「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「恵みの雨」

2009年06月11日 | 季節の移ろい・出来事
本格的な梅雨入り。昨日ほぼ一日降った恵みに雨。待ちに待ったお湿りである。
我が家のすぐ近くに広がる棚田。この1週間ばかりの間に植え付けられた早苗が、恵みの雨を歓迎して、心地よさそうに右に左に揺れている。

年々稲作が減り、レンコン田に変わりゆく中、ここら一帯はいつに変わらず、一面に広がる棚田にほとんど田植えが終わり、幼くか細い緑が一面にそよぐのは、見ていて飽きない風景ではある。雨の中、傘を放り投げてシャッターを押したくなる。

早乙女が、かすりの着物に赤たすき、菅笠かぶって並んで田植え……などという風景は見られない。
どんな小さな田んぼも、段々の棚田も小回りの利く田植機で、あっという間に植え尽くしてしまう光景は、若干物足りなさはあるものの、農家の人手不足・収支バランスなどを考えると致し方ないのだろう。

小学校行事などで、田植え体験学習があって、直に田んぼに入り泥んこになって田植えをするチャンスがある。
子ども達にとって、この時期の一大風物詩。やらせる側にもやる側にも、なにがしかの問題有り…という声もチラホラ聞こえるが、日本古来の稲作文化や農業の必要性などを教える格好の教材として、残していって欲しい気がする。

この雨で、先日植えた我が家のサツマイモなど夏野菜が息を吹き返した。
やはり雨は降るときにはしっかり降ってくれないとね。ゲリラ豪雨は困るけど。

都会の華やかさとは異なる田舎の良さ。落ち着き、季節が移り変わる風情など、四季折々を一枚の写真と共に感じてもらえると有り難い。

           ( 写真: 恵みの雨に揺れる、早苗の田んぼ )
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「栗の花」

2009年06月10日 | 季節の移ろい・出来事
木々の緑が「新」から「深」に変わる頃つぼみを抱き始め、5月の終わりにかけて花開き、梅雨入りの前後にはしおれていく栗の花。「栗花落」と書いて「ついり」と読むのだそうな。 梅雨に入る頃は栗の花が散り始める頃でもある。

栗の実は、真っ青から焦げ茶色に変身するイガグリ姿を目にすることは多いが、栗の花をことさら気にかけて見る機会は少ないのかなと思う。

花々はもとより、植物はすべからく正直に季節の移ろいを我々に教えてくれる。この栗の花がしおれたり散り始めると梅雨入りとなるように…。

全身を覆うように咲く栗の花。子猫の尻尾を思わせる、触ってみたくなるような白い毛が伸びた細長い花。
これは雄花だという。一本の長いたくさんの雄花の中に、実に目立たないように雌花が咲いている。 
全ての雄花に雌花が付いているわけではないが、雄花の付け根の所に、5㎜ほどの小さな雌花がひっそりと咲いているのだそうな。雌花の先端の白いところがめしべである。

栗の花のにおいは、いにしえより、あまりいい臭いでないものの代表格になる場合が多い。まさに、「香り」でなく「臭い」という方が似合っている。漂白剤や消毒液を想像させる。
余談ながら……栗の花の臭いは、男と女の微妙な綾を描写した下世話な小説を読んだ、若い頃の記憶が一瞬よみがえった。 柄にもなくちょっと赤面…。

そんなことはどうでもいいが、この地方の山間部にとっての栗の実は「がんね栗」と呼ばれるブランド品として全国出荷されている。貴重な収入源の一つでもある。サルやイノシシ・クマなどに根こそぎさらわれることにならないよう祈りたい。秋には十分な実りを見せて、花言葉の通り、「満足」「豪奢」を味合わせて欲しいものである。         

          ( 写真: 白い長い花に覆われた栗の木 )
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「深緑にそびえるお城」

2009年06月09日 | つれづれ噺
いつもは、錦帯橋周辺や吉香公園から遙かに見上げるお城山、その頂きにそびえる岩国城。
あるいは、お城のそばから遙かに見下ろす錦帯橋や城下町。そして遠く望む瀬戸内海国立公園の島影。

