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元 先生が熊本ガールズに登場

2013-08-01 11:43:22 | 競輪
<女子競輪>28歳手柴さん 高校教師から転身

毎日新聞 7月19日(金)13時21分配信

昨年、48年ぶりに「ガールズケイリン」として復活した女子競輪の「第2期生」に、夢を追いかけて高校教師から転身した選手がいる。一度は競輪学校入学試験に落ち、腰の故障も乗り越えてプロとなった熊本市の手柴敦子選手(28)。「諦めずに頑張れば夢はかなうと伝えたい」とほほ笑む。

 中学2年でスケートのショートトラックを始め、熊本市立千原台高校時代には冬季国体に出場した。卒業後は保育大学校に進んだが、小さい時からの夢の一つ「体育の先生」を目指して沖縄県の名桜大に編入。ここで自転車競技と出会った。「練習はきつかったけど達成感があった」。4年の時に全日本学生選手権のポイントレースで3位に入った。

 卒業後の2008年、臨時採用で沖縄県立北中城高校の保健体育教師となり、沖縄高校総体に向け強化指定されていた自転車部の指導を任された。そのまま教師を続ける道もあったが、一生懸命練習する生徒の姿を見て心が揺れた。「もっとやっていれば自分も自転車競技でもう少し上に行けたかもしれない。不完全燃焼だった」

 その頃、女子競輪復活が決まり、募集が始まった。「自転車に乗って生活できるチャンス」と決意。教員を続けながら10年10月に受けた1期生の入試は不合格だったが、学校を辞めて臨んだ翌11年10月の試験に合格した。

 入学後、今度は故障が待っていた。ヘルニアを発症し、手術などで大きく出遅れた。卒業できない可能性もあったが「諦めたら終わり。生徒に厳しく指導していた自分が妥協しちゃだめ」と言い聞かせた。体のケアに気をつけながら地道に練習を積み、無事1年で卒業。総合16位、下から3番目の卒業成績でも、競輪学校の教官らが「よく間に合った」と驚く粘りだった。

 今年5月にプロデビュー。師匠の西島聡一選手(47)は「根性のある選手。勝ちにこだわってやってほしい」と期待する。

 8月2日からは地元の熊本競輪場で開かれるレースに出場予定だ。「競輪学校の成績は下の方だった私でも、諦めずにやれば追いつけるということを証明したい」と意気込んでいる。【大島祥平】



しかし、ガールズの選手って、その過程において、ストーリーに満ちた選手が多いな。

ま、男にもそうした選手がいるけど、ガールズについては、「この道まっしぐら」っていう「エリート」はほとんどいないような気がするな。せいぜい石井寛子ぐらいなもんだろ。

と考えると、結構「奥が深い」ぞ。

熊本の御大も、そうした背景を理解さえすれば、「お荷物」なんて言わなくなるだろう。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2013-08-01 12:33:51
自転車競技上がりが、小馬鹿にした滝澤、清嶋その他大勢の適性組に牛耳られた歴史を全く学習せず、
自転車競技上がりの半端選手が威張り散らしているのが競輪
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Unknown (Unknown)
2013-08-01 23:03:24
例の精神疾患と思しき元選手ではないのか。
返信する

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