今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

阿部定事件の発生した日

2007-05-18 | 歴史
1936(昭和11)年の今日(5月18日)は、「阿部定事件」の発生した日。・・・といっても、今の若い人は知らないかもしれないが、我々の年代の者は、「阿部定」といえば、この事件を思い出すだろう。
時は、1936(昭和11)年、陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが昭和維新を掲げて起こしたクーデター未遂事件(「二・二六事件」)の余韻もまだ覚めやらぬ5月20日夕刻、「稀代の妖女阿部定/品川駅前旅館で捕まる」との号外が報じられた。
2日目の5月18日、東京都 荒川区尾久待合茶屋「満佐喜(まさき)」で、男の死体が発見されたが、死体の局部が切り取られていた。左太腿部には血で「定吉2人」の血文字、左腕にも刃物で「定」という字が刻まれていた。男は、料理屋の主人石田吉蔵。その愛人で同店仲居の阿部定は、男の局部を隠し持ったまま失踪。彼女の行方をめぐって新聞には扇情的に書きたて、様々な流言飛語が飛び交ったという。
1936(昭和11)年のこの年は、3ヶ月前に、「二・二六事件」の号外が踊り、東京には、解除される7月18日までの5ヶ月にも及ぶ、戒厳令が布かれていた。にわかにきな臭い様相を呈し、斎藤隆夫衆議院議員の臨時国会での「粛軍演説」が飛び出し、言論規制法規が相次いで作られ、メーデーも廃止されていたさなかに起こった事件である。
「阿部定事件」は当時としては極めて猟奇的な事件であったたとはいえ、当時の各新聞の騒ぎようは、世相に対するジャーナリストの皮肉でもあり、また、読者にしても、そのような戦争(第二次世界大戦(1939年~1945年)前夜の重っ苦しい世相に一抹不安をかかえていたことから、そのハケ口を喜んだところもあったようだ。
愛人である男性を殺害したという容疑で殺人罪で逮捕された定は、当時の社会に衝撃を与えた。定は事件当時30過ぎの女ざかり。法廷で、殺人の動機を問われ、ためらわず、「好きだったから」と答えたという。日本近代に、こんな例は今までになく、定の言葉に全く嘘がないらしいことが伝わって、定は、一躍人気者になってしまったという。妻子持ちの愛人(石田)と東京市内の待合を転々とし、情事に明け暮れたあげく、男を、「自分だけのものにしたい」衝動にかられて絞殺。男性のと言うよりも、「ふたりの関係」のシンボルたる一物(男性の局部)を切取って身に付け、2日後に逮捕された。法の前での定の供述は極めて素直、かつ、具体的だったという。「・・・石田が上になって関係しました。関係してから石田は少し眠いから眠るよ、お前起きていて俺の顔を見ていてくれといいますから、私は起きて見ていてあげるからゆっくり寝なさいといい、半身を起こして石田の顔の上に頬を擦り付けていると、石田はウトウトしておりました(予審調書)。当時は、「愛」という言葉が一般庶民にまで使われ始めた時代だったのだが、定の犯罪は、この言葉が人々に与えるイメージによくフィットしていた。定の告白は人々をおおいに納得させた。いや、語られたそのあからさまな色模様が、では必ずしもなく、彼女の「好きである」ことへの確信犯振りがである。東京の下町に育った「御侠(おきゃん)」な定は、15,16のころから、浅草の不良に交じり、芸者家業から娼妓生活へ。各地を転々とした後、娼妓から足を洗って働き始めた料亭の主人が、清元の上手な、セックスはなお巧みな、石田だった。石田は定にとって、生涯で初めて「すきになった」人だったという。男をこなすのが商売の娼妓生活の時代に「恋人」など出来るはずもなく、彼女がセックスに快感を覚えたのもかなり遅く、20代も後半、遊女から足抜けして大阪で1人暮らしを始めた頃からだったという。「このときから情事に快感がわき、一人寝は寂しくてなりませんでした」とここでも定は素直に述べているという。(朝日クロニクル『週刊20世紀)
以下参考の「阿部定事件・予審調書」の感想とまとめの中でも書かれているように、”男の性器を切り取るという行為は別として、性交を楽しむために首を絞めるというのは、今では別段珍しくない。阿部定裁判で担当の竹内弁護人は、「吉蔵は他人から虐められる事を喜ぶ精神異常者であり、お定はいぢめ、いぢめられる事の両性を兼ね備へた異常者である。此結合要素を備へた男、女が遭ふ事は千万人に一人の割合であらう。然るにお定、吉蔵の二人は陰陽、凹凸全く符号融和すべき千載一遇の暗号の結果であり、此の稀有な運命の下に、運命の神の悪戯に依つて本件を誘発したものである」として、異常性愛による犯罪であることを強調した。しかし、それは当時の人たちにとって異常であったのであり、今からみれば異常の程度は、それほどではないといえる。つまり、単なるフェティシズムの発露というべきものであろう。”と書いてあるが、私も、今、改めて、調べてみて、そのように思う。定は愛人である男を殺すつもりはなかった。戯れに男の首を絞めて死んだことが判ったとき、定は、自分を楽しませてくれた男の局所を切取って、自分の肌から話したくないと考えた。それは、定の男への愛情であると考えた。定にとって「それは、一番可愛い大事なものだから、そのままにしておけば湯棺(納棺する前に死体を清めること。湯荒い。)のとき、お内儀さんが触るに違いないから、誰にも触らせたくない」とのちに供述しているという。そして、5月20日、夕刻、定は品川の駅前旅館「品川館」で逮捕される。旅館に臨検に現れた高輪署の刑事が「大和田直」という偽名で投宿していた女の部屋を訪ねたとき、女はは、ビールを飲んでいて、「あんまりソワソワしないで、少しは落ち着いたら。アンタの捜しているのは阿部定でしょう」と言い、刑事が黙っていると「私が定よ」と言い、刑事が「からかうな、忙しいんだ」と、怒ったように言ってそのまま帰ろうとすると女は「本当よ。私がお定!」と言ったという。(以下参考の事件・阿部定事件より)・・・だから、本当に、悪気はなかったのだろうね~。
裁判の結果、事件は痴情の末と判定され、定は懲役6年の判決を受けて服役。服役中の定は模範囚で、普通の女囚の1日にこなすセロハン紙細工などを2倍も消化していたという。1936(昭和11)年流行語に「下腹部」 がある。阿部定事件の新聞報道で、切り取られた局部を指す言葉をこのように表現していたように、「性」だの「愛」などと言うことをまだまだ、人前で言うことをはばかられる時代。そんな定が時ならぬ人気者となった。1941(昭和16)年に「皇紀紀元2600年」を理由に恩赦を受け出所するが、定の6年間の刑期中に、定の純情に共感した人々から結婚の申し込みが400通もあったともいう。
