「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「喪中はがき」

2018年11月20日 | 幼馴染の動向

            

11月に入ったとたんに、「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます」という葉書が届き始める。
喪中の理由は様々である。親や兄弟の不幸であったり、我が子との突然の別れという深い悲しみもある。中には義理の姉の喪中に付き、などというのもあれば、誰がいつ亡くなったのか要領を得ないものもある。

今年届いた中でも特筆すべきは同級生からの1枚である。喪中欠礼の追伸として「高齢となり年々手元がおぼつかなくなり(中略)今年をもって年賀状を失礼させて頂きたく」(後略)と認められている。
2・3年前までは、同級生の中でも一番長生きしそうな元気な男だったのに、最近は病に付きまとわれるようになっていたことを思うと、「そんな急に老け込むなよ」とも言いにくくなった。

これも、今流行の「終活」の一つと言えるのであろうが、いざ同級生から正面切って突きつけられると、「ウーンそうか、ついに吾輩たちもその仲間に入ったか」などと神妙になる部分はある。
確かに、儀礼の最たるものであると解っていても、長年の慣習で年賀状を辞められずに今に至っている相手も多い。もちろん、儀礼ではなく心から年始の挨拶を交換したい人はいる。しかしそれは全体の半分くらいなのかなーなどと思う。

そして今ひとつ思うのは「喪中って、随分長い期間だなー」ということ。
亡くなった人との関係によって、多少の長短はあるにしても、喪に服する期間はおよそ1年ということである。とするならば、今年1月1日以降の不幸に対しては年賀状を差し控える「喪中」ということになる。
喪中の間は慶事や祭りごとを控えるという考え方から行けば、当然喪中につき年賀状は控えるべき、という結論にいたる。

但し、どこまでのつながりを喪中対象と考えるのか。明確な答えはないようであるが、およそ2親等あたりまで、と言うのが世間一般の考え方のようである。慌ただしい年末をまえに、考えることも多いねー御同輩。

コメント
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