今日はいつもの光景とは逆に、城山にそびえる岩国城をほんのちょっと見上げる目線で捉えてみた。
悠雅君がお宮参りした神社からの遠望。お城の東側真正面からの勇姿である。

寛永3年1626年)の創建。岩国藩二代藩主吉川広正公の時、岩国山より和木村に通ずる往時の国道椎尾の地にある古神祠に猿田彦大神を祀った。これを岩国山南麓の現社地へ奉遷、同時に吉川家累代の産土神駿河八幡宮を領内由宇村より迎えて合祀、椎尾八幡宮と称した。以来吉川家をはじめ、藩内の信仰厚く産土神として崇敬された。
錦帯橋から東に300mほどの岩国城下町を見下ろす高台、岩国山の麓に鎮座している。

由緒あるこの神社は、同級生I君の家でもあった。代々の宮司であり、学校を卒業し成人してからは、彼が長年に亘り宮司を務めた。そんなわけで半世紀前の遊び場であったり、同級生のたまり場でもあったりした。

それだけになんとも親しみや懐かしさを感じる神社ではある。 その神社から眺望する、深緑に染まるお城山の岩国城も、是非多くの人のお目にかけたい絶景のひとつである。

残念ながら、I君はもうこの世にいない。美人薄命と同様に、善人早世ということか。
いずれにしても、せまい街。人も少ない。そんな中で色んな出会いや別れ、縁・不縁を醸しながら、それぞれ生きている面白さを感じる深緑の岩国城である。

        ( 写真: 岩国城、東側正面を向ける深緑の岩国城 )
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「お宮参り」

2009年06月08日 | 家族・孫話
新たに家族の仲間入りした三人目の孫、悠雅君。誕生して48日目となる昨日、宮参りに行った。
心配した母親の産後の肥立ちも特に問題なく、母乳もタップリ。母親とばあちゃんの女手二つに護られ、お父さんはもちろん、二人の兄の細やかな愛情に見守られて?日に日に生育の跡が見える。

寝る子はマメな…食う子はタフな…と言われるように、飲んでは寝・起きては飲み…お陰様で順調。
眠る時間が夜昼逆転して、母親を困らせることもあるようだが、そんなこたー当たり前のこと。元気に育てばそれでいい……などと無責任に眺めている。首の据わり具合もかなりしっかりしてきた。抱き心地も体重が感じられるようになり、手足の踏ん張りも日を追う事に強くなる。

真っ黒い澄み切った瞳は、世界中のどの宝石よりも輝いて見える気がする。(ジジバカ丸出し) 時折見せる笑顔や夢見心地のウッスラ笑顔は、何は置いてもこの子のために人生もう一踏ん張り……などの勇気を持たせる。


日本の伝統行事として、赤ちゃんが健康で元気に育つように神社にお参りする風習がある。
男児は 31日目、女児は 33 日目が一般的と言われている。しかし地方によってもまちまちであり最近では、両親の勤めの関係や母体の保護などの観点から、特に生後の日数にこだわらなくなったようだ。

宮司さんに尋ねても、初めて神社にお参りした日がお宮参りであって、いつでも良いんですよ。とのこと。
神社によっても格別なこだわりはなく、色々だということらしい。

さらに言うなら本来は、父親側のご両親が、晴れ着をまとった孫を抱いてお参りするのが普通とされてきたが、これも現代流で、孫の近くに住む側が一緒に行く。さらには両方の両親が打ち揃ってお参りする場合もあるという。

我々は、嫁に出した側つまり母親側の親に当たるが、まあ普段の付き合いの成り行きで、婿殿からも是非一緒に…ということで行動を共にすることが多い。 決して欲張っているわけではない。

お宮参りの後、お祝いの昼食会。兄ちゃんは、ジジ・ババの料理にまで手を伸ばす旺盛な食欲。
「今日は運動してないから食べにくい…」などと理屈をのたまう食の細いカー君。さて三人目の悠雅君は、今後どのような反応を示していくのだろうか……。

