創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

新・創価学会を斬る-2

2017-10-16 08:53:40 | Weblog

新・創価学会を斬る 藤原弘達 (昭和56/12 ¥500- 日新報道)

目次
はじめに
第一部 この末期的症状のさまざま
第一章 人間破壊・家庭破壊に泣く底辺のうめき
  狂信者と知らずに結婚/      母体を危くしたお題目功徳/
  女に狂う学会員の夫/       金を盗む好色女子部員/
  不運は拝んでもなおらぬ/    狂信母子が婚家を破壊/
  妻にないしょの学会活動/    病気の子供も犠牲者/
  生死の境から夫への憎悪/   不幸は仕事で乗り切ろう/
  色仕掛に負ける学会パン屋/ 毎月書替える遺書/
  嘘つき学会サヨウナラ/      売春を強要された母子家庭/
  戸田が説く女の信心/       狂信母娘のなれの果て/
  両親を見殺す学会息子/     廃人同様にされた人々/
  四六時中監視される/       精神病院へ日参/

第二章 犯罪事件--その性格と特徴
 殺人
  ①学会員の三角関係-痴情のはて/  ②信心の強制をうらんで子を殺害
  ③横れんぼの幹部が犯人/        ④色と欲で夫妻が謀殺//
  ⑤奪った金に御題目あげる/       ⑥入信反対の父を殴殺/
  ⑦折伏狂の息子を殺害/          ⑧夫婦で病母をなぶり殺す
  ⑨身内より御供養優先/           ⑩狂信の母に児童、死の抗議/
  ⑪雜婚不成立で無理心中/        ⑫折伏脅迫され若夫婦心中
 交通違反
  ⑬交通事故も運命とトボケ/        ⑭公明党議員ひき逃げ罵声事件
 詐欺
  ⑮トラック部隊で七千万円詐取される/ ⑯会員欺しの詐欺行脚/
  ⑰欺した金で女子部員と豪遊/      ⑱ニセ弁護士で念書偽造/
  ⑲学会墓地は必要ない?
「組織的悪人集団」の暗躍

第三章 欠陥人間製造法とその実例
  オトリ美人で入信強要/            デマ中傷で就職妨害/
  心の処女を犯す/                オトギ話の座談会/
  滅る一方の座談会参加/          言動異常の学会員タイプ/
  セックスその他どうもダラシナイ/  金バッチをひけらかす小悪党/
  勤務先に迷惑かけ放題/         狂いだすとキリがない/
  借金の保証人にも知らぬ顔/      外国にも拡がる学会公害/

第四章 かずかずの違反選挙の内幕
  鬼子、公明党の内部体制/       党活動費は個人負担/ 
  地方議員は減少気味/          こんな選挙をやっている/
  個人出費の飲食供応/          選挙権を他地区へ集団移動/
  選挙違反のかずかず/          倒れた運動者にはつれない素ブリ/
  立候補者もボ口扱い/

第五章 内部からの学会批判総まくり
  B長中心の学会批判/              無料奉仕を強要するケース/
  ウソもいい加滅にしてくれ!!/          自己顕示と資金作りの正本堂建設/
  おびただしい出版物は洗脳用具と資金/ 新聞、出版物の押し売り体制に泣く学会員/
  軍国調の登山車中/               お粗末な学会の葬儀・墓所/
  こじつけ専門の功徳論理/           バチ論のカラクリ/
  遂に分裂・分派行動起こる/

第六章 いまや知れわたってきた池田ら幹部の虚像性
  どうしょうもない池田の俗物性/            末端会員を下道扱い/
  所得のうえでも池田のみ救われているのか?/  「タバクラカシの先生」-戸田城聖/
  債鬼に追われ、逃げまどう戸田の姿/        ウソ八百の『人間革命』という本/
  エスカレートする“すり替え”の手口 /        池田と大幹部こそ退転者だ!!/

第七章「金儲け宗教」をとりまく「金儲け小集団」
  宗教法人という名のカクレミノ/            株式会社「創価学会」をとりまく経済の根/
  学会運営方式をまねた“養老の滝”/        大蔵商事がのびた不動産関係/
  相変わらず妙な動きの徳陽相互/          幹部個人名義の学会不動産/

第二部 日本の底辺と変革の条件
 第一章 「創価学会問題」とは何か
  池田大作のいう「自己変革」のギマン性/       宗教の世界の中での「創価学会問題」
  学会は「法華経」利用の最悪見本/          「底辺志向教」としての評価/
  「天皇制」崩壊のなかから盛り上がった「新興宗教」

