昨年7月1日から始まった、中国新聞連載の五木寛之原作、小説「親鸞」完結編がこのほどその最終回を迎えた。
この連載は、中国新聞だけではなく、全国に広がるローカル紙に掲載されたようで、世に「親鸞」の読者の数は、半端ではないのだろう。そんな多くの仲間入りをして、一通り追っては来た。が、ともすれば一日二日飛ばしたり、後戻りしたり。
なかなかうまくいかない。
そんな愚かしさを解消するために、毎日の切り抜きを残し、自家製の製本で仕上げ、永久保存版に仕立て上げようと試みた。
これまでの第一部も次の激動編も、それぞれ切り抜きしたものを製本化してきた。
そして今回完結編がうまく仕上がれば、世の中に二つとないオリジナル「親鸞本」三部作が完成することになる。
アマゾン文庫本などを覗いてみると、600円少々で購入できるのは分かっているが、せっかくの新聞連載。読み捨てではちょっともったいない気もする。
それと今一つ大きな目的がある。102歳7か月の今も、特養施設ではあるが元気に過ごしている叔母にゆっくりと読ませてあげたいと思っていること。
従姉が、日々の新聞切り抜きを1週間分まとめて施設に持っていき、叔母もそれを喜んで目を通しているのは知っているが、全体を通して1冊に仕上がった物を手にすれば、親鸞聖人の有難味が増すのかもしれない、などと勝手に思っている。
かくいう自分はどうか。実は飛ばした部分が多く、内容もおぼろげながら・・・である。
この際、完結編が仕上がったところで、改めて最初っから追って読み返してみたい、と思っている。
晴耕雨読などと言いながら、雨が降ったら他のことに手を出して、なかなか「雨読」に専念したがらない。
せめてこの自家製本の親鸞は、雨を待たなくても、風の通り道を見つけてゴロン、お昼寝前の睡眠誘発剤に・・・などと言うと叱られるかな。兎に角改めて読み通してみたい。
わが家は、浄土真宗本願寺派、徳光山 仏性寺 の門徒である。改めて親鸞聖人をひもといてみよう。