公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

すっぱ抜かれたな

2006-12-27 16:12:06 | 競輪
 

スポニチアネックスより

吉岡引退!グランプリがラストラン
グランプリの会見に出席した吉岡。大一番を最後に引退する

 グランプリ2勝、G1・11回の優勝を飾った競輪界のスーパースター・吉岡稔真(よしおかとしまさ)(36=福岡)がKEIRINグランプリ06(30日、京王閣)を最後に引退することが26日、分かった。90年デビュー以来、17年間にわたってトップレーサーとして君臨。「F1先行」は3日後に迫った大一番で見納めとなる。

 3年ぶりの出場を決めた競輪最大のレース、グランプリでトップレーサーがバンクに別れを告げる。「F1先行」と言われた圧倒的な先行力を武器に競輪界の頂点に君臨した吉岡が引退を意識したのは今年11月。松山記念準決勝(22日、7着)で格下の先行選手にまさかの敗戦を喫したのがきっかけだった。「さすがにショック。あれじゃ、恥ずかしくて走れない」と、努めて明るく話したが、次走に予定していた今月2日開幕の全日本選抜を直前でキャンセル。そのころから吉岡の周囲では引退がささやかれ始めた。

 今年3月には日本選手権決勝を逃げ切り、7年ぶりのG1制覇。度重なる落車事故で満身創痍(い)となりながら復活にかけてきた男は「まだ自力(自ら先行する戦法)が通用することが分かった」と号泣した。

 だが、「F1先行」をアピールできたのは日本選手権だけだった。その後のG1・3戦はすべて予選敗退。9月以降はG3でも4シリーズ連続で大敗した。イメージ通りのレースができない。もどかしい日々が続いた。36歳という年齢が吉岡の心と体に重くのしかかる。全日本選抜欠場後は「一からつくり直す。グランプリでは見とってください」と語り、グランプリ06にすべてを懸けて練習に明け暮れた。普段、控えめな男が口にした異例とも思える強気のコメント。自ら主宰する競輪選手の練習グループ「不動会」のメンバーには「年齢から考えても、今年が最後のグランプリになるやろうなあ」と漏らした。例年ならとっくに終わっているはずの翌年用のユニホーム、練習着のメーカーとの契約更改も保留にしたままだ。すでに引退の意思が固まっていた。

 まだ早い、いやもう立派に競輪界に貢献した…。ファンはさまざまな見方をするだろう。だが、世界戦V10の中野浩一(現競輪評論家)の後を引き継ぎ、数々の金字塔を打ち立てたヒーローは、30日の大一番で燃え尽きようとしている。「今はグランプリに集中している。すべてはそれが終わってから」と吉岡は多くを語らないが、引退の決意を胸に最後の戦いに挑むのは間違いない。グランプリ06は選手生活17年間の集大成となる。

これ以前に、あのT社長がすっぱ抜いていたが。

恐らく今年のダービーを優勝したあたりから意識していて、その後落車による怪我もあって、もう限界と本人は悟っていたのかもしれない。

さらに上記にあるように松山記念でのまさかの敗戦により、踏ん切りもついたということか。

ま、中野浩一さんも引退した年齢は36歳だった。中野さん同様、デビュー時から快進撃を続け、なおかつ若くしてトップ選手に上り詰め、一時代を長らく築き上げた選手というのは、丁度このあたりの年齢が限界といえるのかも。

ただ中野さんは引退した年にグランプリに出場できなかった。吉岡は現役最後のレースがグランプリとなる。そこが中野さんとは違うところで、勝つにせよ、負けるにせよ、「有終」の迎え方については、吉岡のほうがいい形ということになる。

しかし「スクープのスポニチ」にまんまとすっぱ抜かれたことで、グランプリに大きな影響が出てしまうな。

勝てば勝ったで「出○レース」なんてことを言われそうだし、負けたら、「どうして中野や松本整のような形にできなかったのか」と言われそうだし。

ま、果たして吉岡最後のグランプリはどんな戦いを見せてくれるのか?ま、こういう形での話しならば、入場・売上げ的にはかなりのものが見込めそうな気もするが?

コメント (4)
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2006 公営競技10大ニュース Vol.3

2006-12-27 03:41:21 | 10大ニュース
 

A 「さて7位は、これは後述するんだけど、競輪の大量落車続発もそうだが、オートレースにおける不成立レース多発しかり、さらに競艇でも審判の指示に相反する航走を行ったりしたレースがあるなど、デタラメなレース内容が多かったという点についてなんだけど、なんといっても、「プロの自覚」を持ったレース内容を心がけてもらいたいもの。」

B 「よくこういう話をすると、「たまたまじゃないか」という人も出てくるが、後述する競輪大量落車を例に挙げれば決して、「たまたま」なんかじゃないからね。たまたまだったら、毎回毎回5人も6人も落っこちるレース(他にも8人、7人ってのもあったけど)など「ありえない」。」

A 「JRAでも、エリザベス女王杯で15年ぶりに1着馬が降着となったことで話題となったが、特に判定については客の顔色を伺うようなことをなどすることなく、毅然とした態度で挑んでもらいたいもの。」