 第二章 日本の底辺変革の条件と宗教の機能
  「戦後社会構造」の変化と底辺層/          創価学会と底辺層の相関関係/ 
  底辺変革の条件と宗教の機能/            底辺層の精神構造とその背景/

むすびにかえて
       ---------(15P)-------つづく--

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新・創価学会を斬る-1

2017-10-15 08:20:00 | Weblog

新・創価学会を斬る 藤原弘達 (昭和56/12 ¥500- 日新報道)

  池田大作・創価学会幹部よ、この傷つけられた犬衆の怒声を聞け!!
創価学会に入れば--
「福運がきますよ」
「商売も繁盛しますよ」
「病気も治りますよ」
 と言葉たくみに大衆の弱みにつけ入り、これを最大限に利用し、徹底的搾取をしてきた池田大作及び学会幹部は、約束を反古にするばかりか欠陥人間をつくり家庭を破壊する公害源である。本書に収められた数々の学会員の声は、そうした池田大作や学会幹部の卑劣な行為に対する糾弾の声であり、これまで欺され傷つけられてきた学会員の怒りの声であり、怨念の声でもある。

  新・創価学会を斬る  藤原弘達著
     傷つけられた大衆の怒声
◆ はじめに
 『新・創価学会を斬る』というタイトルのもとに、この本を出す気になったのは、『正・続斬る』につづく私なりの問題意識にもとづくものであることはいうまでもない。ただ私自身は、前二著を通じてかなり徹底的に創価学会批判をおこなってきたものの、なおかつ何ともいえないもの足りなさを感じていることを率直にいっておかねばならない。
 それは何か。本で批判し、また放送で批判するなど単なる言論の手段だけでは、どうすることもできないような、いわぱ手のとどかないドロドロした底辺の問題が結構この「創価学会問題」の背後にあるということなのである。
 そうした日本社会の底辺層をなす多くの大衆学会員から私のところには、あの“事件”を契機として、実におびただしい投書が舞い込んだ。またときには直接面会を求める多くの信者ないし、信者のような人々が殺到してきたといっても過言ではないのである。
 私は、平素忙しい生活をしている。身体がいくつあっても足りないくらいである。その私に「時間をさいてくれ。そして一度でいいから私たちの慘状をきいてくれ」というご要望がいっぱいであった。創価学会に対する不満、さらには批判を私の耳に入れ、訴えたいという人々がいかに多いかということを、今度の事件を通じて改めて知ったワケである。
 本来ならば、私は万難を排して、こういう人々に直接会い、彼等の苦悩を解き明かすために少しでも手助けになりたいという気持は十二分にもっているつもりだ。
 ただ、美濃部都知事の“対話”ではないが、そういう人々と、もし一対一の対話をつづけたとするならば、私はおそらく仕事らしい仕事などなにひとつできないことにもなるであろう。
 そこで、私のところにきた手紙やそういう訴えを日新報道・編集部と協力して整理してみた。そしてそういう人々のところへ、編集部員に直接行ってもらい、いわぱ生の創価学会批判の声を集めてみたのである。会員内部から、ないしはかって信者であった人々から、あるいは学会による折伏等の被害を受けた人々からの“真実の叫び”“怒りの声”をまとめてみたワケだ。
 そしてこれを学会批判のいわばひとつの決定版にしようとしたのが、この本の第一部である。
 率直にいって、論理的には創価学会・公明党は、私の批判したことに対して、一見まことに素直に対応しているといえるかもしれない。政教分離にせよ、折伏の中止にせよ、言論自由の尊重にせよ、一応、会長の名において天下に宣言されたものである。問題はこれが実行されているかどうかである。その実行が、はたして底辺の民衆の次元において現われているかどうか、これが問題なのである。

