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国鉄が客車の等級制を廃止し旅客運賃料金を一本化した日

2007-05-10 | 歴史
1969(昭和44)年の今日(5月10日)国鉄(現・JRグループ各社の前身)が客車運賃及び特急急行料金にモノクラス制(Mono-class、等級制廃止)を採用し、旅客運賃料金を一本化し、グリーン車を設置した。( グリーン車に乗車するためには、グリーン券を購入)
グリーン車は、3等級制時の2等車及び2等級制時の1等車の名残りであり、「グリーン」の由来は、2等級制時の1等車時代から側面窓下に表示されていた淡緑色の帯の色及び硬券の色を基にしたとされる.。
等級制時代には、運賃および特急・急行料金は等級別に異なっていた。例えば1960年以前であれば、3等級制時代の等級を示す帯の色は、1等:白、2等:青、3等:赤であった。
そして、3等運賃・料金を基準とすると、2等運賃・料金はおおむねその2倍、1等運賃・料金は2等運賃・料金の2倍ということになっていた。1960(昭和35)年に2等級制に変更された際、1等が青帯となったがこれが後に淡緑色に変更された。グリーン車がそれまでの1等に相当するのその色の名称を使ったということである。車体には淡緑色の帯も残されれていたが、その帯も昭和年代の末期には廃止された。(以下参考に記載の「客車の塗装色・等級帯について」参照)
1969(昭和44)年と言う時代を振り返ってみると、日本の経済は、1955(昭和30)年からの高度経済成長 の波に乗り、輸出競争力の増大から、高い経済成長国際収支の大幅黒字が定着するようになり、年末の外貨準備高は35億ドルに達した。そして、1968(昭和43)年の日本のGNP(国民総生産)は、資本主義国家の中で第2位に達した。しかし、その反面「円」切り上げに対する要請が高まってきた。また、 経済白書別表参照 )。
1969(昭和44)年の流行語、「エコノミックアニマル」、「Oh!モーレツ!」!」(丸善石油)などがこの時代をよく反映しているといえるだろう。
1969(昭和44)年5月26日には、 東名高速道路が全線開通。 6月10日には夜行高速バスドリーム号の運行を開始。8月には、「愛のスカイライン」が登場、10月には「フェアレディZ」も世に出るなど、日本のモータリゼーションは、この年に始まったといえる。」日産自動車の車名に「愛の」を加えただけの単純なものに見えるかもしれないが、車が何故「愛」なのか?それは、日本人には使い慣れたない言葉であるが、「愛」と言うだけで、車がもうステイタスシンボルや高嶺の花ではなく生活の一部に加わったことをメッセージしていたのである。
以下参考の国土交通省の「国鉄改革について」や「運輸白書」などを見ると、国鉄は、1949(昭和24)年に国有の公社として発足し、基幹的輸送機関として大きな役割を果たしてきた。しかし、日本の高度成長を通じ、モータリゼーションの急速な進展等により、それまでの国鉄中心の輸送構造に大きな変化が生じた。旧国鉄の旅客輸送は1960(昭和35)年までは、全旅客輸送量の1/2以上を占めていたが、道路の整備や自動車の増加により近距離輸送については自動車が大きな役割を果たすようになった。その結果、国鉄の旅客輸送の全旅客輸送に占める割合(シェア)が低くなっってきた。また、旧国鉄の貨物輸送についても1955((唱和30)年までは、全貨物輸送の1/2以上を占めていたが、その後は産業構造の変化や自動車輸送の増加により、鉄道による貨物輸送量そのものも減少傾向にあり、シェアを大幅に落とし、国鉄は1964(昭和39)年に、初めて赤字を計上、以降毎年赤字が続いていた。 事業の経営は能率的な経営を前提とする適正な原価に見合った運賃、料金収入により維持されることが原則となっている。しかしながら従来、昭和30年代後半以降の経済の高度成長過程で発生した物価上昇への対応策の一つとして、公共交通機関の運賃も公共料金として程度の差こそあれ一貫してその値上げを抑制する方針がとられてきた。輸送構造の変化に伴なう収入の伸びなやみ、人件費の高騰等により財政状況はきわめて悪化し、このため運輸省では国鉄財政再建の抜本策について国鉄財政再建推進会議を開催し検討をすすめていたが昭和43年11月、同会議から他の施策と並んで運賃改訂が必要である旨の意見書が提出された。以上の経緯にもとづき,1968年第61国会において,国鉄みずからの能率化、合理化および国の財政措置に関して規定した日本国有鉄道財政再建促進特別措置法(国鉄財政再建参照)とともに,国有鉄道運賃法の一部改正が成立した。