釈放後は、刑務所長などの計らいで名前を変え市井で一般人として働き結婚もし普通の生活を送っていたが、終戦直後突然新聞記者が訪れ、夫は妻が世間を騒がせていた定と知りそれまでの平和な暮らしが崩壊。また、カストリブームの中で再び阿部定事件が脚光を浴び、興味本位の『昭和好色一代女 お定色ざんげ』と言う書籍が出版され、定は著者と出版社を名誉毀損で告訴している。さらに、その後、この事件を基にした劇や映画も製作されている。 この事がきっかけで再び各地で色々な仕事を転々とするようになるも、1971(昭和46)年に置手紙を残し身内から忽然と姿を消し、以降の消息及び生死は不明となっている。 阿部定がその遊女人生の最後を過ごしたという丹波篠山の遊郭(兵庫県篠山市八上)。大正楼では「おかる」、「育代」と名乗っていたそうだ。(大正楼のある町のことは、以下参考の「阿部定が住んだ遊郭の残る町/丹波篠山」を参照)松竹ヌーベルバーグの旗手ともいわれた大島 渚が、国際的名声を不動にしたのは、この阿部定事件を題材に男女の性的執着と究極の愛を描いた1976(昭和51)年の挑発的作品『愛のコリーダ』(L'Empire des sens)であった。この映画は、1973(昭和48)年にフランスより合作のポルノ映画製作を持ちかけられたが、刑法と映論が映画作家のポルノ表現を大きく規制していた時代、規制の壁に返事に窮していた彼は、1975(昭和50)年フランスのポルノ規制の解禁により、完全なポルノ映画を作りを狙い、フランスから生フイルムを輸入。これを使って、国内で撮影し、未現像のままフランスへ送り戻して、フランスで完成させた。カンヌ映画祭で上映され大好評を博し、ポルノ作品の上映が可能な殆どの国から上映申し込みが殺到したという。一方、日本で公開のものは、映論に届く前の税関検査でズタズタに修正されたため、無修正版を見たい人のためのパリツアーが企画されたほどだという(朝日クロニクル「週間20世紀」)。同作品は2000年にリバイバル上映されたが、修正個所は大幅に減ったものの、ボカシが入ったものとなっており、現在でも国内でオリジナルヴァージョンを観ることはできない。
また、クインシー・ジョーンズの軽快な「愛のコリーダ」と言う曲がある。かなり濃い目の大人のラブソングで、当時、大島渚監督の同名映画にQ.ジョーンズが惚れ込み、この映画に捧げたというが、映画のヒットに相乗効果を狙って邦題のつけたのが実情ではないだろうか?。オリジナルのタイトルは「The Dude」詳しくは、以下を見ると良い。試聴も出来るよ。
「Ai No Corrida」/クインシー・ジョーンズ
http://plaza.rakuten.co.jp/miyajuryou/diary/200510210000/
(画像左は、逮捕直後、高輪署での阿部定。3通の遺書を持ち自殺するつもりだったという。逮捕されておるのに笑顔であるのが印象的。右は、「愛のコリーダ」1976年仏=日〔大島渚プロ〕出演松田暎子、藤竜也。阿部定の猟奇殺人を描いたもの。朝日クロニクル「週間20世紀」より)
阿部定事件-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E5%AE%9A%E4%BA%8B%E4%BB%B6
事件
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/jiken.htm
阿部定事件・予審調書(全文)
http://www.asahi-net.or.jp/~gr4t-yhr/abesada0.htm
なつかしの映画・TV番組(うら話)
http://wing2.jp/~barclay/treetv/tree.php?n=102
戦争報道/前坂俊之HP
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/0301016_sensouhoudou.htm
斎藤隆夫衆議院議員の「粛軍演説」(抜粋)・第二次世界大戦資料
http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2/text/syukugun.html
[PDF] 猟奇の阿部定事件発覚!戦前の悪女たち
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/data/link/pdf/chronicle_1107.pdf
1936年[ザ・20世紀]
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1936.html
作家別作品リスト:坂口 安吾
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1095.html
清元節 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%85%83%E7%AF%80
フェティシズム - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0
松岡正剛の千夜千冊『堕落論』坂口安吾
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0873.html
部定が住んだ遊郭の残る町/丹波篠山
http://www.photohighway.co.jp/goodcrew/AlbumTop.asp?key=1872957&un=59265&m=2
ピンク映画
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AF%E6%98%A0%E7%94%BB
愛のコリーダ 完全ノーカット版
http://joshinweb.jp/dp/4988013628502.html?ACK=BLG002701
クインシー・ジョーンズ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA