今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

童画の日

2007-05-08 | 記念日
今日(5月8日)は「童画の日」
長野県岡谷市が制定。
童画(どうが)とは大人が子供向けに描いた絵画である。 これに対して、「児童画」や「幼児画」は子ども自身が描いた絵画である。
1925(大正14)年5月8日~13日まで 武井武雄が東京銀座・資生堂ギャラリーで開催した個展「武井武雄童画展」で初めて童画という言葉が使われたそうだ。 武井武雄は、それまで童話の添え物として軽視されていたこの分野を芸術の域まで引き上げることをめざして造語したもので、1927年には武井武雄、初山滋川上四郎岡本帰一、深沢省三、村山知義清水良雄ら7人で「日本童画家協会」を結成した(1927年~1943年ころまで)。以下参考の「岡谷市-イルフ童画館」によると、”日本橋丸善ほか大阪三越などでも童画展を開催し童画芸術の発展と啓蒙に貢献したが、時局緊迫に伴い(戦争)情報局の要請により、「新ニッポン童画会」「童心美術協会」などとともに 「日本少国民文化協会」に統合され解散したが大きな業績を残した。”とある。童画という呼称はその後広まった。そのことから、 この展覧会の初日である5月8日を「童画の日」(日本記念日協会登録)と定め、 この日を挟んだ一週間を「童画週間」 としている。
大正時代を指して、大正デモクラシーとか大正ロマンチシズムと呼ぶ。これは、これらは社会の政治的、風俗的な動きに比重を置いた表現であるが、社会に何となくゆとりがあり、人々が生活を謳歌していたことを感じさせる。実際には、この時代は第1次世界大戦米騒動,、スペイン風邪の大流行など、社会を震撼させる事件が相次ぎながらも、それまでと比べて余裕を感じさせる時代でもあった。そして、そのゆとりは、子供たちの世界にも及び1918(大正18)年、19年ごろにはそれが一つの時代的特徴をなしていた。例えば1918(大正18)年7月1日鈴木三重吉が、北原白秋らと共に童話童謡の児童雑誌『赤い鳥』が創刊されが、これは、それまで政府主導の難解な唱歌説話に対し、子供の純性を育むための話・歌を創作し世に広める一大運動を宣言したものであり、創刊号には北原白秋、のほか、芥川龍之介有島武郎泉鏡花高浜虚子徳田秋声らが賛同の意を表明した。表紙絵は 清水良雄が描いた。この様な運動は誌名から「赤い鳥運動」と呼ばれるようになった。更に、翌年には、『赤い鳥』に刺戟されて、『金の船』(代表者:斎藤佐次郎)、1920年には、『童話』(代表者:千葉省三)といった類似の児童雑誌が創刊されたが、それまで、子供向けけの歌は唱歌と呼ばれ、文部省の指導で作られていた。
『赤い鳥』が創刊されて以来、モダンな造形感覚に溢れた挿絵を満載した芸術性の高い児童文芸雑誌が次々と創刊された。そうした中、東京社(後の婦人画報社)で、幼児雑誌『日本幼年』の編集をしていた 和田古江は、子供の情操教育に寄与するような本の出版を描いていた。教職の経験を持ち自らも童謡を書いていた和田は、文部省派遣の外遊から帰国して間もない幼児教育の第一人者・倉橋惣三、チャレンジ精神旺盛な画家・武井武雄の支持を得て1922(大正11)年1月、新雑誌『コドモノクニ』を創刊した(朝日クロニクル「週刊20世紀)。武井武雄は、1894(明治27)年 長野県諏訪郡に生 れ、1919(大正 8)年東京美術学校西洋画科入学。そのころ竹久夢二北原白秋に傾倒していたという。1920(大正 9)年 本科卒業後の、翌1921(大正10)年 結婚。生活のため、『子供之友』(婦人之友社)に初めて子どものための絵を描いていた。 『子供之友』については、以下参考に記載の「東京都立図書館・特別コレクション」の●第5回 みんなが読んだこども雑誌『子供之友』参照。そして、 「コドモノクニ」創刊号より参加した。
この「コドモノクニ」は、表紙とも30ページ。大判の厚手の画用紙のような紙に5色刷り。大きくて太い字。子供向けの雑誌は当時5銭から10銭のなか50銭という破格の値段だったという。そして、見開きいっぱいにレイアウトされた迫力ある画面。すべての面で画期的な絵雑誌であったそうだ。創刊から、北原白秋(童謡顧問)、野口雨情(童謡顧問)、中山晋平(音楽顧問)らが顧問として参加。創刊号で、特に目を引くのは、挿絵画家たちの豪華なラインナップで『金の卵』の挿絵を担当した岡本帰一を絵画主任にすえ、武井武雄、清水良雄本田庄太郎が寄稿し、後に『おとぎの国の世界』の挿絵画家、初山滋、『童話』の川上四郎らが加わったほか竹久夢二なども寄稿している。実に第一線で活躍中の作家や画家達が一同に会したものだった。詩と絵と曲とが一体となったこの本は、子供文化を創出した大正時代の傑作である。そして、1925(大正14)年の東京銀座・資生堂ギャラリーでの個展以来、柔らかな色彩とモダンな西洋画の手法で描かれた挿絵を武井は、『童画』と呼び、文章の添え物的な存在から独立した作品へと引き上げて行ったのであった。以下参考に記載の「岡谷市-イルフ童画館」などで武井武雄の素敵な絵が見れる。私も大正時代のほのぼのとしたロマンチックな絵が大好きである。1枚の絵を見ているだけで、いろいろとメルヘンの世界を想像することができる。是非一度覗かれるとよい。
この頃は、幼児用に言葉(文)のない絵本も多く出回っている。これを子供がどう読むか?また、どう読んで聞かせるか?・・・難しい面はあるが、絵は、子供の想像力を高める良い教材だよね。
(画像は、『コドモノクニ』1922年1月創刊号表紙。武井武雄画。題字も同じ。朝日クロニクル「週刊20世紀」より)
童画 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%A5%E7%94%BB
コドモノクニ
http://www.library.metro.tokyo.jp/17/005/17a00.html
現代童画会
http://www.gendoh.jp/index2.html
岡谷市-イルフ童画館
http://www.ilf.jp/takei/
赤い鳥 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%84%E9%B3%A5
児童文学資料研究
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueda_nob/shiryo/shiryo.html
【金の星社】
http://www.kinnohoshi.co.jp/com/top.html
童謡・唱歌とは 
http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/douyou-syouka/11theme/mokuzi.htm
東京都立図書館・特別コレクション
http://www.library.metro.tokyo.jp/17/index.html
銀貨社
http://www.mars.dti.ne.jp/~ginka/index02.html
岡谷市ホームページ
http://www.city.okaya.nagano.jp/mmcb/
深沢 省三・紅子
http://www.odette.or.jp/kankou/bu_c_bi_ff_i/bu_c_bi_ff_i.html