B 「結局、ルールに沿わないようなレースをして損するのは、やる側だけなんだからね。」

A 「その通りだ。ところが一部には「審判の判定が悪い」などと噛み付く輩もいるらしいが。」

B 「もってのほかだね。公営競技の審判って、VTRを何度も繰り返し見てみたりして、それ相当の根拠材料をもって判定に挑んでいるわけだろ。今年、デービッドソンとかいう野球の審判の度々の「誤審」問題が話題となったが、Vを回さない野球とは違うんだって。そういう曲がった考え方しかできないようなら、はっきりいえばやめてもらって結構。そして来年こそは、お粗末というか、客から「バカヤロー!」「おう!しばいたろか!」と言われないようなレースをやってもらいたいもの。」

A 「6位は瀕死の状態の岩手競馬問題。今も揉めにもめているけど、ついに増田寛也知事が、盛岡・奥州の両市に合計330億円の負債相当額基金を新設させることで一応の決着をみた「はず」だったんだが、その後も出てくる出てくるデタラメ経営問題。」

B 「増田知事は当初は「改革派知事」と言われる気鋭の人だけに、意欲的に競馬再建問題に取り組んだが、県議会で競馬問題については毎回議案を突っぱねられ、また、期待していた側近副知事も辞任に「追い込まれる」など、ついに四面楚歌の状況となり、最後は本当に「奥の手を使って」半ば強引に決着をつける方向へと進ませた。しかしそのように決め付けるのは早計で、実はまだこの問題は「終わっていない」。」

A 「増田知事が来年の統一地方選不出馬を決めたあとに、今「仁義なき戦い」を演じている、来年度の映像権料の問題が出てきたな。確か来年度の映像権料については、担当する東北映像が7900万円の削減しか応じられないといっているのに対して、県競馬組合側は4億1000万円削減しろと要求しているな。増田知事も県競馬組合案を通すことが先決と考えているみたいで、最悪東北映像を切れ、とまで言っているみたいだが、逆にそうすると、一部のテレトラックでは映像配信できなくなり、ひいてはテレトラックが廃止に追い込まれる可能性があるとして、「断固として7900万円の線は譲れない」と平行線を辿っている。」

B 「当然、年明けの県議会ではこの話が主題となり、増田知事の責任問題を追及することになると思われるね。ま、県組合側の主張が通らねば、またぞろ岩手競馬は来年度も赤字転落の見通しとなり、そうなれば330億円の基金(追加融資)など、「しなくてよかった」ってことになりかねない。」

A 「ま、思うに、今はいかにして競馬の再建をするかが大事だから、最悪、東北映像を切る覚悟を持たねばならないとは思うけどね。(注・28日の各日刊紙岩手版のニュースによると、東北映像は4億1千万円の削減案を受け入れる意向)」

B 「しかしやはり県民の大半が岩手競馬をしないこともあって、「どうしてそこまで延命にこだわるのか」という声が大半を占めている。でも岩手にやめられると、本当に地方競馬は終わってしまうように感じる。かつては「地方競馬の優等生」と言われた岩手。今はそうなっていないが、そのように言われた頃を思い出し、かつ、身の丈にあった経営をすれば十分黒字転換できるんだ、というところを、増田知事の後任知事にも期待したいし、ひいては農水省やNARも岩手問題について着手すべきではないかと思う次第であるが。」

A 「第5位はまたしても事故で亡くなってしまった騎手・選手がいたこと。まずは船橋競馬の佐藤隆騎手。4月25日の浦和競馬第5レースで落馬し、頭部を強く打ち、頭蓋骨骨折で意識不明状態のまま、8月8日、享年49歳で亡くなられた。」

B 「佐藤騎手といえば重賞勝ちが47もあったように大レースに強い騎手というイメージがあり、とりわけ2003年の帝王賞で逃げ切り圧勝した牝馬のネームヴァリューや、ただいま日本ダート界ナンバーワンといってもいいアジュディミツオーを2004年の東京ダービーで優勝させたことが思い浮かぶ。あと、サクラハイスピード(川崎記念、東京盃などを勝利)の主戦でもあった。」

A 「船橋では長らく石崎隆之の二番手騎手の評価を得ていて、石崎がいなければ佐藤を買え、という話もあったほど。まだ年齢的にも大きな仕事をやれるチャンスはあったはずだし、残念だねぇ。」

B 「オートレースでもまた悲劇があった。橋本和美選手がレース中ではないが、10月13日に朝練習中にA選手と接触して落車し、意識不明のまま川口市立医療センターへ収容され、同日午後0時25分頸椎損傷により死去した。享年27歳。まだこれからじゃねぇか。」

A 「そうなんだよなぁ。橋本選手は今年7月に行われたG1・キューポラ杯優勝戦で3着に入り、それこそ、これから同期の出世頭である田中茂や久門徹といった選手を追いかけていこうとしていた矢先の出来事。そもそも今年のオート界は、伊藤信夫の大事故や後述する高橋、福田の一件など暗いニュースが目立ったからねぇ。一番「最悪の」ニュースまで来てしまったのか、と思ってしまったよ。」

B 「しかし本当にオートレースは競走、練習中における事故死って多い。過去10年間でこれで確か4人が亡くなっている。その中には、飯塚の第一人者であった中村政信選手も含まれているし。ところで田中茂が若獅子杯や日本選手権で優勝した際に橋本選手の遺影を持参し、「和美!やったよ!」とインタビューで真っ先に答えるシーンがあった。何かそのときはジーンと来るものがあったが、管理人が丁度川口に住んでいたときにデビューした選手でもあったらしいので、ショックだったそうだ。佐藤騎手共々、謹んでご冥福をお祈りいたします。」


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