 口先だけで民主主義を謳うことはやさしい。口先だけで言論の自由を唱えることもやさしい。しかし、ほんとうの被害者、ほんとうの「創価学会問題」の犠牲者ともいえる人々は中間層で右往左往しているようなインテリとか学者とか、新聞記者とかいうものではないのである。そういう中間層の人々は、ある意味においては小利口であり、うまく立も回り、都合がわるくなるとチャンとのがれることもできるのである。
 のがれることができないのは、むしろ底辺の、ドロドロとした泥沼のなかにある大衆の人々である。そしてそういう人たちが立ち上がらないかぎり、日本の民主主義は所詮は絵にかいた餅である、という考え方を私は常にもっている。それは私がここ二〇年、たえず民衆の政治意識や世論というものを政治批判の原点におきながらやってきた仕事の、いわば基本姿勢なのである。そういう私の学問や評論の基本姿勢からみれば、この底辺の声を生にぶっけ、そしてそういう人々が立ち上がって、創価学会・公明党を批判するようにならないかぎり、私の仕事もまた終わったことにならないという気持をいまや強くもったのである。
 三島事件といい、横井庄一事件といい、まだ日本の底辺には、いろいろとかっての時代の精神構造の残渣がうごめいているといえるかもしれない。「創価学会問題」も、そういう事件とまったく異質のものとはいえないであろう。
 そういう意味において、創価学会問題が投じた波紋は、まさに、彼等が“声ある声”を発揮し、言いたいことを言い、憶せず戦わなければならないし、そういう戦う意欲を、創価学会・公明党問題において--とくに選挙の行動において--発揮されなければ、私の一連の「斬る」仕事も政治的な意味としては本当の力にならないのである。

 内外情勢まさに混とんとし、政局の推移もきわめて瞹昧模糊としている。世界は大きく動いておりながら、なおこの日本をどういう方向にもっていくかという指導力となると、政界はいうに及ばず、言論界においても、財界においても、まこと心もとない限りというほかないだろう。ほとんど見い出せないそういう時点においてあえてこの問題をギリギリの極点まで押し進めて、そういう押し進めた結着点のなかから、新しいエネルギーの泉をば、底辺大衆のなかに見い出そうとしたことが、この『新・創価学会を斬る』を出すにいたった理由なのである。 
 本の構成としては、第一部にもっぱら、そういう生の民衆の声を収録し、その生々しい実感をお伝えすることをねらいとしている。こんどは私が「斬る」のではなくして、底辺の大衆が斬る番である。そういう人々はいまや戦後の妖怪・創価学会を恐れず批判する力を身につけるまでに成長したのだ。この二年ないし三年というわずかな時間に、底辺大衆がこれだけ変わったということを多くの国民のみなさんに理解してもらいたいためにも組まれた内容である。
 第二部は、そういう第一部の分析を踏んまえて、すでにこれまでに出版している『正・続斬る』などを総括し、やや広い立場からいまの日本における「創価学会問題」とは何か、日本の底辺民主化の方向はなんであるかということについての、私なりの見解を述べたものにほかならない。この経済的繁栄のなかに精神の進路を見い出しえないいまの日本における宗教の役割などについても、私なりに若干の提言を試みたものである。
 私は、無神論者でもなければ、無宗教論者でもない。ただ、これからの日本にホンモノの宗教のでてくることの必要性をもっとも強く感じている一人である。歴史的にも日本にはルネッサンスはあったけれども宗教改革はなかったといわれている。そしてそれが実は日本の精神構造のなかにひそむ決定的で根源的な問題なのである。アラブ・ゲリラのお先棒をかついで世界を唖然とさせた「赤軍」殺し屋の若者たちの心にしても、そのことと無関係ではないように思えてならない。
 私は、かならずしも、日本における宗教改革を叫ぼうなど、大それた気持はもっていない。
 いまさら、ルッター出でよ、カルビンが出でよと言ったつて、始まらない気もする。しかしいまの日本で小さなルッターになり、小さなカルビンになるものは、例えば創価学会と闘うような、そういう大衆の人々のなかから、だんだんとでてくるのではないかという気がしている。
 大衆社会の主人はあくまでも底辺大衆だからである。
 中国の文化革命が七億の民を毛沢東にしたい、という発想に出たとすれば、私はまさに一億の民がそういう何らかの宗教改革を己れ自らの心との闘いを通じて展開するとき、それがまさに,神々の“ラッシュアワー”に対する真の交通整理にもなるものではないか、そういう大それた希望、ないし夢を、この『新・斬る』に万感をこめて託すものである。
  一九七二年六月
                         藤原弘達
       ---------(6P)-------つづく--

