「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「ちょっとひといき」

2019年05月15日 | つれづれ噺

                                    

何かにつけて時間に追いかけられるような落ち着かない日々が続いた。
しっかり準備をして迎えた4月初めの「中学校、最後の同窓会」。その3ヶ月前あたりから始まったこの慌ただしさであったような。
本番を終えて40日余り経過、やっと同窓会あれこれから解き放たれそうである。

というのも、記念アルバム発送以来多くの反応を頂いた。全てに相応の対応をしてきた。同じ人から2度も丁重なお手紙が届いた。1度目は「ごくろうさま、幹事皆さんでお茶してください」と商品券を贈ってもらった。当然ながらそれ相応の丁重な返信を。
3日前、再び彼女から「写真をいっぱい載せてくれてありがとう。47人分の電話や手紙への返信大変だったでしょう。〇〇ちゃんはお世辞も上手じゃねー、みんな気持ちよくさせてもらってます・・・」後略 との手紙が来た。おそらくこれで一段落であろう。

別にお世辞など言ったつもりもない。ただ、目に見えない部分のわずかな努力に気付いた反応を示してくれる相手には、ついつい感謝の表し方が丁寧になってくることはある。だって生身の人間だもの。おだてられりゃ嬉しいし、ホンの一瞬苦労が報われるときである。
その手紙の中に「忙しさから解放されたらこの作品集を読んでみて」と、『被爆 怒りと悲しみの短歌集』を紹介された。
彼女のすぐ近くに住む90歳の女性が最初は数冊を自費出版した。それを「幻冬舎」が全国版にしようと発刊したといことであった。

素早く対応したいが、明日16日の大役を終えるまで❝おあずけ❞である。
他にも、同窓会を通じて大病に苦しむ友が何人かいることに気付かされた。年齢にふさわしく、というべきか内容も様々。
落ち付いたらそちらへの訪問もしてみたい。但し、自分がいつまで見舞いが出来る立場かの保証などありはしない。
その分、やれ忙しい。やれ時間に追われる。趣味に費やす時間がない・・・・などと嘆くまい。

次から次に降りかかって来る世間の雑事も「もう少し頑張ってみんさい」という神の思し召しかも。
と受け入れてはみたいが、欲張りすぎて、大切なものを手の平からこぼれ落とさないよう、心しないといけんよね~。・

コメント
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