そして1969(昭和44)年の今日(5月10日)、 国鉄旅客運賃平均15%の引上げを行なつた機会に従来の1等の旅客運賃・料金制度を廃止し,旧1等車を利用する場合には運賃のほかにいわゆるグリーン料金を収受することにしたが、グリーン車を利用する場合の運賃料金は普通車の1.5倍強となつており,従来の1等運賃が2等の約2倍であつたことと比較するとその格差はかなり縮少したという。
国鉄は一方では自動車と、他方では国内航空との競争に直面している。これらの対策としてダイヤ改正に代表されるような輸送力増強、時間距離の短縮等により都市間輸送の責任を果たしてゆく姿勢をこのとき示している。しかし、その後も、収入の減と人件費,物件費の急騰により財政危機に瀕した過去債務の棚上げ等の対策を講ぜざるを得なくなり、1987(昭和62)年4月1日、国鉄は、JRグループ各社へ、分割・民営化された。しかし、この分割・民営化の方法は、単純に日本地図上に線を引いて、分割しただけの民営化である。そのため、民営化した出発当初から立地的な面などで格差がある。例えば、JR西日本(西日本旅客鉄道) の場合、中国北陸地方を中心にローカル線を多数抱えているうえ、戦前の鉄道省時代から、人口の多い京阪神周辺地区では、近畿日本鉄道阪急電鉄阪神電気鉄道南海電気鉄道京阪電気鉄道などと並行する大手私鉄山陽新幹線航空機、またほぼ全域でマイカーなどの道路交通との激しい競争もあり(特に北陸3県は一世帯あたり日本有数の自動車保有台数を誇る)、莫大かつ安定した収入源である首都圏の通勤路線を抱えるJR東日本(東日本旅客鉄道)や東海道新幹線を保有するJR東海(東海旅客鉄道 )と比べると経営基盤が弱かった。そのため、そのような他の私鉄などとの激しい競合を生き抜くため列車増発・スピードアップに対応した安全分野への投資が必ずしも十分なものでなかったとの指摘もあり、分割・民営化が、1991年の信楽高原鐵道列車衝突事故や2005年のJR福知山線脱線事故などの重大事故を引き起こした原因の一つとも指摘されている。確かに、JR西日本の管理体制や職員の責任に帰すこともあるであろうが、私もその最大の要因は、安易な分割・民営化の仕方に一番多くの問題があるだろうと思っている。
(画像はグリーン車(185系サロ185)のリクライニングシート。Wikipediaより)
参考:
一等車 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%AD%89%E8%BB%8A
客車の塗装色・等級帯について
http://homepage3.nifty.com/jnrpc/P-train/PC-COLOR.html
経済白書 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E6%B8%88%E7%99%BD%E6%9B%B8
高度経済成長 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%BA%A6%E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%88%90%E9%95%B7
国際収支統計 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8F%8E%E6%94%AF%E7%B5%B1%E8%A8%88
経済白書(年次経済報告) 年次リスト
http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/index.html
広告景気年表:1969年
http://www.dentsu.co.jp/trendbox/adnenpyo/r1969.htm
国土交通省
http://www.mlit.go.jp/
運輸白書
http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/index_.htm