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続・創価学会を斬る-37

2017-10-14 08:31:21 | Weblog

続・創価学会を斬る  藤原弘達 (昭和46=1971 日新報道)
    ------(P247)---(以下、本文)-------

あとがき
 率直にいって、私は『続・創価学会を新る』を、この際世の中に送り出すべきか否か、珍しく一種の戸惑いを感じた。内外状勢は甚だ流動的であり、その流動するなかで私自身は強い怒りをもって創価学会・公明党のインチキプレーをながめてきた。彼等の非常に卑怯きわまる間接的迫害に身をさらした者として、はらわたの煮えくりかえるような気持ちでいる点はこの二年間全く同じである。とくに日本の言論界やマスコミがどれだけ正しく私の“斬った”真意を理解しているかどうかにも、依然として大きな疑問をもっている。いかにも私がドン・キホーテであり、ピエロでもある如く、ただ蛮勇をもって“斬った”だけで、単なる個人プレーとの印象を故意にひろめている感さえなきにしもあらずなのだ。私にとってあの事件は言論自由の実験であったし、今もそうである。自由という一番大切な価値を基点としながら、日本の民主政治の姿勢をただそうとした。だが言論の姿勢をたださねばならぬという私の発想や問題意識というものが、どうも甚だしくゆがめられて今日に到っている。そうした事態に対して私は非常に残念でならない。
 こういう状況下で『続・創価学会を斬る』をだしたとしても、いったいどれくらい正しく問題意識を理解してくれるかどうか、実は疑問なのである。むしろ現在の言論界やマスコミ界は創価学会・公明党の偽装的転向を、政治的にはプラス要因と考えているようにみえる。例えば中国問題に示した公明党の態度をほぼ無条件に是とするような風潮、ともかくバスに乗り遅れたら損をするかの如き風潮にある。こういう風潮のなかにおいてこそ、私はかりに一人になっても、なおかつこの勢力の危険性を叫びつづける人間でなければならないと思ったわけで、そうした決意が、かえってこの書物『続・創価学会を斬る』をださしめたといってよい。
 しかし、一見すると孤独の闘いとみえながらも、この二年の迫害に酎え抜いてきた私の背後には、何百万、何千万の大衆の味方を感じている。彼等の激励や、彼等の監視の目が、私をして無い勇気をださしめているといってもよい。私の思想的立場や政治的姿勢についてさまざまな中傷はあった。しかし私の思想的立場、私が戦後生きてきた思想的原点は『近代日本の国家原理』(日新報道刊)に明確に書いてあるので、そういうものを読んでもらえれば、誤解はなくなると思う。もっともタメにするいわれなき中傷や誤解をいちいち弁明する暇は今の私にはない。
 また言論出版妨害事件を通じ、誤解を生じて別れていった多くの友人たちにいちいち弁解や了解を求めようとも思ってない。しかし一度、そういう形で裏切った人々、また数々の卑怯な中傷を浴びせてきた連中、特に私自身がギリギリのところで苦闘しているときに、後から斬りつけてきた卑怯な人間たちのことは、生きている限り忘れはしないつもりだ。そのことだけはこの際明確にいっておきたい。
 たしかに私はこんどの闘いのなかでそういう“擬似友人”を失った。しかし、本当の友が大衆のなかにあることを確認し、そのことに勇気の源泉を見出したが故に、こういう最もタイミングの悪い時期において、あえて『続・創価学会を斬る』を世に送りだそうと決意したものである。
 私の『続・創価学会を斬る』は、来るべき総選挙において真に国民の審判が下されることを望んでいる。かねてからの主張の如く、参議院、地方選挙において、創価学会・公明党が進出することは、宗教の政治化される運命のなかにおいて、避けられない事態であるといってよいかもしれない。本当の審判は、参議院、地方選挙でなく、衆議院の総選挙において、政党として政教分離をしたという公明党を国民が認めるか認めないかという点にある。この審判を私はあえて求めているわけである。そういう判断をされる場合における最も重要なデータの一つは、この『続・創価学会を斬る』のなかに十分盛りこまれていると考えるものである。多くの人々が、そういう意味における私の真意を理解され、熟読され、問題の終わっていないことについて改めてハッキリと自覚されることを望んでやまない。
                         著者しるす
                                                                     おわり
次回から--
新・創価学会を斬る 藤原弘達 (昭和56/12 日新報道刊)  です--。 

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続・創価学会を斬る-36

2017-10-13 08:11:33 | Weblog

続・創価学会を斬る  藤原弘達 (昭和46=1971 日新報道)
    ------(P240)---(以下、本文)-------

“社会ファシズム”にもつながる御都合主義
 しかし、考えてみると、池田大作会長ほど私の本をていねいに読み、その批判にまともに答え、なおかつ、政治的針路の方向まで全面的に一応受容したものはないといってよい。しかもそうでありながら、なおかつ、本質的には違った方向を歩んでいるのだ。
 こういうオカシナ人間、なんだか「透明人間」のように、何でもマネたり、吸収しながら、実はなにもない存在もちょっと珍しいのではなかろうか。そこに私は非常な興味をかんずると同時に、こういうような人間に率いられている無性格、無原則、無思想の集団というものが、間接的にキャスティングボートをもっておって、はたして、日本の政党政治は大丈夫だろうかという大きな危惧の念を改めてもたざるをえないのである

