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折田謙一郎の正体

2014-10-23 18:19:22 | 政治経済問題
消えた“小渕疑惑”のキーパーソン中之条町長がやったこと

日刊ゲンダイ 2014年10月23日

小渕前経産相の「政治とカネ」のすべてを知るキーパーソン、群馬県中之条町の折田謙一郎町長(66)は、20日に辞表を提出した後、依然、姿を消したままだ。

 折田町長は、〈ひとえに私の不徳のいたすところ。小渕大臣は政治資金に全く関与しておらず、収支の齟齬に疑念をもたれたのは当然のこと〉と、コメントを寄せた通り、小渕事務所の政治資金をひとりで管理していた。

 小渕家の「国家老」と呼ばれる折田町長の力は、群馬県全体に及び、小渕優子前大臣も言いなりだったという。


「折田家は地元の地名にもなっている名家です。謙一郎さんは高校を卒業し、専門学校に進んだ後、日産に就職。2年ほどで会社を辞め、20代半ばで小渕恵三事務所の私設秘書となった。小渕家とは30年以上の関係。高崎の事務所所長も務め、陳情、カネ集め、選挙と地元のことは、彼が一手に引き受けていました」(地元関係者)

やり手の秘書ではあったが、ただの秘書にすぎなかった折田町長が実力者にのし上がるターニングポイントは、2007年の県知事選だった。

7年前の知事選は、当時現職の小寺弘之知事VS大沢正明氏(現知事)の戦いでした。小寺知事の圧勝とみられていた。ところが、折田さんが擁立した大沢正明氏が勝ってしまった。折田さんは選対の事務局長に就いていた。彼が力を持つのは、あの時から。知事と一心同体なのだから、そりゃ影響力は凄いですよ。しかも、県内には小渕系の県議や首長が何人もいる。とくに土建業者は、折田さんに挨拶しないと仕事ができない、などと噂されていました」(県庁事情通)

 定年を迎えて第一線を退くが、2012年1月、町長のなり手がなかったため担ぎ出され、無投票当選している。

 地元で生まれ育ったわけではない小渕優子前大臣は、カネ集め、票集め、陳情など、すべて折田町長に頼らざるを得なかった。電話のやりとりは、折田町長が「代議士ね、こういうふうにしなさい」と上から指示を出すようだったという。折田町長は24日の中之条町議会の臨時会に出席する予定だという。そこで、すべてを話してもらいたい。



赤旗 2014年10月22日(水) きょうの潮流

中選挙区時代、群馬3区は「上州戦争」と呼ばれるほどの激戦区でした。福田赳夫、中曽根康弘の両氏らとともに、熾烈(しれつ)を極めて議席を争ってきたのが小渕恵三元首相でした▼「ビルの谷間のラーメン屋」と自嘲していた小渕さんは、強固な後援会をつくって強力な相手に対抗しました。「当選した翌日から選挙運動をやっていた」と、一族郎党や後援会員を中心に選挙区内を這(は)いずり回ったといいます▼その父親から「地盤・看板・かばん(お金)」を引き継いだ小渕優子議員が、政治とカネの問題で経産相辞任に追い込まれました。第1次安倍政権のときも政治とカネをめぐって辞任が相次いだように、相変わらずの自民党の金権体質です▼松島みどり議員の法相辞任とともに、内閣改造の目玉閣僚が一日でそろって欠ける異常な事態。安倍首相もみずからの任命責任を認めて謝罪しましたが、それだけでは済みません▼残っている女性閣僚は靖国3人組。人気取りが早くも破綻したことは、この政権がもつ危うさの反映です。最新の世論調査では内閣支持率も下落。消費税の再増税にしても、原発再稼働にしても、カジノにしても、安倍政権が推し進める政策にたいして、ことごとく、反対や疑問の声が多数を占める状況です▼目先を変えて、いくら顔触れを新たにしても自民党政治への国民の厳しい目はかわせません。政権打倒のたたかいに拍車がかかったいま、沖縄知事選勝利、いっせい地方選の勝利につなげ、政治を変える契機としたい。


ちなみに、既に他界されている小寺前群馬県知事は、2004年に高崎競馬の廃止を決定した人物。しかも、最後の開催となった同年大晦日にも高崎競馬場に姿を見せなかった。

ま、それはともかく、福田、中曽根という、東大出の「ビッグネーム」に伍して戦うとなれば、そりゃ並大抵のことをやってたんでは、当選はおぼつかないわな。つまりは、上記2人はどう転んでも「盤石」だが、小渕恵三の場合は、下手をすると、自民党が逆風下で戦っているときには、野党に寝首を掻かれかねないからね。

wikiをみたけど、小渕は社会党の山口鶴男(元日本社会党書記長)よりも下位で当選することがほとんどだった。

そんな小渕恵三が総理にまで上り詰めたわけだから、折田町長の力が絶大なのは当然の話だといえる。

しかし、いささか時代に合わないやり方をしていたという点は否めない。

十把一絡げなやり方で、「文句あるなら俺に言って来い!」というスタンスが未来永劫通用するわけがない。

ましてや、小渕優子(以下、優子)は、父親と違って、初当選のときからすべて「無風選挙」だったし、加えて40歳の若さで経済産業大臣になった。昔の自民党政権時代だったら、「通産大臣」は、大蔵大臣に次ぐナンバーツーのポジションだ。ということは、優子は、順調に職務を全うできたならば、いずれ党の幹事長、という話になっただろうし、そうなると、あの小沢一郎よりも若くして幹事長のポストに就く可能性が出ていたかもしれない。

つまりは、将来の総裁候補、ひいては総理候補だった人物なわけで、さすれば、それ相当の「身辺調査」が行われるのは当然の話なのだ。

で、優子は実は「虚像の人物」だったということになると、じゃ、そんな虚像に仕立て上げたのは一体誰なのか?、ということになる。

ま、優子自身が、折田に何も言えなかったという点が一番責められようが、しかしながら、折田が「何でも俺に言って来い!」というスタンスなのだから、親子ほど年が離れている優子は口を挟む機会さえ与えられなかったのではないかと思われる。

ま、優子ともども、国会の場でしっかりと説明してもらいたい。だって、今回の件が許されるようならば、政治資金収支報告書なんてあってないようなものだからね。したがって、経緯から一つ一つ説明してもらう必要がある。

それを全うするまで、折田謙一郎は「逃れられない」ぞ。

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