部にきて、私の公認外しの実行を監視しているんです。(中略)
弘達 そんなにされてまで池田に忠勤を励むなんて、自尊心のある人間のやるこっちやねえよ、まったく。
行正 そうです。大橋さんのはデッチ上げだけれども、矢野とか大久保(直彦・書記長)があれ式にやられたら大変ですよ。(中略) 矢野君だってあれだけの豪邸をつくって、そんなこと全部ほじくり返されてウワーッとやられたら、もういっぺんで吹っとんじゃう。池田って男は、そういう弱みや弱点をもってる人間ほど用いるんです。池田の周りの副会長や幹部でもみんなそうですよ。
弘達 それはヤクザと同じだ。ヤクザだって、ちょっと弱みのあるヤツを重用するんだよ。いつでも潰せるから。それにしても、大魔王に操られるなんぞはみっともない話じゃねえの」
 
 全く、池田大作のような人間をみてくると、したり顔で宗教史論を論じながら池田大作を解説する評論家もいるが、私には胸クソ悪いだけである。
 そんなに高次元の精神史の問題として俎上にのぼすほどのタマか、といいたくもなるのである。いっそ、信長が比叡山焼打ち、一向宗徒との対決、さらに石山本願寺攻めで示したような狂信徒に対する皆殺し……まさに暴挙ともいえる行動を通じて、日本人の宗教への免疫性ができたという説(「文芸春秋」60・8号)の方に心惹かれる。
 
 しかしながら、現代社会においては、信長の皆殺しのようなことができるはずもない。暴力は許されない。また、私は暴力を否定し、言論をもって立つ一個の自由人である。ぺンをもって斬るほかはない。
 閉ざされた世界の中において、治外法権的ニセのユートピアに大衆を縛りつけたその恐怖の况縛だけは、どうしても解き放たれなければならないのだ。
     ----------(つづく)---------151
コメント
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