          ( 写真: お宮参りに、満足げな笑顔を見せる 悠雅君 )
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「思うようには…」

2009年06月06日 | 季節の移ろい・出来事
世の中、なかなか思い通りには行かないものだ。
思い通りに行かないから面白い。全てが自分の意のままになったら間違いなく○○××になって、これほど面白くない世の中はない…といって嘆くに違いない。

二階の窓から見えるアオサギの子育て。それとなく観察を始めて2ヶ月半近い。未だ継続中。
朝・昼・夕方、双眼鏡でのぞき見する楽しみはある。巣は小高い雑木林の栗の木に架けられている。幸い、下の方に小児科医院が1軒建っているだけで、よそのお宅をのぞき見するほどの、よこしまな気持ちも起こらない安全地帯ではある。

雨上がりの今朝方などは、親鳥が2羽飛んできて、ヒナがうずくまる巣のすぐ近くの枝に止まる。
雰囲気からすると、間違いなく「そろそろ飛び立ってみなさいよ…まだダメ??」とか言いながら巣立ちを促している感じが読み取れる。呼応するように、ヒナも巣の上まで姿を表し、大きくゆっくりな羽ばたきをしてみせる。それは、一番成長の早いヒナ。よく観察したら、他に2羽の姿が見える。ということは、あの狭い巣の中に大きなアオサギ3羽が身を寄せ合っているのだ。どおりで、巣の下にある竹などが糞害で白くなっている。

いよいよか!!こっちが色めき立つ。何のことはない今日も空振り。サギの仲間だけに、またも人間がだまされるのかな……などと、なりすましサギを思い出す。そのうち親鳥は飛び立ち、ヒナは巣の中にもぐって姿を隠す。近いんだよなーと思わせながら、なかなか最終章を迎えない。

実害の伴わないサギの行為だから大目に見て、もう少しゆったり付き合ってみよう。
でも、取材交渉も取材許可も取れていない相手。その瞬間を見逃す危険が多ぎる。
こっちが勝手に始めた観察ではあるが、2ヶ月以上付き合ってきたんじゃないか。頼むよ、チョットだけでいい。美味しい決定的瞬間に立ち会わせてくれよな…。

        ( 写真: 3度目の正直なるか…アオサギの様子 )
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「粋な呼び名」

2009年06月05日 | 趣味・・エッセイ
この季節、一番目立つ花は紫陽花と花菖蒲。いずれ劣らぬ華やかさ。おまけに何故か、どちらも雨がお似合い。 残念ながら花菖蒲は我が家に咲いていない。だから後日に回す。

誰が名付けたか知らないが、我が家の庭にもかれんに咲いた「すみだの花火」
紫陽花(あじさい)の一種で、いろんな品種改良の結果、登場した新種。名前が粋で面白い。
花火のように星型の花が飛び出すような形をしている。 こんな日本人の“粋”は忘れたくないなー…って思う。

元々紫陽花は、雪の下科の植物なのだそうな。そう言われると、「雪の下」と似ていなくもない。
花の色は、紫・ピンク・青・白などいろいろある。花の色は土が酸性かアルカリ性かによっても変わるみたい。
具体的には、酸性土壌では青色が強く、アルカリ性土壌では赤色が強くなるらしい。 一方で、花の色は土によるものではなく、遺伝的に決まっているとも言われている。 はてさてどっち……?

さて紫陽花の気になる花言葉は、 「移り気」「高慢」「辛抱強い愛情」「元気な女性」「あなたは美しいが冷淡だ」「無情」「浮気」「自慢家」「変節」「あなたは冷たい」などなど……。なんとまあ多いこと。アマリリスの比ではない。間違っても、花言葉を添えて、女性に贈る花ではないことがよーく分かる。

紫陽花や   藪(やぶ)を小庭の   別座敷・・・ 松尾芭蕉

紫陽花の   末一色(すえひといろ)と  なりにけり・・・小林一茶

なんだかんだ言っても、この時期、欠かすことの出来ない心和ませる花である。

        ( 写真: 我が家の庭に咲く“すみだの花火” )