 京都経済同友会が、京都産業大学社会意識研究室に委託した調査(四十四年四月施行)によると、京都市民に「嫌いな政党」をたずねたところ次のような回答が示されたということである。
 一位 公明党(二七・二%)。 二位 共産党(二三・七%)。 三位 自民党(一二・九%)。
 四位 民社党(七・ニ%)。  五位 社会党(七・一%)。
 これは京都市民を対象としたものだが、ともかく公明党がいちばん嫌われているのである。

 では何故、公明党が嫌われるかというと、まずそのファナティックなところが嫌われており、議会制民主主義への基本的な姿勢が欠けている点が嫌われているのである。
 つまり議会制民主主義の常識を無視した行動様式を背景にしながら、票取り組織を持ち過ぎているということであり、ボート・ゲッティング・グループというか、投票獲得集団としての特異性が問題とされているのである。
 しかるに、そうした嫌われている政党の票でも、野党はみんなそれが欲しい、ときには自民党もほしがっているのである。そうした助平根性で学会・公明党を軽蔑しながらも利用しようとしているわけで、いずれの政党も口と腹とは常に違うのだ。
 ところが、逆に創価学会・公明党は、他の政党のそういうズルイ打算をよみとりながら、これを操ってゆこうとしているわけで、ここに奇妙で危険な利用関係ができつつあるとみなければならない

 そこで、現在の時点、とくに四十六年七月十六日のニクソン訪中声明から、ドル・ショック、中華人民共和国の国連加盟という一連の新事態の状勢認識のうえに立って、佐藤内閣のみならず自民党の政権担当能力が大きく揺らごうとしているとき、いったいどのような政界再編成の方向が望ましいものであるかについて、それなりの問題点を提起し、そのなかにおける公明党の役割は何かということをもう一度問うてみなければならない必要を感じている。
 何よりもまず中国問題との関連で、公明党の役割について考えが及ぶとき「社会ファシズム」とでもいってよいイメージがすぐに浮かんでくるのだ。日本において昭和初頭に不況がおとずれたとき、これまでの右翼や“愛国団体”のなかに、マルキストくずれとか転向派とか、そういう社会運動派の連中がゾロゾロ入り、彼等は軍部のつくった既成事実を正当化するためのイデオローグとして動員されたものだ。そういう社会ファシストやえせマルキストというような字在が、いろいろな形で日本の“革新”イデオロギーを提供し、ファシズムを下からすすめる社会運動の役割をになったことは、今や一つの歴史的事突として存在するわけである。公明党もまた過去とは違った現在の状況下で、まさに新しく生まれ変わって社会ファシズム的役割をいとなもうとしているといえるかもしれない。
 そこから直ちにファシズム政権へと変動が起こるなどという危険性はないだろうが、言論批判が起こってたった一年か二年しかたっていないのに、これだけの左転回をノウノウとすることのなかに、彼等のイデオロギーや信念、信条というものが、いかにその時その場における御都合主義であるかが物語られている。しかし、他面においてこういう公明党の動きを良いことにして、これを利用しょうとする中国をふくめての内外のさまざまな政治勢力の態度にも大いなる問題があるのではないかと思わざるをえない。

