毎年恒例、30日に行われる公営競技の総決算レースでもあるKEIRINグランプリ06。今年は、3年ぶりの開催となる東京オーバル・京王閣で行われた。
4・合志正臣がSを取って、このレースを最後に「引退」とスポニチに事前にすっぱ抜かれた3・吉岡稔真を前に入れ、吉岡-合志-8・井上昌己、6・手島慶介-2・後閑信一、7・小倉竜二、1・山崎芳仁-9・佐藤慎太郎-5・有坂直樹の並び。
残りあと2周前に山崎が上昇して吉岡の外に並びかけたが、一度は吉岡は引かない構えだった。しかしジャン前で吉岡スッと引いて後方7番手まで下げる。これで山崎がホームからペース駆け。
しかしバックから手島が捲り、ついに2センターの付近で山崎を捲りきる。そこを外から佐藤、さらに北日本3番手の有坂が中を衝いて手島に襲い掛かり、ついに有坂がG寸前、手島を捕らえて優勝。2着手島、3着佐藤。そして吉岡はついに仕掛けるタイミングが得られぬまま、9着に終わり、17年間の現役生活にピリオドを打った。
今回のメンバー中最年長選手となった有坂。
昨年の第一回サマーナイトフェスティバルでも、中を一気に強襲して勝ち、初代王者に輝いたが、今回もそれを狙っていたかのような戦いぶり。
確かに北日本勢は福島勢を中心として今や競輪界の一大勢力にまで上り詰めたが、はっきりいって、「総大将」と呼べるような選手がおらず、有坂は年齢的にトップ選手の中では年長にあたることから、まとまり感の薄い北日本の大将として睨みを利かす役割を果たしてきた。
高校時代、有坂はスプリントでインターハイ、国体などで無敵を誇り、競輪界入りした後も度々世界選に出場するなど、一時は中野浩一の後継者的な存在でもあった。
しかし度重なる怪我に悩まされ、またそれがたたって、有坂本来持っていたスプリンター能力が次第に鳴りを潜めていった。一方で有坂は自身が武器としていた捲りを半ば封印し、マーク選手として再生を図りつつ、実に「遅咲きの選手」として、昨年はG2、そして今年はとうとうGPのタイトルまで奪取した。ちなみにG1の優勝がない選手がGPを制覇するのは、97年の山田裕仁、04年の小野俊之以来、3例目となる。
今年は日本選手権2着が大きくモノをいい、初のグランプリ出場を果たしたが、一方で静岡、宇都宮の記念を制覇しており、年間通じて波がほとんどなく活躍し続けた。
本人の談では、残るG1を来年は是非獲りたいと語っていたとのこと。来年は常時、1番車での登場となるが、年齢的な問題もあるとはいえ、G1制覇を何とか頑張って果たしてほしい気がする。
手島はタイミングよく捲りをしかけ、ペース駆けしていた山崎をついに捲り切った。惜しくも最後、有坂には交わされたものの、手島もまた、今年はふるさとダービー優勝など年間通じてコンスタントに活躍を果たし、恐らく現段階においては、G1に一番近い選手であるといえる。
佐藤はまたしても絶好の展開を生かしきれず3着。本人が悔しがっていると思うが、来年こそは、「銀・銅メダルはいらない、金あるのみ」と思って臨むことであろう。
さてNHKのグランプリ放送の最後の場面で、吉岡稔真が登場し、17年間に亘る選手生活に惜別の念を語った。
NHKの放送の最中に本人の談話が入り、レース中に涙が溢れてきたとのこと。ま、レース中に涙が溢れてくるというのは非常に問題があるが、何せスポニチの「フライング報道」により精神的な部分を恐らく「狂わされ」、周回を重ねるうちにもう、レースどころではなくなったのではないかと思われる。
しかしGP 2回、G1 11回、 生涯獲得賞金は約17億円あまり。競輪史上五指に入らんという名選手であり、また、競輪に貢献したいう意味においては中野浩一さんに次ぐ存在であり、そして「若いファン」の大半は吉岡の走りにあこがれて、という人が多いことだろう。
その吉岡がついにこのグランプリをもって現役生活にピリオドを打った。そして競輪界はまた新たに吉岡に代わりうる存在を誕生させねばならない。
一方で来年、本当に今20代の若い選手が30代のトップクラス選手を死ぬ気で「追い落とす」ような戦いをしていけば、競輪界の流れは大きく変わる。
吉岡がいなくなる来年は逆に競輪が大きく変わる年であるかもしれない。それを期待して、今年の競輪最大のイベントは幕を閉じることとなった。
(追伸)
吉岡はその後、これだけの斡旋が予定されていた。
出場予定
開催場 グレード | 月/日 |
大宮 G3 | 1/13 ~ 1/16 |
小倉 競輪祭 | 1/25 ~ 1/28 |
四日市 G3 | 2/3 ~ 2/6 |
奈良 G3 | 2/15 ~ 2/18 |
「まだ引退するの早いよ」
という念を強く抱きました。
もっとも、デビューしたときは高校時代に数々のタイトルを奪ってきた有坂のほうが、学生時代に運動部経験が全くない吉岡よりも将来を嘱望されていました。