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ビワがウマいよ…」

2009年06月04日 | 晴耕雨読
今年もタマネギを収穫する頃となった。
出来映えはまあまあ。昨年に比べるとやや小振り。しかし、昨年は玉太りが良すぎて、早くから芯が腐ってしまうものが多く、大半を捨てた。その点、今年の方がよく締まっていて保存は利きそう。

じいちゃん一人が抜いて、4本をくくり、棹に吊す方が作業的には早いのだが、我が家の場合早さは必要でもない。
学校帰りの二人の孫に競争で抜かせる。やるやる……順番も何もあったものではない。手当たりしだい引っこ抜く。
あっちこっちに投げちらかす。

大半を抜きチラした頃、兄ちゃんが、熟れて食べ頃になっているビワを見つける。そしたらもう、タマネギどころではない。たちまちビワ食い競争。一人は一粒もぐと、必ず水道で洗わなければ口に入れない。一人はもぐが早いか、皮を剥いてペロッと口の中。スピードはまるで違う。 たった1年7ヶ月しか違わない兄弟なのにこの違い。実に面白い。

「タマネギはね、葉っぱを切り取ってちゃんと陽に当てて渇かさないと、長持ちしないんだよ…」と葉っぱを切り落とすのを見せる。「こうやって4玉をヒモでくくって軒下に吊すと、冬近くまで食べられるんよ…」と、彼らには関係ないだろうが一応じいちゃんのウンチクを聞かせる。

…んなこたーどっちでもいい、ビワが食べたい一心。でも一人は仕方なくでも聞きながらビワを食べる。一人は全くお構いなしビワをむさぼる。 どっちがいいのかよく分からない。やっぱりどっちもいいんだろうね。

そしてまたこいつらのために、1本30円のサツマイモの苗70本を植えた。
秋には間違いなく、二人が競争で芋づるを引き抜く歓声を聞きたくて……。

       ( 写真: 引っこ抜いて投げ飛ばしたタマネギの上で、ビワをむさぼる )
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「冬を越すホテイアオイ」

2009年06月03日 | 季節の移ろい・出来事
暑中見舞いをしたためる頃、思わず写真の1枚も添えたくなる、優しい薄紫の可憐な花を咲かせるホテイアオイ。毎年5株・6株買ってきて、雨だれ受けのポリ容器や、大昔の水ガメで育ててきた。

真冬の氷が張る寒さ冷たさに耐えきれず、冬には枯れてしまう。だから毎年新芽を買ってきていた。
ところが昨年も今年も、ほったらかしの水ガメやポリ容器の中で冬を越せるようになっている。
真冬には一旦は枯れてしまうかに見える。

やっぱりダメか…と思いながらそのまま放っておく。5月の初め頃から、間違いなく小さな青い芽を吹き始める。
6月を迎えた今、葉っぱは完全に整い、この夏もあの涼しげな優しい花が、汗の流れる真夏の昼間を、一瞬なごませてくれるのだろう。それは有り難い。

一株88円で買っていた新芽の代金が浮くのも助かるし有り難い。
しかし、よーく考えてみるとそれは、毎年北極の氷が溶け、やがて無くなるのではないかと危惧されている地球温暖化の影響を、植物がいち早く感じ取っている結果ではないのか、と考えると、空恐ろしくなる。

「北極の氷は過去30年間減少傾向にあり,観測された氷の面積の減少率は10年間で10.7%だが,最近は同11.7%と(減少の勢いが)加速している」といわれ、今年も初夏から9月にかけて,北極の氷の行方に関係者はピリピリ・ムードが続くだろう。 ……こんな話を聞くたびに、おいらに出来る気球温暖化対策は……

東西南北、窓という窓を開け広げ、責めて自然の風で涼を取る…クーラーを使わない日を増やしていこう。

          ( 写真: 自力で冬を越し、見事に成長するホテイアオイ )

