TPP をめぐる議論の間違い 東京大学 鈴木宣弘
間違いだらけのTPP 1の続き。
6. 例外は認められるから大丈夫、不調なら脱退すればよい → 一度加入すると脱退は極めて難しく、その上例外規定は「例外なく」反故にされる。
・米国を含めた世界各国が、国内農業や食料市場を日本以上に大事に保護している。たとえば乳製品は、日本のコメに匹敵する、欧米諸国の最重要品目である。米国では、酪農は電気やガスと同じような公益事業とも言われ、絶対に海外に依存してはいけないとされているが、米国は戦略的だから、乳製品でさえ開放するようなふりをして TPP 交渉を始めておいて、今になって、米豪 FTAで実質例外になっている砂糖と乳製品を、TPP でも米豪間で例外にしてくれと言っている。オーストラリアよりも低コストのニュージーランド生乳については、独占的販売組織(フォンティラ)を不当として、関税交渉の対象としないよう主張している。つまり、「自分より強い国からの輸入はシャットアウトして、自分より弱い国との間でゼロ関税にして輸出を増やす」という、米国には一番都合がいいことをやろうとしている。
・こうした米国のやり方にならって、「日本も早めに交渉に参加して例外を認めてもらえばいい」と言っている人がいるが、もしそれができるなら今までも苦労していない。米国は、これまで自身のことを棚に上げて日本に要求し、それに対して日本はノーと言えた試しはない。特に TPP は、すべて何でもやると宣言してホールドアップ状態で参加しなくてはならないのだから、そう言って日本が入った途端にもう交渉の余地はないに等しい。この交渉力格差を考えておかなければならない。米国は、輸出倍増・雇用倍増を目的に TPP に臨んでいるから、日本から徹底的に利益を得ようとする。そのためには、たとえばコメを例外にすることを米国が認める可能性は小さい。交渉の途中離脱も、理論的に可能であっても、実質的には、国際信義上も、力関係からも、不可能に近い。
7. 所得補償すれば関税撤廃しても大丈夫 → 間違い
・現状のコメに対する戸別所得補償制度は、1 俵(60kg)当たり平均生産コスト(13,700 円)を常に補償するものではなく、過去 3 年平均価格と当該年価格との差額を補てんする変動支払いと、1,700 円の固定支払いによる補てんの仕組みであるから、米価下落が続けば補てんされない「隙間」の部分が出てくる。したがって、TPP でコメ関税を 10 年間で撤廃することになれば、さらなる米価下落によって「隙間」の部分がますます拡大していく。
・もし、平均生産コストを全額補償する「岩盤」をコメ農家に手当すると想定すればどうなるか。たとえば、コメ関税の完全撤廃後も現在の国内生産量(約 900 万トン)を維持することを目標として、1俵当たり 14,000 円のコメ生産コストと輸入米価格 3,000 円との差額を補てんする場合の財政負担額を試算してみると、コメ関税ゼロの場合、補償額は (14,000 円-3,000 円)÷60 キロ× 900 万トン=1.65 兆円となる。
・概算でも約 1.7 兆円にものぼる補てんを毎年コメだけに支払うのは、およそ現実的ではないだろう。牛乳・乳製品や畜産物などコメ以外の農産物に対する補てんも含めると、財政負担は尐なくともこの 2 倍近くになる可能性がある。さらには、1 兆円近くに及ぶ関税収入の喪失分も別途手当てしなくてはならないことを勘案すれば、毎年 4 兆円という、ほとんど不可能に近い多額の財源確保が必要となる。これほど膨大な財政負担を国民が許容するならば、環境税の導入、消費税の税率の引上げなどによる試算から、具体的な財源確保の裏付けを明確にし、国民に約束しなければならない。もし空手形になれば国民に大きなリスクをもたらし、世界から冷笑される戦略なき国家となりかねない。「とりあえずTPP に参加表明し、例外品目が認められなければ所得補償すればよい」といった安易な対応は許されないのである。
8. 日本のコメは品質がよいし、米国やオーストラリアの短・中粒種のコメの生産力はそれほど高くないので、関税撤廃しても、日本のコメ生産が極端に減尐することはない。 → 間違い
・カリフォルニア米が比較的おいしいというのは、米国滞在経験者なら、共通認識であり、値段とのバランスを考えれば、広く日本の消費者に受け入れられる可能性は高い。確かに、短・中粒種のコメ生産力が世界にどれだけあるのかについては慎重に検討すべきであるが、たとえば、オーストラリアは今、水の問題でコメは 5 万トンくらいしか生産できていないが、過去には、日本でもおいしく食べられるコメを 100 万トン以上作っていた。中国では、黒竜江省だけでも日本の全生産量とほぼ同じ 800 万トンのコシヒカリを作っている。オーストラリアも米国もそうだが、どの国でも、日本でのビジネス・チャンスが広がれば、生産量を相当に増やす潜在力があるし、日本向けの食味に向けての努力も進むであろう。米国も短・中粒種はカリフォルニアしかつくれないわけでなく、日本で売れるビジネス・チャンスが広がれば、アーカンソーでも生産できる。そうなれば、生産力は格段に高まる。
9. 貿易自由化して競争すれば強い農業ができる → 間違い
・大震災で被災した東日本沿岸部に大規模区画の農地をつくって競争すればTPP もこわくない、という見解もあるが、それでも、せいぜい2ha 程度の1区画である。それに対して、TPP でゼロ関税で戦わなければならないオーストラリアは、1区画 100ha ある。農家一戸の適正規模は 1 万ヘクタールというから、そもそも、まともに競争できる相手ではない。土地条件の格差は、土地利用型農業の場合は絶対的で、努力すればどうにか勝てるという話ではない。車を工場で造るのと一緒にしてはならない。牛肉・オレンジなどの自由化も、牛肉や果物の大幅な自給率低下につながったことを思い起こす必要がある。だから、TPP のような徹底した関税撤廃は、強い農業を生み出すのではなく、日本において、強い農業として頑張っている人達を潰してしまうのである。
10. 競争を排除し、努力せずに既得権益を守ろうとしいては、効率化は進まない → ある意味、危険な考え方である。
・医療と農業は、直接的に人々の命に関わるという点で公益性が高い共通性がある。筆者は米国に 2年ほど滞在していたので、医療問題は切実に感じている。コーネル大学にいたが、コーネル大学の教授陣との食事会のときに 2 言目に出てくるのは、「日本がうらやましい。日本の公的医療制度は、適正な医療が安く受けられる。米国もそうなりたい」ということだった。ところが、TPP に参加すれば、逆に日本が米国のようになる。日本も米国のように、高額の治療費を払える人しか良い医療が受けられなくなるような世界になる。地域医療も今以上に崩壊していくことは明らかである。混合診療が全面解禁されれば、歯では公的保険適用外のインプラント治療ばかりが進められ、低所得層は歯の治療も受けられない、という事例(九州大学磯田宏准教授)はわかりやすい。
(
間違いだらけのTPP 3 に続く)