カメレオン・公明党の危険な役割
 自由民主党が、今後どれだけ政権を担当してゆけるかどうかは別として、少なくともこの長い保守独裁体制が、日本の政党政治を蝕む一番大きな政治害悪になっていることは否定できない事実である。これを支えた日米関係も今や一つのデッド・ロックにきた。その結果として当然日米開係が変わらなければならず、その変わってゆくテンポにつれて日中、日ソ関係も変化してゆくだろう。
 こうした外的条件の流動化が起こったのと対比して、ではどれだけ日本の政党政治が変わりうる条件があるかというと、それは非常な疑問であるといわねばならない。少なくとも政権担当能力という点においては、社会党が自力で単独政権を担当できるところの野党として成長する可能性は今のところほとんど無いに等しい。また民社との間の労働戦線の統一ということもちょっと考えられない。とすれば社会、公明、民社、いわゆる社公民三党協力の形というものが、参院選でわずか三地域においてテストされたが、そうした無原則な選挙協力という形によって、何が何でも自民党を倒し、政権担当をしようとする動きがあらわれてくる可能性がある。
 そういうような形で、自民党からの造反を呼び起こし、そうすることを通じて、例えば三木武夫というような存在を呼んできて、シャッポにしようというような発想も生まれてくる。だがそうしてできた政権形態というものは、占領下における片山・芦田内閣といった中道政権以上に、おそらくギクシャクした、きわめて奇妙なグロテスクなものになるだろう。その結果は政策の矛盾や内部不統一の矛盾をさらけだし、おそるべき内部混乱のためにメチャメチャになって、崩壊する可能性がある。そういう段階になったとき、公明党はどういう行動をとるかということになると、さっさと一番真先に「味方」を裏切り、見捨てるという可能性をはらんでいる。
 結局一歩そこに足を突込んだとしても、その基本的な性格からいうならば、公明党には長く社公民連繋体制をとれないような体質があるといわざるをえない。そういう意味において公明党のキャスティングボート性に何かを期待しながら政権担当を夢見るということは、あまりにも甘ッチョロイ、なまやさしい見方であるといわざるをえない。そういうような形でえられた政権の彼方には、必ずや大きな陥し穴があり、そのことからくるキヤタストロフィのほうがはるかに怖いのではないかといわねばならない。
 ただ私がここで公明党に望むとすれば、既成政党がこのままでは駄目だという意味において、自らその改党を解散し、創価学会との完全絶縁を天下に宣言することを通じて、新党運動をつくってゆく一つの捨石になっていけということである。そうしたところに一つの意義が見出せるかもしれない。公明党議員は一人も当選しなくていい、自分たちが捨石になって自民党に替わって政権担当能力のあるような、そういうような“第二党”というものをつくってゆく
 そうして従来の既成政党のワク組とは別種の新党に、それぞれの野党をして自発的に参加させるようないわば水先案内ないしは円滑剤となる。そうした役目をはたすことに、民主主義の落穂を集めてきた大衆組織として、一つの意義が見出せるかもしれない。自らの解散、つまり自らを否定することにおいて政党政治の再建をのぞむ、それが宗教政党であった過去を否定する最も好ましい形態ではないかと考える。そこにのみ、私は公明党の存在意義を認めるのである。
 つまり公明党は自らを否定し、自らを解散する過程のなかから、政権担当能力ある野党をどうつくるか、新党をどうつくるか、これが彼等に与えられた最終的課題であり、これができたとき彼等の政党としての存在はなくなり、そのとき政教分離が実現されたということを高らかに宣言しうる資格がでてくると思うのだ。

 しかし、今のような形で創価学会の信者数を利用し、その票を高く売りつけ、その中でリーダーシップを持ち、イメージ・ダウンをカバーするためには、ぺコベコ中国に行つてほとんど無条件ともいえる右往左往ぶりをみせるということのなかには、自ら政敎分離によってやり直しをしようとする自己否定観念のカケラもみることはできない。私が主張しているような公明党の生きた解散の仕方、皮肉だが生きた死に方、という期待からははるかに遠いのだ。このままでいけぱ社会ファシズムの推進役となる可能性の方が大きい。今のままではデクラッセ・インテリゲンチャを集め、さらに今後日本の経済におそってくるところの不況の波のなかで、没落する中産階級の危機意識に訴えながら、やはり自らはファシズムを社会底辺から盛り上げてゆく政治的エネルギーになってゆく可能性のほうがはるかに強いといわなければならない。その意味においては、前の段階の場合におけるファシズムの危険性以上に、私はむしろ社会構造的に分散されたファシズムのにない手として、創価学会・公明党のはたすこの奇妙な役割を注目せざるをえない。
 学会と公明党とは一見、別居し分離したかに見えながら、下半身は結び付いており、そうした、奇妙な形のトリック・プレーで展開されている「新生公明党」の未来には、もっと危険なものがあるといえよう。そのことを、改めて警告しておきたいのである。
                                                 (文中敬称略)
       ---------(247P)-------つづく-- 