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「タイトル変更」

2009年06月02日 | 家族・孫話
このところちょっとよそ見をしている間に、孫新聞がおろそかになっていた。
昨年1月に始めた割には現在でまだ27号。かなりペースとしては遅い。もっともっとがんばらないと、「孫の成長記録」というサブタイトルが泣きそうである。

そして、この27号は、記念すべきタイトル変更後の第1号となる。
今までは、「千陽&和来ニュース」でよかった。 第27号からはさらに名前が一人加わる。
「千陽&和来&悠雅ニュース」となる。 フォーマットも少し変更。

当面は根を詰めて、速いペースで作っていかないと、悠雅君があっという間に大きくなっていく。

小さい子の成長はものすごく早く感じる。同じようにじいちゃんも月日を重ねてはいるのに、それほど早く年を取っているという実感はない。
土から芽を出したばかりの双葉が、太陽と水の恩恵を受けてグングン伸びるのは、目に見えるようである。しかし、ある程度伸びきった感のある枝葉は、それ以上の伸張は見えにくいのと同じことなのだろうか。

3年生になった兄ちゃんは、放課後教室から帰ると、先に帰っていて遊んでいるお友達に合流するのが忙しい。
兎に角そこらにある食べ物・飲み物をお腹に入れ飛び出していく。生ぬるいじいちゃんとのお散歩など目ではない…という態度があからさま。 ハスが新芽を出す昨年のこの頃の兄ちゃんとはまるで異なる。

やがてカー君もそうなるのだろう。しかし、幸いなことに幼い悠雅君がいてくれる。孫の追っかけはまだまだ続編がある。 孫新聞も後追いにならぬよう、せいぜいがんばらないと……。

          ( 写真: 嬉しいタイトル変更の孫新聞 )
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「励みに…」

2009年06月01日 | 趣味・・エッセイ
「252字に喜怒哀楽を込める」
第8回 毎日はがき随筆大賞 授賞式に参加した。 遠い秘めたる思い出の地、北九州市小倉城。
残念ながら飽くまでも参加である。招待を受けたわけではない。招待を受けるにはそれなりの実績が要る。

昭和40年代に、毎日新聞山口版で始まった、はがき随筆は、ほどなく九州全域に広がり、多くの投稿者、ファンが生まれた……という、毎日新聞西部本社代表の挨拶で始まった授賞式。

ざっと計算しただけでも、年間およそ26000編を越える投稿の中で、たったの13編が選ばれる。さらにそこから、直木賞作家「佐木隆三」氏の審査で5編が残る。
その中の1編に、我らが岩国エッセイサロン19人の仲間の、ひとりが選出された。

ペンを持とう・何かそれらしいものを書いてみよう……という我々にとっては、それはそれは栄誉なことであり、これからの活動の励みになることに間違いない。 当然ながら彼女は招待を受ける対象。我々は自費参加の応援団、言ってみれば取り巻きである。 しかし、書き続けるからには、私にだってやがて招待を受け、壇上に上がるチャンスがないわけではない。その時のために、慌てなくて済むよう下見に行った……と言えば言い訳がましいかな……???

数ある支局や報道部など、はがき随筆を直接受け止める側、即ち支局長論評も、私たち書く側・投稿する側の非情に気になるところ。それらを貴重なバイブルとして読ませて頂いた。
そこは、発祥の地である山口支局長がトップを飾る。私自身に今一度言い聞かせるつもりで、なぞってみたい。

『随筆は自分の思いを人に伝える文芸作品である。伝えたい思いが何か…これが肝心。決め手は、素材・ネタ・テーマということ。「良い素材・ネタは作者に書かせる力を持っている」という、山口県の選者の声も入っている。
言いたいことをボカさない。テーマに直接関係ないことを書かない。』などなど。

今一度肝に銘じてはみるが、いざ書くゾーっとなると、どうもねー……。あれこれ思いはふくらむが、雑念に左右され、所詮自己満足の世界を脱し切れそうにないんだよねー。これが……。

        ( 写真:華やかな金屏風の前で、表彰を受ける仲間のYさん )
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい