犬の散歩

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犬が羨ましい

2018-10-09 06:48:39 | 日記

 10月9日(火)の朝の散歩について

 

 6時5分前に犬の散歩に出掛ける。今日は火曜日。

 

 山陰本線を跨ぐアーチ状の橋を渡るコースを歩く。晴れ。

 

 散歩に出掛ける前に私のすることは北の家に行って玄関の解錠をすることと冷凍庫の食パンを1枚取り出して自然解凍しておくことだ。

 犬は5時頃になると和室の前の廊下に姿を見せそこで横になる。私が起きるのを待っているのだ。私がトイレに立つと犬は急に立ち上がって散歩の準備運動をする。つまり、両前足を前に伸ばして頭を低くし背中を弓なりに反らすのだ。ラブちゃん、違うよ、まだと言う。まだの意味は分かるようだ。待てということになる。この待ても分かるようだ。

 散歩に出掛ける時は犬にラブちゃん、おはようと言う。いよいよ犬が楽しみにしていた散歩なのだ。で、上記のように北の玄関に行く。犬が付いてくる。嬉しそうな爪音がする。フラッシュライトが必要な位、暗い。が、勝手知ったる家なので僅かの明かりがあれば大丈夫だ。玄関の戸の解錠をしようとネジの部分を回そうとするが回らない。気温が高い時は回るのだが、ちょっと気温が下がると回らなくなる。それで仕方がないので玄関の隣の戸を開けて外から鍵で開ける。南の家の帰る時は犬は更に嬉しそうである。

 

 右足を靴の中に入れようとするが、靴べらを使っても中々入らない。寝ている間にまた少し腫れたのだ。痛いのを無理して入れる。右腰に僅かの痛みを感じた。無理な姿勢で歩いているから腰に来ているのだろう。足も腰も痛いが辛抱できない程ではない。

 庭から門を出る時に右手にあるキンモクセイが満開で香りが強い。

 

 参道を歩いている時、考えた。犬は良いな。あまり物を持っていないからだ。衣服はゼロ。持ち物と言えば首輪位だろう。関係するものとしてはリード、餌皿、水入れがあるだけだ。私は成長期が高度成長の時代と重なったために本でもレコードでも手に入れたくて、そして手に入れることが出来たのだ。それが今となっては徒となっている。貧乏だったのに買えたのは他のものをケチっていたのだろう。食べ物や衣服を。

 昔、買った本を開いてもその内容に興味がないし理解も出来なくなっている。今の若い人はスマートフォンで大体のことを済ませるので持っている物は少ないのだそうだ。羨ましいことだ。まだ少し元気が残っている間に処分しなければならないだろう。

 

 家の駐車場に出た人が我が犬を見て、可愛いと手を振ってくれた。

 

 6時35分に帰着。

 

 

 

 

 

 昨夕の散歩について

 

 5時10分前に犬の散歩に出掛ける。

 

 公園では親子が遊んでいた。子供は小さく親は若い。そうか、今日は月曜日だが、体育の日で休みなのだ。曜日も祭日も私には殆ど意味が無くなった。

 

 公園では我が犬に手を出してくれた人がいた。高架道路の下では何歳ですかと尋ねられ12歳ですと答えると若いねえと言われた。優しく見てくれた。その人が飼っていた犬は15歳で死んだそうだ。

 犬は座っている人に向かって行った。すると座っていた人は即座に私をにらんで指差しておいと言い怒りを見せた。こっちに来させるな。飼い主のお前がどうかせんかと咎めているのだ。犬嫌いの人なのだろう。

 私はリードを引っ張って海岸の方に行った。

 

 犬は浜に下りなかった。

 

 アイシングで右足の腫れと痛みは少し軽くなったようだ。

 

 5時15分に帰着。

 


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