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続・創価学会を斬る-35

2017-10-12 08:16:20 | Weblog

続・創価学会を斬る  藤原弘達 (昭和46=1971 日新報道)
    ------(P233)---(以下、本文)-------

7 公明党のファンズム路線,を暴く
    やはり政党の早期解散がいちばんよい
◆ 多党化の中の「野望の権化」公明党
 私は『創価学会を斬る』の最後の部分で、創価学会・公明党の存在理由をどこに求めるかの章を設けて、創価学会・公明党が日本の政治の中で果たしている意義はどこにあり、その存在の意味がどこにあるのかをつきつめて考えねばならぬことを主張した。
 公明党の改治進出の背後には、カタチだけの二大政党政治を一時迎えたかにみえながら、これが空洞化してしまい、政権担当能力のない革新政党がバラバラパラになってしまったという事実がまず指摘できょう。そうなった原因としては第一野党である社会党の低迷と発育不全があげられなければならない。社会党は戦後の日米安保体制そのものに反対する反体制の尖兵として、内外ともに「体制」すべてを、敵、敵、敵という形でとらえ、それによつて政権を担当する可能性をもつ第一野党としての成長発展を自ら捨てたといってよい。
 そういう観念的な浮き上がりが、民社党の分裂をよび、公明党進出の背景になったということでもある。民社、公明両党の誕生は、しばしば多党化現象といわれ、政党政治の多元化、多極化という言葉でいいあらわされている。しかし、この多党化、多極化は決して西ドイツやイタリアやフランスでみられるような多党化傾向ではない。野党勢力の分裂、多党化にすぎないものである。野党が分裂し多党化することにより、それら野党は皮肉にも政治力学からして自民党の独裁体制を間接的に支える一種のバイ・プレヤーつまり傍役的機能を逆に果たすことになった。そのかぎりでは社会、公明、民社、共産四党ともに、日本における政党政治、議会政治を機能させていないという責任を分かち合わねぱならないのだ。野党の弱さと貧困さが政党政治そのものを形骸化したといってよい。
 ところが、今までの見方では、こういう多党化傾向を好ましい傾向かの如く考え、公明が伸び、民社が伸び、共産が伸びるという小党の成長の中から総体的に自民党を支える社会的基盤が崩れてゆくという判断のうえで、群小野党に対する期待感があったことは否めない。それはそれなりに意味のないことではない。しかし、実際の政治の力学は、必ずしもそうは動かないものである。例えば一昨年の総選挙にあらわれたように、自民党が三〇〇を越えるところの圧倒的絶対多数をとるのを結局のところ助けたにすぎないということにもなった。公明党や民社党や共産党が伸びたとはいうものの、ウラ返してみると、それは社会党の支持票を食い荒らしたにすぎないものであった。それのみならず、自民党の“保守独裁体制”が数のうえではかえって安定したというような皮肉な結果をもたらしている。こうした傾向こそ、まさに政党政治のうえでは不健全な症状である。つまり、日本の政党政治をば実質的に機能させないような方向へとおもむかしている構造的病根というようにみることができる。それを私は前著できびしく批判した。
 官僚優位の政治慣行、政党政治の不毛性、こういうものを背景にしながら創価学会がでてきた意味というものも、戦前における政党政治の崩壊過程との関連で、いろいろな角度から私は分析した。
 しかも学会が拾い上げたのは、共産党も救いえなかったような社会の底辺層であり、その意味においては民主主義の落穂のような人々であり、見方によれば人間的に最も疎外された人々だったのである。そういう人々、つまり自由から逃避し、狂信的宗教に救いを求めた人々が、そのままで物理的につみ重ねられても、はたして、自由をつくり、政治を動かす正しい力をもつものかどうか、まさに大いなる問題であったといってよい。
 自由から逃避した人々を御利益でつり、盲目的に信仰させ、しかもそうした人々からなる学会の“出店”である公明党に、最も根深い政治病理が宿っていると私は判断し、創価学会・公明党の癒着形態は日本の政党政治発展にとって「百害あって一利もない」ものと断じたのである。
 そういう意眛において、衆議院で政党政治の一翼をになうには、公明党はあまりにも本質的欠陥をもっており、むしろ解散する方がよいと判断したワケである。宗教組織そのままで行動する政治勢力ならぱ、元の公明政治連盟にかえり、活動の場を参議院と地方議会に限定すべきであるというようにも論じた次第なのである。
 ともあれ、公明党が衆議院において、従来のようなやり方で政権獲得を前提とする政党活動を行なってゆくことは明らかに邪道である。そのことは近代国家の大原則である政教分離にも反する。学会・公明党を真向から批判したのもそういう理由によるものであった。

