今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

エンピツ記念日

2007-05-02 | 記念日
今日(5月2日)は「エンピツ記念日」
1887(明治20)年の今日(5月2日)、眞崎仁六が東京・新宿に「眞崎鉛筆製造所」(現在の三菱鉛筆)を創立し、日本初の鉛筆の工場生産が始った。
以下参考に記載の三菱鉛筆のサイトを見ると、1878(明治11)年にパリで行われた万博で鉛筆というものを初めて見た眞崎仁六は、感動を受け、様々な研究と努力を重ね、現在の新宿区内藤町に、水車を動力とした工場を建て、日本初の鉛筆の生産に成功した。それが三菱鉛筆株式会社の前身である「眞崎鉛筆製造所」である。1901(明治34)年 逓信省(後の郵政省、現総務省・日本郵政公社・NTTグループ)へ初めての国産の量産型鉛筆3種類(局用1号・2号・3号)を納入。 このときの感動を後世にまで残したいと記念の商標を登録することを考え、逓信省への納入の『局用鉛筆』には1号、2号、3号という3種類の硬度(芯の濃さ)があったことと、眞崎家の家紋である「三鱗(みつうろこ)」を図案化し、“三菱”というマークを考案。1903(明治36)年 、「三菱」ブランドを登録(登録番号18865)したとある。 そして、1925(大正14)年、横浜の大和鉛筆と合併し、眞崎大和鉛筆がスタート。1952(昭和27)年に社名を三菱鉛筆に改称、今日にいたっている。三菱鉛筆は、文房具製造メーカーであるが、三菱の文字も使用するロゴマークも旧財閥三菱グループのものと同じであるため、同グループ各社と混同されやすいが、全く関係のない会社である。歴史上、スリーダイヤ・マークを使ったのは三菱鉛筆の方が先であり、競合する事業もないため双方が同じ商標を用いる事に同意しており、一時期は財閥側から傘下に入らないかとの話も出たが、それを断り現在に至っているとのことである。
鉛筆は、木材の外面と、内側の黒鉛と粘土を混ぜて焼いた芯とで構成されているが、1560年代、イギリスのボロウデール鉱山で発見された良質の黒鉛が鉛筆のルーツだそうである。
日本では、17世紀初頭に使われたとされる、 伊達政宗伊達政宗の鉛筆参照)と、徳川家康の鉛筆(徳川家康の鉛筆 参照)が保存されているそうだが定着しなかった。本格的に輸入が始まるのは19世紀後半、明治時代になってからで、明治初期の日本では鉛筆は珍しく、東京や横浜の輸入品専門店で少量が売られるのみだった。日本では長く文書を毛筆で書くしきたりがあり、鉛筆の普及は遅れた。1885(明治18)年、英語教育に関する書籍が相次ぎ発刊され、同年、大量の鉛筆がアメリカから輸入された。この頃から学校では徐々に鉛筆が使われはじめるようになった。この後1920(大正9)年までに小学校で毛筆から鉛筆への切り替えが順次行われ、一般生活に深く浸透するようになったと考えられている。
因みに、三菱鉛筆HPで、日本で大量生産が始まった鉛筆が販売され出してからどのくらいの値段で手に入ったのかを見ると、1901(明治34)年、 局用鉛筆1本 が1厘 、銭湯大人が1銭3厘 。1907(明治40)年 局用鉛筆1本 2厘、銭湯大人が3銭 、1921(大正10)年では、局用鉛筆1本 5厘 、銭湯大人が6銭 だったというから、このころには、大人の銭湯への入浴代よりやや高い程度だから、庶民にまったく手の出ない値段設定と言うほどではないよね。でも、明治の初期は高かったのだろう。
因みに鉛筆の頭に消しゴムが付いた「ゴム付き鉛筆」は1858( 安政5)年、アメリカのリップマンによって考案されたそうだが、随分と古くからあったんだね~。
フリー百科事典Wikipediaによりと、鉛筆の一般的な形状が六角柱であるのは、丸いと机の上で転がってしまうからではなく、実際には製造法が理由であるとしている(「 製造法」の節を参照)が、三菱鉛筆HPによると、鉛筆の形状が六角柱であるのは、転がらないため、持ちやすいためだそうで、握った場合、必ず3点(親指、人差し指、中指)で押さえるので3の倍数である必要があるからだとか。色鉛筆では、文字を書くだけでなく、絵を描くために使ったり色々な持ち方をして使うので、指あたりのよい丸軸にしている・・・とある。ま、どちらの理由もあることにしておこう。
近年は、便利なシャープペンボールペンなどの普及によって、筆記用としての需要は激減しているが、私たちの年代の者には、あの鉛筆の指当りが良く、書きやすく長時間字を書いていても指が疲れなくて良い。しかし、絶えずエンピツの先を削らなくてはならないのが多少面倒ではあるが、それを鉛筆削り(器具)などを使用せず、昔よく使っていた肥後守などのナイフで削るのがなんともいえない快感だという人もある。私なども、学生の頃、鉛筆の6面をいずれも綺麗に形よくそろえて、先の尖った鉛筆を削ると、確かに快感を覚えたのを思い出す。しかし、最近の子供には、鉛筆をナイフで綺麗に削れない不器用な子が多いとも聞く。便利な電動の鉛筆削りなどもあるし、ナイフを使う機会もないのだろうがね~。それに、私達が子どもの頃は戦後のもののない頃だから、鉛筆も本当に小さくなるまで大切に使った。そして「ちびた」鉛筆を使えるようにするために、長さを延長する金属やプラスチックの器具も使っていたが、先日、家人が今でも本当に短くなったものに器具を使って使用しているのを見て、笑っていると、「大切につかわないと・・」と言って睨みつけられた。贅沢になった今でもそんな器具売っているのだろうか。それとも昔使っていたものを大事に置いていたのかな~。今の子供にも、ものを大切に使う習慣を身に付けさせて欲しいものだね~。
(画像は、左:眞崎家の家紋(三鱗=ミツウロコ)と右:三菱マーク。三菱鉛筆 より)
三菱鉛筆 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E9%89%9B%E7%AD%86
日本鉛筆工業協同組合
http://www.pencil.or.jp/
三菱鉛筆 HP
http://www.mpuni.co.jp/