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創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・池田大作をブッた斬る-17

2019-06-02 08:59:10 | Weblog

  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・池田大作をブッた斬る 
    藤原弘達 1988=昭和63年       (日新報道/¥1,000)
    ------(P.69)---(以下、本文)-------

 ▼ 池田大作の小児的おごり・たかぶりの果て
 学会を脱退した元教学部長・原島嵩は、「先生がおごりたかぶるようになったのは、正本堂建立のカネが三五五億も集まったからです」といった。
 正本堂建立供養の最初の募金目標額は三〇億だ。一世帯七〇〇円を基準に献金させようとしていたのである。
 それが、一年半かけて、会員を煽りたて、競い合わせ、募金倍加運動を展開した結果、献金受付けの四日間で三五五億(正確には三五五億三五九九万四三〇九円)が集まった。

 時に、昭和四十年十月である。高度経済成長期を経て、日本が豊かになってきたとはいえ、四日間に三五五億の献金は、それなりに事件であったのは間違いない。世間の目は創価学会に向いた。というのは、必ずしも正しくない。創価学会に熱い視線を向けたのは、世間の商売人たちである。銀行、建設会社をはじめとして、創価学会に盛んに秋波を送るようになった。
 要するに、とてつもない集金力とカネ使いが魅力なのである。

 池田大作は得意然と、「正本堂の御供養。5年間であれだけ。10年間はあの倍。あの発表のほかに100億はやった。又、かせぐよ」(昭和四十六年一月二十六日、第四十四回社長会)といったものだ。「また、かせぐよ」とはいい気なものだが、この池田大作が一方で奇妙な御秘符づくりをやっていたという。
 「……ある行事の折に、猊下が化儀にのっとって大御本尊様を和紙を用いてお掃除し奉ったその紙をたまたま登山していた池田前会長が猊下から戴いて帰ったことがあります。

 それからしばらくして学会内に護符と称するものが出回り始めたのです。ちなみに正宗には『御秘符』はありますが護符などというものは存在しません。(中略)前会長(池田氏)の身内のK・S氏が一日中ハサミをもって『製造』していた事も確認されているのです。(中略)

 護符を渡す時に『薬ではない』と念を押していますから薬事法違反にはならないでしょう。(中略) その時のまされたモノが紙クズなどではなく、本物の御秘符だったらもしかしたら助かったかも知れないのです……」(松尾正人「退会にあたって」)
 本山からもらってきた紙クズを切り刻んで病人に飲ませる。いくらで売ったか分からぬが、巷の拝み屋と全く変わらないのである。そして、三五五億を集めた傲りと、紙クズを刻んだ護符まで売りつける、このおどろおどろするような落差を見よ、だ。

 松尾正人の「退会にあたって」では、「いわば治る可能性の芽をつみとり、あまつさえ亡くなる事を予見しながらなお、インチキなものを信じさせ飲ませていたのです。これは未必の故意による殺人と同様な行為と言っても過言ではないでしょう」と、きめつけている。
 この辺になると信仰の内的世界、それも典型的な迷信的虚妄の分野のことで、バカバ力しくて今さらアレコレいうほどのことではない。しかし、病人に護符を売りつけるなど、なんと師匠の戸田城聖に似た精神構造であることか。徹底して的ヤミ屋的であり、それでいて威張りちらす教祖ぶりを示したのが戸田城聖だ。ところが池田は、今やあたかも政治権力のように公然と二千億を取りたてる(昭和六十三年度財務)。
 それにしては、病人に紙クズを売りつけるなど、学会・公明党という聖・俗に亘る組織の絶対者にしては、うさん臭さを通り越して、その稼ぎ方はあまりに滑稽ではないか。

 もっとも、聖・俗とはいったが便宜的に政・教をいいかえただけで、必ずしも学会組織を聖なるものとするわけではない。神の代理人たるローマ法王、法王庁の俗の俗たるところは、前にみた例の如くである。池田大作がホトケの生まれ変わりを“潜称”したところで、俗の俗たる以上に卑であり、賤であることはいうまでもない。
 中世ローマ法王のスケールにはとても及びもつかないだけのことである。
     ----------(つづく)---------72

コメント (1)
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