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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

『オレたちひょうきん族』の放送が開始された日

2007-05-16 | 歴史
1981年(昭和56)の今日(5月16日)は、フジテレビで『オレたちひょうきん族』の放送が開始された日。
オレたちひょうきん族は1981年10月10日~1989(平成元)年10月14日までフジテレビ系で放送されたバラエティ番組。土曜日20:00から1時間番組として放送。通称「ひょうきん族」。原案はビートたけし(北野武)。
1981(昭和56)年5月16日に『決定!土曜特集』という単発特番枠(正確にはナイター中継中止時の雨傘番組)として数回放送され、同年10月10日よりレギュラー放送となったもの。
1979(昭和54)年から1980〔昭和55)年にかけてのMANZAIブームによって、大衆の笑いの好みが大きく変わった。一言で、言えば「ナマ」嗜好であり、それまでの旧来のお笑いは、落語であれ、漫才であれ、コントといった演芸のいずれもが、作者の練り上げた台本と、芸人は演じる際の決められたさまざまな約束事の枠のなかで、アドリブを抑制した表現を繰り返し訓練し、それを舞台で再現することで、笑いを取った。
そのような完成度の高い「ツクリモノ」の代表的な番組が、お笑い番組の頂点に君臨していた裏番組TBS系のザ・ドリフターズによるコント番組「8時だョ!全員集合!」であり、最盛期には視聴率40~50%を稼ぐ「お化け番組」と呼ばれ、土曜8時戦争と呼ばれる視聴率競争の王者であった。しかし、このような完成度の高い「ツクリモノ」の番組も次第に飽きられかけていた。そして、それより、芸人個人の日常生活、あるいは、世相に対しての観察眼、といったナマの情報に関心が移行して行ったのである。こうなると、求められる芸人の能力も大きく変わってくる。頭が良いこと、時代に敏感なこと、私生活情報が豊かなことなどである。それまでのただ面白みのあるだけの芸人ではもう対応できない次元になってしまった。こうした時代背景のもとにスタートしたのが「オレたちひょうきん族」である。
そして、当時まだ一介の若手お笑い芸人であったビートたけし明石家さんま島田紳助片岡鶴太郎山田邦子らを擁し、視聴率で土曜午後8時(土8)の超人気番組であった、「8時だョ!全員集合」の王座を脅かし、遂には、放送終了に追い込むまでの勢いを誇り、1980年代バラエティのリーダー格番組にまでなったのである。
人気コーナーとして、最も有名なのが「タケちゃんマン」であるが、ほかに「ひょうきんベストテン」「ひょうきん懺悔室」「ひょうきん絵描き歌」「かまへんライダー」「ラブユー貧乏」などがあった(主なコーナー参照)。
この番組が大成功した理由は、ビートたけしと明石家さんまという、たぐい希な人物がいたことは言うまでもないが、もう1人欠くことのできない人物・プロデューサー横澤彪(よこざわ たけし)の存在を見落とすわけにはいかない。
そのような時代の風(お笑いの変化)を身体で感じていた横澤は、この新しい番組で危険な賭けに出た。リハーサルなし、出たところ任せの一発勝負。相手もスタッフも予備知識なしのギャグに爆笑する。その声までも放送してしまう。これが、「ナマ嗜好」の大衆にアピールする・・・・・。
丁度、開始当時は、フジテレビも、視聴率ノルマを廃し、製作者が作りたいものを作る路線に転じ、“楽しくなければテレビじゃない”をキャッチフレーズにし始めた頃であったことから、俄然燃え始めた製作者たちの勢いがそのまま現われたバラエティ番組となり、横澤の狙いは見事的中したのである。まるで、荒馬を放牧したようなあぶなっかしいものではあったが、お笑い芸人達の生き生きとしたバラエティーになったのである。また、それまでの漫才コンビをバラバラにし、ひとりひとりにキャラクターを与えた。
そして、あの異常ともいえるMANZAIブームによって燃焼しつくしていたビートたけし個人もピン芸人として、漫才という様式芸から開放されることが出来、生来のテレ性をカモフラージュする方法をこの番組の中で見つけた。「たけちゃんマン」と言う役に扮する、つまり、他人化することで逆に自分の自己を出すという逆説的な手法を・・である。後年色々な番組での進行をするのに不必要だと思える扮装や化粧、着ぐるみなどを着用しているのは、この他人化の手法を用いているのである。兎に角、彼は、この「ひょうきん族」を跳躍台にして、小説、絵画、評論、そして、今や世界的な監督として映画作りへと進んできた。「たけちゃんマン」は「スーパーマン」のパロディーであるが、今やたけちゃんは20世紀のスーパーマンになろうとしている。
また、タケちゃんマン」はビートたけし扮するタケちゃんマンと明石家さんま扮するブラックデビル等の敵キャラによるコーナードラマであるが、「タケちゃんマン」の主要キャラクターの一人・ブラックデビル役を最初に演じていたのは高田純次であるが、第2回の収録日の直前におたふく風邪にかかり急遽降板。2回目以降急遽、たまたまスケジュールがあいていたさんまが代役に抜擢されブラックデビルを演じた。それが高田より数段面白く、そのままレギュラーとなりブラックデビル役に定着した。当時まだ大阪のローカルタレントだったさんまは関西では売れていたものの、全国的には知られていなかった。だから、ひょうきん族開始当時、さんまの出演シーンは「ひょうきんベストテン」の司会ぐらい。他のコーナーでは端役扱いであったのだ。だから、さんまもこの番組によって、全国的な人気を得るきっかけとなったのである。
このとき以来、お笑いの形が変わってしまったが、残念なことは、従来の日本の伝統的な芸能である、漫才や、落語といったものが、衰退してしまったことである。そして、頭は昔の芸人より良いのかは知らないが芸のないただの駄洒落やギャグだけの、低俗なというか、未熟なタレントが画面上を独占する結果となってしまったことではないだろうか。以下では懐かしい場面が動画見れますよ。
オレたちひょうきん族 - 最終回
http://www.youtube.com/watch?v=7QOwjl-9yr4
(画像は、「オレたちひょうきん族 THE DVD 1983~1984(2)」出演: ビートたけし, 明石家さんま )
オレたちひょうきん族 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%B2%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8D%E3%82%93%E6%97%8F
オレたちひょうきん族
http://qvarie.hp.infoseek.co.jp/var/hyokin/v_hyokin.htm
片岡鶴太郎- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%B2%A1%E9%B6%B4%E5%A4%AA%E9%83%8E
オレたちひょうきん族 - 最終回
http://www.youtube.com/watch?v=7QOwjl-9yr4
オレたちひょうきん族 THE DVD 1983~1984(2)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%B2%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8D%E3%82%93%E6%97%8F-DVD-1983~1984-2-%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%97/dp/B0000UN42Q/ref=pd_bxgy_d_img_a/503-7377063-0499158