ひさしを貸して母屋をとる他党との連立
 ところで、あの『創価学会を斬る』の段階で、私がもっとも心配したことは、自民党との連立政権工作を創価学会・公明党が狙っているのではないかということであった。公明党がいかに「革新のなかの革新」といい、創価学会と分離したといっても、その背後勢力が宗教団体である以上、基本的性格からいって反共であることは否定できない。日本共産党もまたいろいろの問題をもっているかもしれないけれども、私の言論問題を通じて、創価学会・公明党に真向から対決し、まさに“サル・力二合戦”にも等しい激しい戦いを底辺において展開したのである。そうした文脈からして公明党が革新勢力と連繋するとはいっても、共産党のみでなく社会党左派との間にもどうしても一線を画さざるをえないとみた。社会党の江田派一派、民社、公明といった形の二党一派の構成が、彼等の基本的性格からいえば革新の限度であり、「左寄り」のリミツトでもあるともいえよう。
 では右の方に揺れたらどうなるのであろうか。前述のように、公明党は、私が、あの『創価学会を斬る』を書いた時点では、むしろ自民党との連立政権をねらっていたように思われた。自民党はその保守独裁体制が揺らいだ設階では、公明党と民社党を両翼に抱えながら、その絶対多数体制を維持してゆこうとするだろう。民社党はともかくとして、公明党のような狂信的宗教組織をその大衆組織に抱えこんだとき、実際は個人後援会の連合体にすぎず、議員クラブにひとしい、ルーズなことだけがトリエのような自民党のダラシナイ「政権担当株式会社」は、公明党の批判拒否的大衆組織に下からあおられ、好むと好まざるとを問わず次第にフアッショ化してゆく危険性をもつであろう。その危険性を私は大いに論じ、自民党と公明党が連繋したとき、日本の保守独裁体制は明らかにファシズムへのワン・ステップを踏むときである、というような見通しを述べたものである。その当時は、公明党はその本質からいって社会党と連立政権を組むとか、民社党と直接的に組むとか、ないしは野党の連立政権に入ることはないであろう、という見通しと前提に立っていたわけである。
 しかし、“斬る”以後の政治状勢をみた場合に、まことにシオラシク公明党は私の批判にまさに対応し、創価学会と一応形のうえの政教分離を行なうと同時に自民党との癒着関係をできるだけはずしてゆく、という方向をとっていったのだ。そして転じて民社党との連繋をまず行ない、次に社会党右派、つまり江田派に手をのばし、そうした二党一派の野合的結合の中に公明党を発展的に解消させることを通じて、その実質的な粗織を温存させてゆこうという戦略、戦術をとるようになった。
 『創価学会を斬る』を書いた時点では、民社、公明両党の間には、その政策からいっても、イデオロギーからいっても、一体化する可能性はなかった。だがもし、公明党が解散して、政策や綱領において矛盾のない政党を合同の条件として選ぶとすれば、やはりそれは民社党であるとも述べた。ところが、こうした私の表現は実に微妙に政局に影響を及ぼしたようだ。どうも今から考えるとそうとしか思えない。公明党側からではなく、民社党の方から困りきっていた当時の公明党に手が差しのべられて、一応は自民党と切れて、孤立無援のカタチになった公明党をだきこむ工作が行なわれた。これがまさに西村構想であり、さらにそのなかに社会党右派をだきこんでゆこうという発想であった。
 そもそも公明党は、民社党と競合して民社党を抜き、社会党と競合して社会党を抜き、元来の“七年計画”によれば、十年か十何年か先には野党第一党になるというのが基本の構想であった。だが、どうもそういう構想は捨てられ、野党の連合、ないしは新党結成の構想のなかに発展的解消の方向を求めていった、とみてもよいように思われる。だが、私が本を出す前に公明党が社会、民社と組めたかというと、まずは全く組めなかったとみてよい。というのは、当時公明党はあたるべからざる勢いにあり、そのようなことは全く問題にもしていなかったからだ。むしろ社会党や民社党との異質性や対決点というものを鮮明にすることによって、独特の政治カラーを民衆に印象づけ、自民党との連立により、一日も早く権力体制の一環につらなろうという方向を選ぼうとしていたといえるだろう。池田創価学会会長が政界に出てくるときは、公明党と自民党との連立政権ができたときだという見方を私はとっていたわけである。だが、あの本を出すことによつてそういう可能性というものが一歩後退したことだけは間違いない。
 しかし、実際は、公明党という組織を外見上は創価学会と分離しながら、なおかつ外から学会が公明党を操り、“革新中の革新たれ”とハツパをかけながら、革新勢力の中におけるキヤスティングボートを公明党ににぎらせることによって、政治全体への影響力を間接的に学会組織票を通じてキープしてゆくという高度の知能犯的戦略をひねくりだしたとみなければならない。そういう点では、私の提言は一見受入れられているようであって、なおかつその方向のなかには大きなスリカエと危険性が内包されているといわねばならない。その意味では、「公明党に解散するという考え方がある」ということを池田大作会長がもらしていたと、五島昇東急社長は述べていたけれども、それ自体も一種の戦術的後退、『三国志』的ジェスチヤーだったのかもしれない。
 ともかくウソが多いのだ。
       ---------(240P)-------つづく--

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